4st-11 | ナノ

第四話 拾壱


 夜の9時も回り、ようやく動き出した新宿で気兼ねなく立ち寄ったのはドッグタグだった。

 学生服のまま来た俺たちにマスターは隻眼を細めたが「ホットミルクでも用意しよう」と奥の席にすすめてもらい、俺は熱処理された手拭で顔面を覆う。
 うううぅ〜、と少し熱いくらいの気持ちよさに変な声が出ると向かいに座った香ノ巣が口火を切った。

「七代、さっきのことだけど、アレは君がしたことなのか?」
「アレって、あの時出てきた黒い焔か」
「いや……俺じゃない」

 否定した。
 が、あの焔が出て来たおかげで確かに形勢は逆転した。

 突然現れた焔はあの場にあった全てを呑みこんだものの、実害があったのは隠人とアンジーが呼びだした蝶を含んだ花札の力だけだった。まるで封印したかのように俺とアンジーの札は決着がつくまでその効果を発揮することはなく、俺は札以外の封札師の能力を使ってアンジーから香ノ巣の札を奪い返したのだ。

 黒い焔が何だったのか、それはわからない。
 白もあの焔が上がった瞬間、札故なのか意識が遠退いてしまったらしく分からないらしい。

「君じゃないなら、盗賊団でもないということだね」
「千馗でも盗賊団でもないっていうことは…………どういうことだ?」
「つまり、他にこの件に関わっている連中がいるってことか」
「そうなるね。……七代」
「ん?」
「今回のことは僕の不注意だった。すまない」
「それはもういいだろ。ちゃんと花札は戻って来たんだから」
「だから、これは君に返そう」

 胸ポケットから札を差し出す香ノ巣に、眠気と必死に戦っていた輪の目はぱちりと開いた。

「絢人?」
「…いいのか?」

 渡してもらえるのなら遠慮しねえんだけど。
 そう茶化してみたが、香ノ巣は札を手元から離れさせて頷く。

「ああ。その代わりとは言っては何だけれど、僕にもこの事件を最後まで見届けさせてほしい。いや、見届けるというのは違うかな……僕なりにこの事件に関わろうと思う。もちろん君たちの協力は今まで以上に惜しまないつもりだよ」
「それは嬉しいけど」
「どういう風の吹き回しだ?」
「僕も驚いているよ。とくにこういう類のものに積極的に関わる人間じゃなかったはずだからね。そうだね、あえていうなら知りたいという欲求かな」

 聞き覚えのある理由に俺はチラリと燈治を見れば、基本的に感情が顔に出やすい親友は「なんだよ」と面白くなさそうに言った。いえいえ、身に覚えがあったようで何より。

「わかった。なら、改めて頼むよ、香ノ巣」
「名前で構わないよ、千馗。…フフ、男と握手なんてするとは思わなかったよ」

 一言余計な香ノ巣――絢人が俺の出した手と握手をすると、彼の手の甲が淡く輝いて痣が浮かんで消えた。札が俺の手元に来たことで絢人は正式に《札憑き》となったということらしい。
 痣の消えた手の甲をそっと摩った絢人は「もう一つ大事な話があったね」と顔を上げた。

「予想はしていたんだけれど、鬼印盗賊団の幹部全員がこの件に本腰を入れている」
「そういえば……居たな、赤いのが」
「キング・オブ・盗賊王ッ! だっけか?」
「あー、そんなことも言ってたな」

 燈治のいう“赤いの”に俺も洞での登場を思い出す。
 辛くもアンジーに勝利した俺たちの前に現れた、鬼印盗賊団の幹部を名乗る二人――ひとりは勿論秋の洞で会った鹿島御霧。そしてもうひとりは、アンジーから“オカシラ”と呼ばれていた鬼丸義王。
 正直に言うと、俺は蝶が撒き散らかした毒に絶賛やられていてほとんど覚えていなかったりする。頭領(というよりは盗賊王)を名乗る鬼丸に関しては、馬鹿でかい声と赤しか覚えてない……とか言える雰囲気ではないので俺はもっともらしく相槌打ってホットミルクを飲んだ。

「幹部全員が関わってるって言ったけどさ、盗賊団なんだからそうじゃないのか?」
「幹部それぞれが象徴を持ったスカーフを持っているんだけれどね」

 絢人が携帯電話の画像を見せてくれる。
 赤と青と黄の三色に分かれた図柄は言われてみると柄が微妙に違う。

 絢人が言うには、鬼印盗賊団が起こす事件すべてが幹部全員の意向ではないらしい。多くの事件には鹿島御霧が下調べとして関わっていても、実行犯がそのまま鹿島なのか他の二人なのかは別問題だとか。何でそんなことが分かるのか、という問いには「鬼丸義王が関わったらまず警察沙汰になるからね」と言われた。
 確かに、鹿島は表沙汰を好むようなタイプには見えないし、アンジーに至っては不都合なことは誤魔化せるだろう。

 で、何が問題かと言うと幹部全員が呪言花札に関わっているというならば、鹿島やアンジーだけでなくあの鬼丸も花札を持っている可能性が高い。しかも他の二人が種札という強力な札を持っている以上、鬼丸もそれと同等の札を持っているかもしれない。

 鬼丸の去り際の言葉を考えても、これから本格的に鬼印盗賊団が花札を取りに来ることは間違いない。おそらく俺のような目や感知能力がない以上は俺が札を集めるまで様子見を決め込んで最後に奪ってくるだろうが、絢人や輪のように所在が分かっている場合は強硬手段も辞さないだろう。
 大事には至らなかったとはいえ、輪は絢人の人質として利用された。そんな目に遭う人をこれ以上増やさないためにも花札を集めなきゃいけない。

 ホットミルクの入ったマグカップを握った左手を見る。黒革の手袋の下にある刻印を意識していると絢人に呼ばれた。

「わかっているとは思うけれど、今度のことで、呪言花札の事件には君のような封札師と呼ばれる者や、盗賊団のような無法者だけが関わっているとは思えない。組織的な計画が動いていると考えても大げさじゃないだろう。だから、十分に気をつけたほうがいい」

 わかった、と俺は頷くことで絢人の言葉を呑み込んだ。




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