4st-10 | ナノ

第四話 拾


「千馗、次そっち!」
「じゃなくてもう一つ向こうだろ!」
「どッ…どっち、お…? …あ」

 ヴン、と足元の光が消えた。地味だ。地味すぎる。
 輪に洞の仕掛けを「地味だな」という一言で片づけられたときには、酷い言い草だと思ったが、現在進行中で俺がやっていることは地味だった。

 この部屋には矢印が描かれた床がざっと24枚で、そのうち四角に書かれたのが6枚。
 この床の矢印の向きに逆らわず、しかも一筆書きで一周しなければ次へ進む扉は解錠されない。四角の床はその場で反転したりするのは可能だが、一度でも失敗すれば最初からやり直しだ。その法則を見つけるまでに二度失敗して、今、三度目の失敗をしたところだった。

「……うっし!」

 パンッと両手で頬を叩いて気合いを入れる。
 四度目の正直と行こうじゃないか、と床を踏んだ。一枚踏むごとに矢印の赤い光が青に変化する。次は何処を踏むべきか考えていると、それまで黙って見ていた香ノ巣が「七代」と声をかけてきた。

「なんだ?」
「洞に入って改めて考えさせられたけど、君は此処をどう思う」
「どうって…」
「そうだね。ここまで大掛かりな罠や仕掛けがあるのはどうしてか、なんてどうだろう。もっと言えば、この洞の罠が正常に動くのは君に限ってであることもだけれど」

 香ノ巣と俺の会話を黙って見守っていた燈治が「なんだそりゃあ」と口を挿んだ。
 純粋に驚いている燈治には悪いが、それを聞いた俺は、ああ、やっぱりな、と思った。

 秋の洞の深奥で長英が待ち構えていたときにおかしいとは思っていた。あの時すぐに長英を追ったのに結局深奥に至るまで追いつくことはなかったのは何故か。隠人化していたことで罠や仕掛けが作動しないのかとも思っていた。けれど、輪に対決した日の話を聞いて、二人は俺たちより後に洞に入ったが深奥まで隠人以外の障害はなかったと知ったとき、もしかしたらと思ったのだ。

 洞で待ち構える罠のなかには、秘法眼持ちでなければ解けないようなものがある。この床も俺が踏むまで一度も色が変わることがなく、故に四回目を含むすべて俺が踏んでいる状況だ。

 自分の考えをまとめるためにも、俺は香ノ巣の話題に乗っかった。

「―――あくまで仮説だけど、洞を構築しているのは花札の情報だろ。俺はその情報は厳密にすると花札に関わった人間の知識や思いだと思う」
「関わった人間って誰だよ?」
「たとえば、今までの執行者や燈治や輪みたいな札憑きになった人、……あとは札に食われた人。大体、どう考えても縄文時代とか弥生時代に花札をめぐった争い、なんてイメージつかないんだよ。そ、れ、に…!!」

 四角の床を踏まぬように大きくジャンプする。さっき、ここで間違えたから小さくガッツポーズをとったあと、伊佐地センセとの会話を思い出す。
 札憑きだったという人から得た証言は確かに矛盾しているが――

「花札を集めてはいけない意思が執行者に罠を張って、けれど、花札を集めなければならない意思も同時に反映されるから洞は執行者を花札に導いている」

 洞に試されているような気もする。少しでもヒントを見逃したら辿りつけない深奥……お前は本当に呪言花札をすべて集めるつもりなのかと、花札に問われている。白から執行者に選ばれてはいるが、それは単なる許可証みたいなものかもしれない。

 何故、お前を選んでしまったのかと苦虫を噛み潰したような顔や声を時々白は覗かせる。

 人々の現在を守る。お前にはその為の力があると伊佐地センセに言われたとき、俺は頷いた。偽りはない。花札を集めて封印する。けれどふとした瞬間、俺でなければならないというわけではないのだろう、という気持ちも浮かぶのだ。不思議な目と特異な能力があるからといって特別なんかじゃない。

 やめよう。雉明や武藤、燈治たちと出会って、今、此処にいるという奇跡に感謝しながら、特別や必然ではないことに不満を持つなんてなんて贅沢で傲慢な考えだ、と俺は頭を振った。淡々とした作業に飽きを感じ始めてしまったから脱線するのだ。

「結局、実証もできない仮説じゃ、与太話にしかならないけどなッ」

 落ち込みかけたテンションを上げようと俺は努めて明るい声でそう締めくくった。

「いや、面白い話だったよ。輪にこういう話題は振れないからね」
「な、なんだよ。……絢人の馬鹿!」
「ハハハ…―――これで、最後っと!」

 床の全てが青に染まる。
 俺の声に紛れて、解錠を知らせる音がカチンと静かに鳴った。





「あー、モウッ!! どうして見つからないかナ? 他にもあると思ったのに、手に入れたのが一枚ダケなんてつまんないヨ!!」
「……とか言って、さっきから全然探してないじゃないッスか」
「そうッスよ〜、少しは手ェ貸してくださいよ。ここ、何だか暗いし、ジメジメしてるし」

 昭和の香りが漂うような悪の女幹部と手勢の会話が洞の中で反響する。
 花札を奪われたというのに輪たちの時より締まらない雰囲気を感じ取ってしまうのは、微妙にイントネーションが違う明るい声のせいなのか、かったるさを隠しもしない男たちの声のせいなのか。多分、全部だ。

「わかってないナー、悪の女幹部は、地道に捜しモノなんてしないんだヨ? ホラホラ、ヤロウドモ!! キリキリ働きナー、だヨ!!」
「へいへい……」

 なんだか馬鹿馬鹿しくすら思える光景に耐え切れなくなったのは白だった。
 いつの間にか頭の上にいた彼女がボソッと俺に告げる。

「七代」
「ん?」
「冬夏の陣で吹き飛ばせ」
「ああ、そういう割り込み方も……えッ!?」
「このような茶番、見るに耐えぬ。呪言花札は執行者でもない徒人如きに易々と見つけ出せるようなものではないわ」

 だからって松と牡丹の屑札の連動式陣を“徒人”に使用するのは如何なものか。……単に腹が立って攻撃の一つや二つをしてやりたいというのが本音だろう―――だからと言って白の提案に乗っかるわけにはいかない。俺は首にぶら下げていた呼び子を唇で挟んだ。

「みんな、耳を塞いでおけよ」


 ピィィイイイイイッ


 吹き込んだ息に従って、長方形に広がった区画を奇声のような音が埋め尽くした。
 封札師の力を通して怪音になった呼び子の振動は壁あるいは天井に跳ね返って部屋全体を刺激し、当然免疫のない盗賊団の下っ端は耳を押さえて蹲った。なかには身体が麻痺してピクピク震えている奴もいる。

 しかしアンジーは耳を押さえているだけでしっかりと立っていた。

「本当かよ…」

 幹部だと名乗るだけのことはある。
 近距離で衝撃波をまともに食らう燈治たちの足元には桜の屑札で状態異常の無効化を敷いていたが、ほぼダメージなしでピンピンしているのだから恐れ入る。

「Bienvenido(いらっしゃーい)!! よく来てくれたネ!! フフッ、嬉しいヨ、千馗。ちょうど退屈してたからネ」
「歓待どうも。奪った札を返してもらいに来た」
「んン? セニョールが欲しいのは、アンたちが奪ったコレだけなのカナ?」

 そう言ってアンジーが、胸の谷間から札を取り出した。
 菖蒲に八橋。確かに香ノ巣が所持していた花札に間違いない。

「勿論、アンジーの―――盗賊団が持っている花札はすべて渡してもらう。呪言花札は、それこそ賢者の石みたいな万能の秘宝じゃないんだ。使えばそれ以上の代価を求められる危険な面を持っている」
「ダメダメッ、セニョール。そういうの、アンは好きじゃないヨ。それに、鬼印盗賊団のREGLA(オキテ)は、強い者が、欲しいモノを、手に入れる―――だからね」

 ぶわりとアンジーの周囲の氣が膨れる。手にしている菖蒲に八橋の氣とは別の、屋上で見せた牡丹の花片が舞い上がったのを機に俺もエアガンを構える。

「フフッ!! その通り! さすがだネ、千馗!! 完全無欠、万事解決、つまりはそういうコト!!」
「来るぞ、七代」
『はわわわわ、隠人が出て来るです!』

 アンジーの放つ花札の氣に引き寄せられた隠人たちが地面から壁からと姿を現す。

「この札が欲しかったら、力尽くでアンから奪えばいいんだヨ!! さ、難しいコトはいいからVamosabailar(おどっちゃおう)。アンに勝てたら、千馗の欲しいモノ、あげるよ!!」

 花札にキスしたアンジーが胸元に戻した。

「七代」
「わかってる」

 俺は燈治たちに桜の屑札を敷いた陣から出るなと言い捨てて、ウェストバックに入れていた竹トンボを《宇宙神の輪》にチェンジする。投げ放たれたチャクラムが琵琶の隠人を砕いていく。光球を残して消える隠人の力を吸収しながら俺は走った。

 アンジーの武器は鞭で、長さは8mを超えない種類だ。距離を取りつつ隠人の力を吸収していけば、自ずと力はこちらが上がるはず―――

『! ぬしさま、危ないッ!!』

 チャクラムを受け止めた腕に鋭い痛みが走り、ぐん、と身体は前のめりに倒れる。
 寸で反対の腕で体勢を取り戻して振り切って距離を開けた。だけど、そんな馬鹿な。アンジーとの距離は確かに十分なものだったはずだ。

『花札の力で鞭の長さを誤認させている。あるいは物理的に伸ばしているのかもしれやせん』
「くそッ……だったら!」

 再び呻る鞭の切っ先を今度こそ避ける。
じん、と眼球の奥にくる鈍痛に軽く息を吐いた。

「避けた!?」
「…そっか、セニョールにはトクベツな眼があるんだったネ」

 花札の力で鞭を伸ばしたり縮ませているのなら、その瞬間に現れる《力》をとらえて鞭をギリギリに避けたのだ。出たとこ勝負もいいところだったが上手くいったらしい。

「けど、逃げてばっかじゃ―――つまんないヨ!」
『ぬしさま、気をつけるですッ』
「必殺、蝶の舞ダヨッ!」

 アンジーがそう言うや否や地面から膨大な花片、いや、金色に輝く無数の蝶が現れて舞う。その羽ばたきからふり落ちる鱗粉に嫌な予感がして咄嗟にビニル傘を開いて身体を守っていると、倒れている盗賊団から、

「ひぃいいイイッ」
「痒いッ、身体が痒いッ!!」
「ぜ、全身が痺れ…る…」

 なんだか次々と苦しそうな声が上がっている。
 つまり、もしかしなくてもアンジーの蝶が苦しめているのだろうか。

「あのさ、一応、アンジーの部下なんだよな?」
「悪の女幹部はヤロー共にも容赦しないヨ!」
「ひっど!」
「今はギリギリ避けたみたいだけど、そのままでアンから逃げられるのカナ?」
「………。……!!」

 しまった!

 慌てて口元を押さえた手がピリピリと痺れる。気付くのが遅れた。鱗粉を直接触れなくても、この数だ。空気中から吸う可能性を考慮しなかったなんて―――どくどくと不自然に心臓が動悸するのが煩わしいことこの上ない。陣のなかにいる燈治たちに墓穴を掘らせるわけにはいかない、けど……このままじゃ、負ける。

『氣が……ダメ、ぬしさま!』
「千馗!」

 鈴たちの声が遠くなり、視界が暗くなっていく。
 そして意識を手放しかけたとき、目の前に黒い焔が生まれた。




拾壱