28-2 | ナノ

――2


 燃える残骸の上で広がる黒と白のダンス。
 身体中を蝕むような痛みを超える鮮烈な色彩のうねりは唐突に終わり、白い光が弾け飛ぶ。動けぬまま弾かれたものを眺めていると、膝を屈していたそれが軋んだ動きでこちらを向いた。

 二対の青い瞳。
 動く唇。
 伸ばされる白い腕。

 その後ろで輝く月は丸くて大きくて、歪んでいた。




「おはよう」
「―――……え」

 窓から入り込む光。それが一瞬、夢の光と重なったような気がした。
 真宵はゆっくりと頭を動かすと、ファルロスが立っていた。朝日を浴びているせいかほのかに光っているように見える。

「おは…よう」
「こうして陽の出てる時間に会うの、初めてだね」
「そうだっけ…、…そうかも」

 頭が上手く働かない。寝起きは決して悪いほうではなかったが、先程まで見ていた夢の欠片が思考を鈍らせている。ファルロスは指を真宵の目元に伸ばして拭う仕草をすると「怖い夢を見たんだね」と言った。

 怖い夢…もう思い出せないけれど、そうだったかもしれない。
 不鮮明で曖昧な反応しか返せないなか、うん。怖かった、かも、と真宵が言うと、ファルロスは何故かぎこちない笑みを浮かべた。

「…大丈夫、夢だよ。忘れていいものだよ」
「時々、ファルロスってお兄さんみたいになるね」

 諭すように言うから少しおかしくて笑ってしまう。
 安心できるのだ。ファルロスが忘れていいと言ってくれただけで真宵の気持ちは大分落ち着く。

「いい天気だね…今朝はほんとの意味で、新しい朝だ。君にとっても、そして僕にとってもね」
「ファルロスにとっても?」
「今まで集まっていった記憶のかけら…ついに、全部つながったんだ。僕は、僕自身の役割がハッキリ分かった。来るべき時の訪れだ」

 そして続いた言葉は思いがけないものだった。

「ほんとは辛い事だけど、でも言うよ。お別れしなきゃ…君と」
「ファルロス?」
「今だから分かる…君と友達になれた事は、僕にとって奇跡みたいなものなんだ。でも奇跡は…永遠には続かない。永遠だったら、いいんだけどね」
「ねえ、どういうこと? もう、会えないの?」

 淡々と先を続けるファルロスを制止するように真宵は彼の手を掴む。白くて小さくて冷たいてのひら。
 しっかりと掴んだはずなのにするりとファルロスの手は真宵の手からすり抜ける。はっとしてファルロスの顔を見て、ズキリと胸が痛んだ―――似てる。荒垣の表情と。

「君と会えた事は、僕の宝物だ。たとえ今日が最後になっても、“絆”が僕らをいつでも繋いでる。……忘れないで」

 少しずつ光に溶けて始めるファルロスの身体。本当に幽霊のように透けていくファルロスの両の目に収まった青い瞳が澄んだ色を見せる。

「今まで楽しかった」
「ッ、待って!」
「…じゃあね」

 ファルロスはいつものように消えた。けれど、彼の言葉から二度と現れないことを知って、真宵は目頭が熱くなる。ファルロスが拭ってくれたはずの涙がぽろぽろと頬を伝ってこぼれ落ちる。ファルロスの消失が、荒垣が凶弾に倒れたときと重なって辛い。荒垣は生きている。また会える。泣くなと言われたんだから。そう思って涙を堪えていたはずなのに、もう二度とファルロスに会えないのだと思ったら決壊したように涙が止まらない。

「…ファルロス……」

 名前を呼んでも、再び涙を拭ってくれる手は現れなかった。






 そんな朝を迎えたせいか、昨夜の戦いの疲れが押し寄せたのか、真宵の体はフラフラと定まらず不調を訴えていた。風邪とは違うから学校を休む気にはなれずに校門をくぐる。賑わう下駄箱で上履きに履き替えると「はよーっす!!」と明るい声がかけられた。順平だ。

「胃袋の準備はできてるか!? 夜は祝勝会で、寿司食べまくり……どした? 顔色悪いぞ?」
「え、そう?」
「自覚なしかよッ。鏡をちゃんと見たか?」
「ちょっと気分悪いだけ。そんなに顔に出てると思ってなかったから」
「この間の風邪で思ったけど、軽いと思って放置するんだろー。いかんなァ」
「だって風邪なんてこの間が久しぶりだったし…」
「どんだけ健康優良児なんだよ! ま、オレも風邪なんて滅多にひかねえけど…」
「そりゃあ、順平がアレだからだろ?」

 にゅっと顔を出してきた友近は、「アレってなんだよ、まさか馬鹿って言いたいのかよッ」と噛みつく順平をスルーして「おはよー、日暮さん」と伸びやかに挨拶をする。おはようと返すと友近は数瞬して「日暮さん、体調でも悪いの?」と首を傾げてくる。

「珍しいね。順平とは別の意味で風邪引かなさそうなのに」
「なあ、それオレが馬鹿って言いたいの? 真宵が馬鹿だって言いたいの? 友近くん」
「え…お前、日暮さんより頭いいと思ってんの?」
「チクショウッ! 思ってなんかいないやい!」
「まっ、真宵! おはよう。あと、友近も…」
「何ドモってんだよ、理緒。つか、俺はついでかよ」
「オレなんか完璧にスルーされてんだけど……イテッ」

 理緒の気持ちを知らない順平に察しろというのは酷かもしれないが、あえて指摘するにしてももうちょっと言い方がある。理緒を応援する身として真宵は順平の手の甲を指で軽くつまんだ。

「あ、ご、ごめん。伊織くん」
「ヒデーな、理緒は」
「う、うるさいなッ! って…真宵、どうしたの? 顔色が良くないよ?」
「えーと……あ、順平に保健室連れてってもらうから気にしないで。友近くん、理緒のこと、お願いね」

 念を押して真宵は順平を連れて離れる。これで少しはキッカケになれたかな、と思いながら職員室の廊下まで歩いていると何もないところで躓いてしまった。わっ、と声を上げるところでグッと支えられる。その瞬間、夜の学校で荒垣に支えてもらったことがよみがった。

「って、オイ。大丈夫か?」
「ごめん。……ごめん」
「何で二回?」

 助けてくれたのが荒垣でなくて順平だったことを残念がってしまったから、なんて言えずに曖昧に笑う。
 結局、保健室で休むのがいいと諭されて真宵は保健室で横になることにした。鳥海先生には順平から言ってくれるとのことで言葉に甘えた。保健委員だったこともあって、本日当番だった後輩の委員から融通されてベッドを借りる。

 保健室の主である江戸川の風体がアレだということで保健室は基本的に賑わうことがない。また体調不良を申し出ればもれなく江戸川から怪しげな薬を飲むよう強要されるから、更に人気が遠退く。利用者がほとんどいないベッドは小まめに替えられていることで糊のきいた清潔なシーツに包まれている。

 薬品や消毒液の匂いが漂う部屋の天井をぼうっと見上げていると、ここが病院のような気がする。
 病院というと、4月のシャドウ襲撃の時と、あとは10年前の事故があった次の日の時だ、と思い出して寝がえりを打つ。どうして10年前のことを思い出したんだろうか。いや、正確には10年前のことを真宵は完全に覚えていない。

 事故のショックで記憶が混乱しているのだと医師が真宵にそう診断を告げたところから真宵の記憶は始まる。身体中が痛くて、けれど殆どが擦り傷程度で検査を含めればすぐに退院をしたのだ。それからは遺体のない両親の葬式がひっそりと行われて、遺族としての手続きなどで弁護士や親戚の口論が頭を通り過ぎて行く日々。目まぐるしいことばかりだったのに、割と鮮明に覚えている。
 なのに、なぜ、自分は10年前の事故のこと自体を覚えていないのだろう。

 ――大丈夫、夢だよ。忘れることができる。忘れていいものだよ。

 思い出そうとすると霞みがかる記憶と、優しく諭す、安心できる少年の声。
 まだ、思い出さなくていいと思える。けど、いつか思い出すのではないのだろうか。




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