伊佐地センセと武藤がドッグタグから去ったあと、香ノ巣は仕事で花園神社に行っているはずだ、とマスターから聞いた俺達は二手に別れた。俺と燈治が花園神社に行って、穂坂と飛坂には万が一すれ違いにならないようドッグタグに待機してもらっている。 それを提案した際、結構、女子二人には渋られたが。 「仕方ねェだろ。万が一の場合、相手取るのは隠人じゃねェんだからな」 急ぐためにも走っている俺の横で、燈治が息も切らさずに並走しながら言った。 そうだ。本当の万が一は、香ノ巣を追いかけた先で盗賊団を相手取らなければならないということ。隠人に容赦ない飛坂といえど、人間相手にあんな攻撃はできないだろうし、穂坂だってそんな現場に慣れているはずがない。こういうのは男二人がちょうどいい。 「喧嘩慣れしている燈治で良かったよ」 「そういう意味で頼られるのも微妙だけどな―――っと、着いたぜ。……静かだな」 「ああ。けど、静かすぎるような……」 黄昏時の花園神社の鳥居をくぐる。 広大な土地や酉の市で大いに賑わうこともあって、花園神社は人気が途切れることがないはずのだがヤケに人が少ない。というより居ない。どうして、と辺りを見渡していると燈治が「おいッ、千馗!」と焦った声で呼ばれた。 本堂の側、夕闇の濃い影に隠れたところに倒れた込んだ香ノ巣を膝に抱えるようにしている輪がいた。しまった。もう何かあったんだ、と二人に駆け寄る。輪は近付く足音にビクリと強張った顔を上げたが、俺達だと気づくとその顔が歪んだ。 「輪!」 「千馗ッ…!! あ、絢人が……絢人がッ―――!!」 「落ち着け!! 一体、何があった!?」 「絢人がボクを、変な金髪女から庇って……」 アンジーだ。目線が合うように屈みこんだ俺が、それで、と輪に促す。 「始めは、呪言花札の情報があるって話だったんだ。花札を解放した人物を教える代わりに、絢人の知る花札の情報を知りたいって。そしたら、アイツらが現れたんだ。変なドクロのマークの……。ボクがドジって捕まってアイツら、ボクと絢人の花札を交換だって……」 「それで、花札を奴らに渡したのか?」 「………」 咎めるというより確認をする燈治の言葉に緊張が切れたのか、輪は「ごめん、千馗。全部、ボクが悪いんだ…」と声を震わせた。燈治がマズったという顔をする。悪気がないのはわかっているよと苦笑を返して輪に、大丈夫だ、と声をかけた。 「花札なら、俺が取り返す。約束しただろ?」 「うう……ひっく」 とうとう涙を零した輪の頭をよしよしと帽子越しに撫でていたら、意外なところから声がかけられた。 「やれやれ……。君の涙と涎と鼻水で、僕を水浸しにする気かい?」 「あ、絢人ッ!!」 「大丈夫なのか?」 「ああ、大丈夫。大した事はないんだ。ただちょっと、強烈すぎてね……」 身体を起こした香ノ巣は乱れた髪や頬を整える。外傷らしい外傷はないが、アンジーの力は見えないモノだった。燈治の言葉をオウム返しすることになるが、本当に大丈夫なのか、と重ねて問いかける俺に香ノ巣は苦笑した。 「僕なんかの事よりも、七代」 「ん?」 「君に謝らなくてはならない。罠なのはわかっていたけれど、少しでも情報があればと思ってね。それがよもや、直に僕の持つ札を取りに来るとは……。すまない。僕の失態だ……つッ?」 ビシッと眉間にデコピンをされた香ノ巣が指先でその部分を押さえた。 香ノ巣の顔には痛みよりも驚いているのが如実に出ているのが少しおかしくて笑えた。普段がスカした表情をしている分、こういう表情が年相応に見えるからだろう。 「これでチャラな」 「七代…、僕は君からの預かり物を賊に奪われたんだよ?」 「お前と同じ状況なら、俺も札を渡していたんだから人の事いえねーよ。それに、輪にも言ったけど、奪われたなら取り返す。それでいいんだよ」 「君って人は―――底抜けのお人好しか、とんでもない馬鹿かのどっちかだね」 「どっちも悪口じゃないか……。そうじゃないだろ、絢人」 「やれやれ、まさか輪に言われるとはね。まあ、その……」 ありがとう。 香ノ巣がそう言った声は少し聞き取りづらかったが、確かに聞こえた。そのことにわずかながら感激を覚えたが、やはり香ノ巣はどこまでも香ノ巣だった。 「それにしても、彼女があんな技を持っていたとは……」 「お前も千馗と同じ罠に引っ掛かったのか?」 「君も……?」 「だから、あれは不可抗力だったんだって!」 「なるほど……ならば、彼を責めないでやってくれ。彼女のは、そう、それは文字通り、見事な手腕だった。まさか―――あんな素晴らしいぶち方があるなんて……!!」 ヒュウウウゥゥゥ 「……そうなのか?」 「俺は―――もう、いい」 言わないでおこう。もうこの件に関しては何を言っても墓穴を掘る気がする。 空っ風が俺達の間を吹き抜けたのに構わず恍惚とした表情になる香ノ巣。そんな彼の言葉に輪が「だ、だからあのとき、避けなかったのか!?」と声を上げた。 「手を振り上げる美しい人を前に僕に避けるだなどという無粋な選択肢があり得るだろうか!?」 この一言が如実に香ノ巣絢人を語っている。こいつ、本当に避けられる攻撃でも避けなかったんだな。 「波打つ黄金の髪はまるで稲穂、豊かすぎるその胸元……いやそれらは全て装飾に過ぎない!! あの絶妙なスナップ、独特のリズムと共に繰り出される手の平はまるで芸術品だ!! そして特筆すべきはやはり、あの笑顔のまま、罪悪感の欠片もなく僕を鋭く打ち据える―――おぐうッ!!」 蹴った。もちろん輪に当らないように。 もうコイツ、本当に一度くらい逝ってくればいいんじゃないのか。 「け、蹴られた……。この僕が……しかも、男に……。…………」 ガクリ、とそのまま倒れ込む香ノ巣に輪が心配そうに覗きこむ。 「ッたく、そんな事より早く追わねェとだろッ。おい、輪。奴らはどうした?」 「たぶん……ここの地下に行ったと思う」 「彼らはこの地下にある洞の存在も知っていたよ。今頃は、更なる花札を追って奥へと向かっているだろう」 「うわ、復活はやッ!!」 「ゾンビかよ」 「随分な物言いだね」 「ちッ、そうと分かったら早いとこ奴らを追いかけようぜ」 「そうだな。輪、香ノ巣を連れてドッグタグに行ってくれ、穂坂と飛坂がいるからすぐに手当を…」 「待ってくれ。……どうか、僕に同行を許してはもらえないだろうか」 「―――執行者の手に札がない以上、いまの其方は徒人と変わらぬぞえ」 バサリと羽毛を雪のようにチラシながら舞い降りた鴉姿の白が、もう定位置となった俺の頭上に乗っかり香ノ巣に「札が執行者の手になく、繋がりが完全に絶たれたいま―――仮に其方が《札憑き》であったとしても、その力を振るう事は適わぬ」と語る。 その言葉に香ノ巣が口を閉ざすのを確認した白が今度は俺の髪をゆるく引っ張った。 「……すまぬの、七代。娘を見失った」 「いや、ありがとう。白」 「じゃが、盗賊団と言うたか。彼奴らの本陣が動いているようじゃ。急ぎ奪い戻さねば、より困難になるやもしれぬ」 「一刻の猶予もない、か……。なら改めて……お願いだ。僕が勝手について行く事を許してくれるだけでいいんだ。自分の身くらいなら自分で守る。ただ、これから起こる事を僕に見せてくれるだけでいい」 香ノ巣が改めて言うが、俺は首を振った。 「駄目だ。力のないお前が自分の身を守るなんて、どこに保証があるんだよ。洞、なめんな」 札の力が残っているならいざ知らず、と拒否した俺は携帯電話を取り出す。二人には悪いが、香ノ巣を届けるより二人が来てもらったほうがいいかもしれない。だが、発信履歴から飛坂に電話をかけようとした俺の腕を香ノ巣が掴んだ。 「なんだよ」 「確かにいまの僕には何の力もないかもしれない。だが、札を奪われたのは僕の責任だ。例え何も出来なくとも、事の顛末くらいは見届けたい。それに―――彼女には、是非もう一度ぶってもらわないとね。そういう訳で、七代。どうかもう一度、考え直してはもらえないか?」 「……、……俺の傍から離れるなよ。それが条件だ」 「そうか……ありがとう」 「なら、ボクも行く!」 「輪?」 立ち上がった輪が「花札のことはボクにも責任があるし、絢人のことはボクが守る! だから、ボクも行くぞ!」と提案というより宣言する。 「仕方ない、な」 「じゃあ、あと一人は俺だな。忍者ッ子が香ノ巣の面倒みるんなら、お前のは俺が見てやるよ」 「お前は俺の母親ですか。…んじゃ、まあ、飛坂たちに連絡だけ入れておくか」 止められた発信をするために俺は通話ボタンを押した。 →九 |