4st-04 | ナノ

第四話 四


 つつがなく授業もHRも終わった放課後、俺は進路指導室にいた。
 ときどき学校内を散策しては要らなさそうなモノを拝借しているのがバレた、というわけではなさそうで、俺の向かいに座った朝姉えは「みんなと話し中だったのにごめんね」と少し申し訳なさそうに言った。

 朝姉えに進路指導室に呼ばれたときはちょうど燈治と穂坂の三人で話しているときだった。俺は「気にしないでください」と首を振ると少しだけ安堵してくれた。

「ふふふ、ダメね、気を抜くとつい家で千馗君と話してる気分になっちゃう。―――そうだ、今更だけど……同じ家に住んでる事、みんなには秘密にしてるの?」
「はい。…もしかして何か、あったとか?」
「そうじゃないわ。勿論、先生方はみんな知ってる事だけど、友達にはあまり言わない方がいいかなって思ったの。先生と一緒に住んでるなんて、転校してきたばかりなのに悪目立ちしそうでしょう?」

 先生全員が知っているとは知らなかった。面と向かって揄う人が牧村先生だったこともあって、学校側にも秘密かと思っていた。OXASがどんな風に俺の書類を鴉乃杜に送ったのか知らなかったが、確かに生徒がどこに住んでいるとかは把握しなければならないだろう。
 納得する以上に何も考えていなかった俺は、「もっとも、さっきの様子を見てたら余計な心配だったみたいね」と安心したような朝姉えの表情に不意を衝かれた。

「……ごめんね、千馗君」
「え」
「いままで担任としても、家族としても、あんまり話が出来なくて」

 言葉が出なかった。

 両親を亡くしたのはもう大分前で、引き取ってくれた叔父は甥に面と向かって「心配している」というような事は言わない人だった。以前、朝姉えは同じ屋根に住んでいるなら家族だと言っていたけれど、俺はその対象に自分も含まれていることを忘れていた。
 嫌煙されるより親しまれているだけでいい。そう思っているのは俺だけで、朝姉えの気持ちを考えていなかった。

 大人の、姉のような女の人が家族にいるってこんな感じなんだろうか。居心地が悪いのではなく、身の置き場がないようなそわそわした気持ちに知らず頭が下がっていたのを、朝姉えの咳払いでハッと上げた。

「という訳で、いまからはちゃんと担任教師だからね。それで、どう? 転校してきてしばらく経つけど学校は楽しい?」

 教師としてはテンプレのような質問に、俺も「はい」と模範的な解答をした。けれど嘘じゃない。封札師の仕事の一環としての学生生活だったが、今は本当に鴉乃杜に転校してよかったと思っている。

「そう、よかった。休み時間、楽しそうだものね。友達もすぐに出来たみたいだし安心したわ」

 それから勉強でついていけない部分があるかとか、質問をされては答えを返すことを繰り返していったあと、朝姉えは「ここからは、担任としても家族としても、同じように心配だから言うんだけど…」と一旦前置きをした。真剣味を帯びた表情に俺も背筋を今一度伸ばす。

「…千馗君、帰りが遅い日が時々あるわよね? 制服もよく汚してるし……。何か、危ない事をしてる訳じゃないのよね?」
「――今は、言えません」
「何か……理由があるのよね?」

 頷くしかない自分が不甲斐無い。心配してくれている朝姉えを、少しでも安心させてあげられるような上手い言葉が思いつかない。朝姉えはすこし考えるように沈黙して、俺の顔を見る。俺も視線を逸らさず朝姉えを正面から見つめていると、彼女はふっと笑った。

「……うん、決めた。私はあなたを信じるわ。あなたが何処で何をしていても私はあなたの味方になる。同じ釜の飯を食う仲……だもの」
「朝姉え、優しすぎますよ。そういうの、慣れてないんです」
「ふふ、そう? じゃあ、ご飯くらいは毎日家で食べてね。約束よ」

 たまに遅いとお父さんも寂しがっているからね、と言われて黙った。そういえば初めて会ったとき、「なるべく飯は家で食え」って言われたな。けど、いやあ、どう頑張っても清司郎さんが寂しがる姿が思い浮かばない。内心唸る俺とは逆に、朝姉えは溜息を吐いた。

「ふー、ようやく話せた。もっと早くこうしたかったのに本当にごめんね」
「全然そんなこと……あ、そういえば白が朝姉えにお小遣いもらったって」
「気にしないで、お小遣いって言ってもほんの少しなのよ。テレビのCMに出ていたお菓子を熱心に見ていたから。少しでも外出するキッカケになってくれたらって―――あ、結構時間経っていたのね。あまりみんなを待たせちゃ悪いし、もう行っていいわ。それじゃ、また後でね、千馗君」

 失礼します、と進路相談室を出る。
 燈治たちとは玄関先で待ち合わせすることになっているので、このまま1階にまで降りようとしたとき、職員室から牧村先生が出てきた。

「おや、七代。いいところで会ったな」
「俺、用事がありますので―――ぐえ!?」

 昨日は彼女の授業をサボっている。ここで捕まってさらに遅くなるのは避けようと踵を返した俺は、ぐいっと制服の襟首を掴まれた。燈治といい牧村先生といい、俺は猫か何かか。

「教師の顔を見るなり逃げるとは何事だ。こいつをキミにやろうと思ってたんだよ」
「――鍵? 司書室の?」
「何か調べ物があるときは好きに使うといい。本来は生徒に渡すものじゃないんだが……図書室関係だ。キミなら適任だろ」
「どうも」
「…ああ、それと、昨日授業をサボった罰に特別課題をつけてやるからな、楽しみにしてろよ」

 壇の奴にもそう言っておけよ、と牧村先生がニタリと笑った。





 待ち合わせ先の玄関に出ると、屯っている生徒たちのなかから手を振っている穂坂を見つけた。

「ごめん。待たせた」
「ううん、お帰りなさい」
「意外と早かったな」

 担任の呼び出しじゃ、もう少し長引くかと思ったんだけどよ、と茶化すように燈治が笑う。しかし「転校してきてある程度経ったし様子伺いってことでしょ」と1組の下駄箱から顔を出した飛坂に燈治の笑顔が仏頂面に変わった。

「それに、呼び出し=説教なのは、アンタくらいよ」
「ッたく、いちいち腹の立つ……。まあいい。千馗(コイツ)が来たんだ、行くとしようぜ」
「そういえば……何処に?」

 放課後は空いているかとお伺いされたところで朝姉えに呼び出されたので、詳しい話は聞いていない。何処に向かうにしても聞かないと動けないので、尋ねただけなのだが燈治は我が意を得たりという顔をして「ほらよ」と飛坂を見た。

 嫌そうに飛坂が「本当に分からないわけ?」と言って、行き先はドッグタグだと答えた。なるほど。実は昨日、アンジーの情報がないかと香ノ巣のところに行ったが生憎会えなかった。

「さすがね。というか、他に何処に行くと思っていたわけ?」
「カレー屋とか玩具屋とか」

 調合も武器も一揃えできる場所だが、飛坂には「ふうん。そういえば、蒐もよくサブリナルの方に顔出してるわよ」の別な納得をされた。蒐の被っている袋はサブリナルの紙袋だったらしい。そういえばロゴマークついてたような…。

「このままここに居ても仕方ないわ。本人(アンジー)を問い詰めようにもさっさと帰っちゃったみたいだしね。ほら、あんたたちもさっさと靴、履いちゃいなさい」
「了解、ボス」
「ボス……お前が、引っ張られてどうすんだよ」
「そうよ、七代君。ビックマムよ」
「そこは訂正しなくていいだろうよ!」

 この二人は本当に、喧嘩するほど仲が良い、よなあ、と下駄箱を開ける。するとなぜか靴の上に見覚えの無いカードが一枚乗せられていた。妙なマークが印刷されているメッセージカードだ。えーっと読みにくいな。

「―――ほうかご、屋上でまってます」
「あ?」
「何?」

 ほうかご、屋上でまってます。だけだよな。裏をめくってみたが、他には何もない。
 今朝にはなかったんだから、今日のことでいいだろうか、と唸っていると後ろから覗き込んでいた燈治と飛坂が訳知り顔で頷いた。

「……間違いねェな」
「……間違いないわね」