4st-01 | ナノ

第四話 壱


 いい天気だよなぁ。

 昨日降った雨がすぐに上がり、今朝から雲一つない快晴のせいかグラウンドの状態は良好。
 3時限目の体育は予定通りに1組との合同で男子は野球、女子は高跳びである。助走をつけてバーを跳び越える女子たちを見ると、クラスメイトだろうか「頑張ってねー」と手を振られた。

 同じように振り返しつつ、俺も高跳びが良かったなあ、と内心でボヤくと名前を呼ばれた。

「なーに、女子の方見てんだよ。七代。次の打席、お前だろ……おっ、打った!」

 俺と同じ白のゼッケンをしたクラスメイトの黒縁眼鏡くん、藤原が「おお、三塁と一塁は埋まった。さっきの入れば満塁だったのになぁ」と朗らかに笑う。同じようにはいかず、苦笑いだけを返すと「どしたよ?」と首を傾げられた。

「…いや、俺、野球の経験はほとんどなくてさ」
「へぇ、珍しいなあ。あんま人気じゃなかったんだ」

 いや、そこそこ人気あったけど俺が参加するタイプじゃなかっただけです、ハイ。

 自分が特異な眼を持つことを上手く隠せもしなかった小学生時代。そしてその延長線にある中学生時代で、あえて俺に話しかける奇特な奴はいなかった。大勢で遊んでいたら俺にしか見えない誰かが一緒に遊んでいたということもあるから、ひとりでいる方が楽だった。すると野球のようなルールが細かいゲームはとくに分からない。

 なんてカミングアウトをクラスメイトにできるはずもなく、曖昧に頷いておけば「ま、本郷も野球は素人だから気にすんなよ」と赤いゼッケンをつけた友人を指差した。

「ただ、壇は野球経験者だからウチは不利っていうイメージあんだよな」
「あいつ野球得意なんだ」
「詳しい事は知らないけど、中学まではしてたらしいな。…ま、理由はともかく、あいつ自身上手いし士気上げんのも上手だろ?」
「うんうん、中身も男前だもんな」
「……七代、それって誤解生まないか?」
「何が?」

 どんな誤解を生むというのか。訝しむ俺に「ま、ウチも七代っていうダークホースがいるし」と藤原が話題を戻すと、「七代! 打席に入れ!」と体育教師に呼ばれた。う、現実まで戻ってきた。バットを持って向かう初打席に緊張が高まった。

 打席に立った俺は集中しようとバットの柄を握って気づいた。
 もしかして《隠者の刻印》を使えば、バットの情報を引き出して上手くボールに当てることができたりしないだろうか。構えない俺に敵チームのキャッチャーがマスク越しに胡乱な目を向けるが少しの間だけ無視だ。刻印とバットに意識を集中させる。

 流れ込んでくるバットの情報。あとは必要な情報を選んで、と構えた。が、

「―――ストライクッ」

「七代、ファイトー!」
「頑張れ、転校生ッ」

「………」

 いや、いやいやいやいや!

 キャッチャーが受け止めたボールを「ナイスボール!」と声をかけて、ピッチャーに返すのを眺めながら俺は蒼然とした。動体視力はそこそこのつもりだったが、球種もろくにわかっていない俺には曲がる球とかまさに魔球。隠人が投げてくる岩石やビームの方が楽そうに思えてきた。

「七代、構えろー」

 バットを構える。
 キャッチャーからのサインに頷くピッチャーを見つめながら、俺は決めた。打つ。とにかく打つ。隠人の攻撃だと思えば打てないことはない。むしろそう思った方が気は楽だ。

 振りかぶるピッチャー…―――投げた!


 パァアアアンッ


 この場にそぐわない軽い破裂音。ボールを打った感触はあったはずなのに、ボールは忽然と姿を消している。どこに行ったんだと周囲を確認して気づいた―――消えたんじゃない。ボールは破裂したのだ。

「……や、…」

 やってしまった―――!!

 隠人を仕留めるつもりで振ったバットは、俺の思いが寸分狂わず刻印を通して武器化されていたのだ。

 中身が出て千切れたボールの残骸に顔を引きつらせる俺と、何が起こったのかわからず騒然としているクラスメイトたち。

「何だ…、今の…」
「なんか七代がボールを叩き割ったみたいに見えたぞ」
「まさか。バットは無傷だろ」
「――ぼ…ボールが劣化していたのかもなあ。新しいのをピッチャーに渡してやれー」
「先生、今のは……」
「無効……ってわけにもいかんから、じゃ、ボールなー」

 教師の指示に審判である体育委員がピッチャーにボールを投げる。

 やばいぞ。次も同じ結果になったら流石に怪しまれる。武器じゃない、武器じゃない。イメージだ。えと、ホームラン…ホームラン…ホームランしか浮かばねえ! あああ、俺の野球の知識が貧困すぎる!!

「よーし、はじめろー」

 ピィイと教師が呼び笛を鳴らし、キャッチャーのサインにピッチャーが頷く。

 そして、


 カッキィイイイ―――ン


 真っ白なボールが青空を切り裂いた。





「よーし、今日はそこまで!! 九回まではいかなかったが、点としては―――白組の勝ちか。転校生効果って奴か? それじゃあ約束通り、勝ったチームにはこれをやるぞー」

 そう言って、体育委員に持ってこさせたビニル袋を白組の一人にわたす。
 中身を取って回すように促した教師に生徒たちは一つずつ取っては回す。回されたビニル袋に手を突っ込むと、お酒のお供、おつまみイカが出て来る。「景品はこれでも、お前ら未成年なんだから酒は飲むなよー」と呑気に教師は言うが、チョイスがおっさん臭すぎる。

 なにか調合の材料……にはならないよな、多分、とおつまみイカの袋をポケットに突っ込めば、燈治が赤ゼッケンをカゴに戻してこちらに来た。

「………」

 何となく何を言われるのかわかって逃げる前に首根っこを掴まれる。ぐぇえ。

「締まる、締まる!」
「何も言ってねェのに逃げるってこたァ……お前、妙にホームラン打ってたけどよ」

 野球経験が乏しいのは燈治にバラしている以上、俺が打席に立つ度に戦略も何も関係なくホームランを打ちだしていたのがおかしいくらいわかってしまうだろう。観念して俺は封札師の力で引き出した情報でホームランしか打てなかったのを告白する。

 怒るだろうか。恐る恐る首根っこを掴まれた苦しい体勢で首だけ振り返ると、燈治は怒るよりも納得しているようで、「悪ィ、掴んだままだったな」と手を放してくれた。

「ふうん、ボールが破裂したのもそれか、なるほどね。案外不便なんだな、それ。…あ? お前、その割にボーガンみたいな武器とか輪っかみたいな武器使いこなしていたよな?」
「多分、元々武器だから武器以上の情報はないし、射撃に関しては少し齧ってるから相性がいいみたいなんだよ。竹刀になると俺ド素人だし」

 緻密かつ精巧な情報とはいえ、知っているのと経験とは違うということだろう。
 長英と一緒に洞に潜った際には、なるほどコイツはスゴいと思わず拍手したくらいだ。隠人化していた時に長英が札を使いこなせていたら多分俺は負けていただろう。

「今後のためにも、長英に剣道の稽古でもつけてもらったほうがいいかなあ」
「止めはしねェけど、アイツ、指導はじいさん譲りで結構鬼だぞ」
「う、鬼…は、嫌だなあ。あ、燈治も習ってたんだよな?」
「そうは言っても、もう大分長物なんて握ってねェからな……俺は拳で好き勝手やってる方が性に合うんだ。そういうのは勘弁してくれ」
「ふうん…。けど、お前って教えるの上手だから合うと思うんだけどなあ」

 部活の顧問とか似合いそうだ。
 燈治は「お前からはそう見えんのかねェ」と首の後ろを撫でた。お、なんだ、照れてんのか、とからかったらスパンッと小気味よく頭を叩かれた。

「お前の照れ隠しは痛いっつーの!」
「照れてねェよ、呆れてんだ! ったく、お前は鋭いだか鈍いんだか……」
「あ、七代くん、壇くん」

 穂坂の声がした方向を見る。穂坂の隣には飛坂もいる。

「試合、見てたよ。二人ともカッコよかった!!」
「おう、サンキュ」
「黙って野球やってる分にはねえ」
「どういう意味だよッ。―――ん? 穂坂、どうかしたか? 足庇ってんじゃねェか」
「え……?」

 燈治の言葉で俺と飛坂が足元を見る前に、穂坂が「あ、う、ううん。大丈夫だよ」ブンブンと首を振った。
 大丈夫ということはつまり怪我をしたということのではないか。何処が痛いんだ、と訊く前にふわっといい香りがした。

「弥紀、さっき捻ったでショ。ぶつかった子が気にしないよう我慢してるネ」

 アンジーがいた。