蝶の羽音 | ナノ

閑話《七》


 鬼印盗賊団が拠点として構えている寇聖高校の一室は、1クラスは入りそうなくらいに広い。
 しかし部屋の半分は乱雑に置かれた戦利品で埋まり、もう半分はキャビネットが置かれ整理整頓がなされているが最新鋭の機材や機器も相まって部屋の印象を狭めている。唯一、鬼印盗賊団のエンブレムがプリントアウトされた幕だけがその存在を主張していた。

 その部屋のいわば玉座であるソファーで、アンジーは御霧と作戦会議をしていた。

 とは言うものの御霧は、アンジーが急に立てた潜入工作計画には気が乗らないらしく(けれどアンジーと彼らの頭目が乗り気である以上阻止するのは無理だと判断して)ブツブツと「なんでこんな無茶を押し通さなきゃなんないんだ」とか「いつも、こっちの計画をまるっと無視しやがって」とか半ば恨み言を零している。
 それでも計画を形にしようと苦心している彼の姿に、アンジーは多少の恨み言など意に介さずニコニコと彼の作戦という名の注意点を聞いていた。

「カラス共は甘い連中だが、油断はするなよ。向こうには封札師だけじゃなく、札憑きと呼ばれる人間が四人確認されている」
「ミギーは心配性だネ! それはもう何度も聞いたヨ!」
「何度も言い聞かせたところでお前らは、面白いとかいう理由で今まで散々ぶち壊しにしてきただろうがッ!」
「Vaya(あらあら)、ミギーってばそんなに心配性だと皮がズルッと剥けるヨ?」
「意味が分からん上に怖いことを言うな! はぁ……これが例の七代千馗だ」

 盗撮した何枚もの写真には、一人の少年が何度も写っている。
 新宿や歌舞伎町、カレー屋での写真は、御霧が抱える団員が撮影し転送したものだ。その一枚を手に取ったアンジーは友人らしき人物と笑っている姿に碧い瞳を細めた。

 七代千馗。つい1ヶ月ほど前に封札師になった少年。
 御霧の調査によれば、彼は幼い頃に両親を失って叔父に引き取られたものの、その不思議な力を持っているゆえに学校内で浮いた存在だったらしい。不思議な力を持っていたから捨てられ、偉大な魔女であるAbuela(おばあちゃん)に育てられたアンジーは彼の境遇に少しだけ親近感を覚え、興味を持った。

「まあ、お前にとっては日本人なんてそう区別つかないだろう。見分けるならとにかく片方だけ嵌められた黒い手袋だ。それだけ覚えていればいい」
「七代の手袋と、ミギーの眼鏡は一緒ってコトだネ」
「…………」

 ビシッと御霧の額に青筋が浮かぶのが見えてもアンジーはやはり怯まない。
 御霧も殺意まで見え隠れする怒りの視線にもろともしないアンジーに溜息を零す。

 今度の作戦で唯一利点があるとすればアンジーが“こういう性格”であることだろう。

 後ろ暗いと指さされることでも、自分の目的の手段になると思えばアンジーは揺るがない。自分は自分、他人は他人とキッパリ割り切る性格は御霧にとって扱いやすい人間だ。
 しかし彼らを束ねる頭目と共通する、面白いことには目がない性質は破綻しかねないとも思う。まさに諸刃の剣であるアンジーに御霧は口をすっぱくして言い続けた忠告をした。

「いいか。余計な興味や関心は持つなよ。札だけ奪ってさっさと戻って来い」





「ふざけんなお前ら、中学生か! もうちょっと考えろ!」

 そう怒鳴ってアンジーの周囲に群がっていた男子生徒たちを追い出した少年は、静まり返った教室を居たたまれなさそうに出て行った。アンジーの前に座っている女生徒の机に男子生徒のひとりがぶつかったからだろう。だって少年、七代千馗は自分の机や椅子に人がぶつかってもそれまで何も言わなかったのだから。

 あ、と追いかけようとした女生徒は「早めだが席につけよー。…なんだ、七代と壇はサボりか?」と眼鏡をかけた女教師が教室に入ってきたことで押しとどめたようだ。ずれた机を直し、席に座った彼女にアンジーは小さく声をかけた。

「ごめんネ。アンが止めればよかったネ」
「ううん。アンジー…さんは、気にしなくていいよ」
「アンジーでいいヨ」
「あ、私は穂坂弥紀です。よろしくね、アンジー」

 弥紀と名乗った少女が、千馗と親しくしている人物の一人として御霧に説明された相手だったことに気づいていたのは少し経ったあとだったが、アンジーが詳しく聞き出す必要もなく人のいい弥紀は千馗について色々と教えてくれた。とはいえ、封札師であるという部分は綺麗に伏せられているので御霧以上の情報ではない。

「七代くんはそうだな、不思議な人かな。目が離せなくなる感じかも」

 しかし、弥紀という少女が千馗に対する印象は御霧の情報からは得られなかっただろう。
 それからは弥紀に謝りにくる生徒や、アンジーをひと目見ようとする生徒にそれとなく七代の印象を訊ねてみた。

「七代? ああ、あの一匹狼だった壇と仲いいよな。転校初日からだぜ?」

「いつも黒い手袋してるよな。怪我でもしてんのかな?」

「あー、変わり者とピンポイントで親しいわよ。あの宝方くんとか」

「英語の時間にロミジュリやられた時はすごかったよな」

「真面目に授業受けてるかと思ったら、結構寝ていたり、サボッたり」

「実は顔イイから隠れファン多いのよ!」

「生徒会の裏番じゃなかったっけ?」

「人がいいのかな? 図書委員じゃないのに、よく牧村先生に手伝わされているよね」

「そういや前、歌舞伎町で見掛けたな。女の子と一緒だったから彼女かと思ったけど、小さいし多分妹かな」

「ウチの部長が落ち込んでいたとき、喝入れてくれたんスよね。いい人じゃないんスか?」

 千馗自身の交友関係はそう広くないが、彼が関わる相手が學園内でも知名度のある人物ばかりであるために千馗は転校生であることを差し引いてもそこそこ有名だった。しかも彼の印象はどうやら好意的なものが多い――と、伝えたアンジーの耳に『お前は一体、何を、俺に報告してるんだ!』という御霧の声が届いた。

『大体、今、何処で電話している』
「鴉乃杜だヨ!」
『俺は何度も、油断をするなと……』
「もちろんしてないヨ。アンはBRVJAだから、ちゃあんと対策は練りこんであるヨ!」

 鼻腔をくすぐる甘い甘い花の香りが漂う。

 頭を芯から蕩けさせる匂いに、アンジーの周囲にいる生徒も教師も、アンジーが堂々と携帯電話で御霧と連絡をとっていても気にも止めずに通り過ぎる。アンジーは多くの人間に千馗のことを訊ね歩いてはいるが、相手は誰が何を質問したかさえ覚えていないだろう。

 Abuelaから教わった薬の調合は、ほとんど副作用が残らない精神安定をもたらす香りだ。
 その香りを情報として花札の力をくわえさせることで、アンジーはほとんど脳内に情報を描くことで魔法の香を鴉乃杜に巡らせていた。いかに札の気配に敏感な封札師であろうとも、集中力と思考を奪われてはアンジーの魔法にはそう簡単に気づかないだろう。

 むしろ、簡単に籠絡してくれるんじゃないかとアンジーは思っていたが、

「フフッ、実はね、ミギー。さっき、七代千馗と話したんだけれどね」
『……お前らは本当に俺の言う事を聞いているのか?』
「いつものコトだヨ!」
『お前が言うな! ったく……それで、何か情報は引き出せたのか?』
「ウウン。ちょっと失敗しちゃっタ。意外と手強くて楽しいヨ」

 惑わされそうで、惑わされなかった千馗。
 封札師足らしめた彼の素質(チカラ)に負けたなんて、アンジーは思わない。ただ簡単に落とせなかったことが楽しい。面白い。

 間近で見た千馗の瞳は、暗闇みたいな黒なのに夜空のような輝きを持っていた。
 不思議な眼と黒髪(ブルネット)を持ったMAGO(魔法使い)との対決にアンジーの心は踊る。

「明日の勝負はアンが勝つヨ」
『――わかった。ただ、最後まで油断するなよ』
「ウン!」


 御霧との通話を切ったアンジーは、独り傘をさして帰る千馗を窓越しに見つけた。

 ――大切なモノを護る為なら人はいくらでも強くなれる、だよネ、Abuela。

「だからアンは負けないよ、千馗」



 ひらりと黄金の蝶が舞った。




の羽音