宝方と別れ、1階の購買部に入ると、「おーい、七代」と声をかけられた。 辺りを見渡すと食堂に入って来た男子生徒二人が「こっちこっち」と手招きしている。茶髪に染めた男子生徒と黒縁に赤いラインの入った眼鏡の男子生徒は、俺が近づくのを待ってから食堂の入口に重ねられているトレイを一枚取った。 「ひとりなら一緒に食堂で食べない?」 「お、マジで。いいのか?」 昼飯を誘ってもらえるなんてラッキーだな、と俺がワクワクしたら、眼鏡男子は「え、いいの?」となぜか少し驚いた。 …何で。もしかしてからかっただけかよ。 俺が唇を尖らせると「いやいや、いいんならマジで一緒に食べようぜ」と茶髪男子が俺の肩に腕を回して引っ張ろうとする。眼鏡男子も「食堂のオススメ教えてやっからな」と俺の背をバシバシ叩いて促した。 ラーメンを食券と引き換えてトレイにのせる。 この頃には食堂の混雑は酷くなっていたが、眼鏡男子が三人分席を取っておいてくれたので、二人分の定食をもった茶髪男子と楽に座れた。 眼鏡君は藤原で、茶髪は本郷と名乗った。二人ともクラスメイトだったらしい。が、よくよく思い出せば藤原は、羽鳥先生がHRに間に合わない方にカレーパンを賭けていた彼だ。 「もうすぐ一ヶ月だけど、どう? 七代はもう学校慣れた?」 「まあ、そこそこ。そういやさっき、なんで驚いたわけ?」 誘ってくれたのは嬉しいが引っ掛かる反応は気になる。藤原にじとっとした目を向けると「あー……いや、怒るなよ」と眼鏡をかけ直した。 「壇の、舎弟なのかなぁって……もしかしたら購買部にいたのも壇にパンを買ってんのかと思ってさ」 「はあァ?」 「ほら、やっぱり七代が壇を舎弟にしてんだよ」 「それも違うっての!」 お前らの目は節穴か、と麺をすすると「だってアイツって一匹狼のイメージがあるし」と本郷は定食の味噌汁に箸をつけた。 一匹狼ねえ――けど、穂坂や飛坂と仲がいいじゃないか、と振ってみれば「でも最近まで穂坂とそれほど喋っているの見たことないぜ」と返した藤原が、行儀悪く俺を指差す。 「むしろ七代が来てからだぜ? あの二人が話すの見かけるようになったの」 「ウチの会長さんはどっちかっていうと怒りに来てるだけだったしな」 「……ふうん。でさ、聞きたいことあるんだけど」 「あー、別に教室は気まずくなってねえよ?」 本郷の察しは嬉しいが、あっさり図星を指されてどう答えていいか迷った。 俺が一時追い出した生徒たちのなかには不快に思った奴もいたらしいが、穂坂にぶつかった生徒は後で直接謝りに来たのだという。穂坂のことだから謝られて雰囲気を悪くするなんてことはまずない。よかった、とこぼしたら「いやあ、あんまり良くねえかもよ?」と藤原は苦笑いした。 「お前と壇が抜けた授業、牧村のだぜ? たっぷり灸を据えてやるっていい笑顔してたぞ」 「げえ…勘弁してくれよ。あの人、イジメッ子だろ」 「牧村にならイジめられてもいいな、俺」 ボソリと呟いた本郷のせいで俺と藤原に微妙な空気が流れた。 「………」 「……まあ、本郷はちょっと牧村に毒されているからな」 「彼女いるくせに、パツキンに燃えていたヤツに言われたくねえよッ」 「好きかどうかはともかく、あのはち切れんばかりの身体に燃えない男はいねぇだろうよ。な、七代!」 「確かに――…男の性(さが)って奴だよな!」 ぐっと固い握手を藤原と交わしたら、傍にいた「男子ってサイテー」と女子に言われた。 食堂から教室に戻ると、なかに残っているのは半数も居なかった。ほとんどが藤原たちと同じように食堂や購買部に流れているようだ。燈治はあれから戻ってないし、穂坂も飛坂と昼食をとっているのか鞄だけが残っている。 ただ、アンジーだけが俺を待っていたかのように自分の席にいた。あれだけ彼女に群がっていたはずの喧騒も今は凪いでいる。まるで魔法でもかけられて彼女のことが見えていないみたいだ。 まさか札を持っていたりするのか、と探るようにアンジーを見てしまうけれど、輪や香ノ巣の時みたいな札独特の気配は彼女から感じない―――というか集中できない。 頭に薄く靄がかかるような、いい気分になる。 「Hola(オカエリ)、七代。もう戻ってこないかと思ったヨ」 「えと、アンジーは……」 「アンでもいいヨ! えーと、七代は」 「千馗」 「Si、千馗。―――千馗、あの時はヒーローみたいだったネ!」 あの時? ……ああ、とようやく頭を働かすことができた。 「けど、俺、居たたまれなくなって逃げたんだけど」 アンジーが言うのは、4時限目が始まる前に群がる生徒を追い払ったことだろう。 まさかそれを“ヒーロー”だなんて、何を言い始めるのだと思いつつ席に戻って腰掛ける。すると、にゅっと細く長い指が机にかけられるのが見えて顔を上げれば、湖畔の色を湛えた碧の瞳とぶつかった。 「でも、弥紀が困っていたのを助けたでショ? あのあと、アンの周りにいたヒトも弥紀にごめんネって言ってたヨ」 「そっか。よかった」 「フフッ、鴉乃杜(ココ)のヒトはミンナいいヒト! ミンナ、アンに親切にしてくれるヨ。学校のコト以外にも色々教えてもらったノ」 じり、と陰りが増えてアンジーとの距離が縮まる。 親密とも言える距離感にためらう暇もなく、アンジーは楽しげに言う。 「例えば、同じ転校生のセニョールのコトとか! 色んな噂、あるみたイ? 下の学年にもファンがいたリ? 面白いヒトだね、セニョール。ホントのセニョールはどんなヒトなのかな? 興味が出て来たヨ」 また、ぼんやりとしてくる。 それがすぐ目の前にある甘い匂いだとようやく気づいた。 花の香りが混じった、たぶん香水だと思うけれど、そんな香りがアンジーからする。いや、もしかしたら教室中にこの香りは漂っているのかもしれない。 襲ってくる、眩暈にも似た陶酔感を振り払うために俺は会話に意識を集中させた。 「興味?」 「うんうん、アンはもう興味津々だヨ」 「けど紙袋被ってないし、リーゼントでもないぞ?」 「アハハ! 面白いコト言うネ、千馗。でもそういえば、さっき袋が歩いていくのが見えたヨ。もしかしてアレって……覆面ヒーローだったのかナ?」 「どうかな。少なくとも、四角限定のヒーローだと思うけど」 「――ウウン、千馗にはextrano(フシギ)がいっぱい?」 ことりと首を傾げられて苦笑だけ返すと、アンジーはようやく身を離した。 「もっともっと、セニョールの話聞いてみないとネ? 水の音が立つ時には川がアル。火のない所に煙があるか、探してみるヨ、セニョール!」とアンジーは楽しげに告げると教室を出て行った。 鍵さんの予報は当たった。 昼休みを過ぎた頃から雲行きは怪しくなり、下校になったときにはポツポツと雨が降っていた。今日は生徒会がないという飛坂と混じって玄関先に出ると、燈治が「うわ、本当に雨かよ」とうんざりした声を上げた。1階の下駄箱から靴を履きかえた飛坂が「弥紀、送るわよ」と、紫紺の折り畳み傘を出した。 「ありがとう、巴」 「飛坂、本当に準備がいいな」 「お前ら……なんで持ってんだよ」 「折り畳み傘くらい教室に置いておけるでしょ」 改めて、さすが飛坂と感心すれば「むしろ七代君が、ビニル傘をわざわざ持ってきている方が不思議じゃない」と言われて口を噤む。とりあえず、居候先の人に勘のいい人が居て雨が降るかもって言われたからだと説明すると「案外、そういうのを信じるタイプなのね」と頷かれた。 「…で、燈治はどうすんだ。俺が送っていこうか?」 「あのな、今朝の話を蒸し返す気か? なんで男の傘に…」 「じゃあ飛坂の傘に…」 みなまで言わせずに燈治と飛坂が「却下」と声をハモらせた。 「ってか、七代君ならまだしも、なんで壇を入れなきゃなんないのよ」 「俺も飛坂の傘に入るくらいなら千馗の方がマシだってェの! なんで怖ェ女の傘にぐうッ!?」 「弥紀、行くわよ。じゃあね、七代君」 「あ……じゃ、じゃあね。七代くん、壇くん」 折り畳み傘を広げた飛坂に促されて穂坂が手を振る。そっちも気をつけて、と手を振り返したあと、爪先を踏まれて悶絶している燈治の肩を叩いた。 「燈治、大丈夫か?」 「と…飛坂の、やろう……」 「まあまあ」 「くそッ……――それで、どうすんだ? 行くなら付き合うぜ」 「いや、今日は止めとく」 洞のなかで動いたあと、雨に体温を奪われる可能性がある。 適当に散策をしてから居候先に帰ると告げると、「わかった。けど、行くんなら連絡入れろよ」と燈治は小雨のなか、薄い鞄を傘代わりにして出ていく。小走りで消える背に、風邪引くなよとだけ声をかければ片手が挙げられるのが見えた。 「じゃ、俺も行くか」 バサリと音が鳴ってビニル傘が開く。 洞に行くつもりはないが、俺と同じくして現れた時期外れの転校生のことは気がかりだ。あまり拘泥するのも良くないのは分かっている。しかし、アンジーとの会話には何か引っ掛かりを感じていた。 この雨で空振りに終わるかもしれないと思いつつ、俺はドックタグに向かった。 後ろから、仄かな話の香りが追ってくるような気がした。 →第四話へ |