ビニル傘の柄の部分を持ってくるりと回す。 大した技量もいらない傘を回転させるだけのことは、さすがに高校生にもなった男がすることかと思う。けれど、幸いにも大通りに出た通学路に人の姿は多くないし、ほとんどは携帯電話などの電子機器に夢中でこちらなど注目していない。それに傘があると自然とこうするのが癖だった。 手持無沙汰な時間を潰す相手は対外、小石とか傘とか―――呼んでもないのに、たまに視える変なものくらいだ。 高校生になってからは叔父が俺を自身のフィールドワークに巻き込むようになったが、小学生や中学生の頃なんてほとんど構ってもらえなかった。叔父にくっついて海外へ行っても、いわゆる現地妻という女性に相手してもらうか、よく分からない叔父の扱きに痛い目を見るか、変なものに追いかけられるかの三択だった気がする。 皮肉なもんだ。 友達もできて学生らしい生活をようやく送っている気がするけれど、それって封札師になって潜入しろと言われてからじゃないか。 根っこではこうやって傘を回した一人遊びが抜けきらない。 だから後ろから名前を呼ばれ、しかもそれが聞き慣れた声だったから、俺は幻聴だと思った。 センチメンタルな気分になったからってそんな馬鹿な、と自嘲して傘の柄から骨組にまで手首をつかって回しながら歩を止めずにいたら、ビシッと後頭部に衝撃。 「―――ッなにしやがんだ!」 「さっきから呼んでんのに無視してんのはお前だろうが! 聞こえてなかったのか!?」 「うお…、燈治」 「本当に聞こえてなかったのか? お前、どんだけ夢中になってんだよ、傘回しに……」 「俺は一人遊びが上手なの。つか、ここで会うなんて珍しいな」 HRには余裕で間に合う通学路の途中で燈治に会うなんて、珍しいこと続きだ。 朝姉えのことからはじまって此処までの偶然に、本当に雨が降るんじゃないだろうかと思えてくる。まあ折角だからこのまま鴉乃杜に行こうとしたら「おーい!」と後ろから掛け声が聞こえて、振り返れば目を凝らすまでもなく竹刀袋を背負った長身の知り合いは一人しかいない。 「燈治先輩、なして先に行くんじゃ――…おおッ、千馗先輩じゃ! おはよーございやーす!!」 「もう追いついてきやがった…」 「おはよ、長英」 先日、長英と輪を同行して洞に潜ったときから二人とも俺を名前呼びである。なんでそうなったか。俺が輪を名前で呼んでいたからと事の発端はそうらしいが、よくわからん。 「朝から元気だなあ」 「何じゃ、千馗先輩。調子悪いんか!? わかった! 朝飯食ってないんじゃな!!」 「朝からお前のテンションについてける奴も少ねェよ……」 「とかいいつつ、仲良く登校してたんじゃん。ツンデレは今日も絶好調か」 「バカ。こいつが、剣道部の朝練がねェからって、俺んちまでわざわざ迎えにきたんだよ」 何が悲しくて男と連れだって登校しなきゃなんねェんだよ、と愚痴るが俺にしたら贅沢な悩みだ。 「よく行ってんのか?」 「燈治先輩のおかんに頼まれとるんじゃ。先輩、ここのところ、遅刻したり、中抜けしたりしてるけェ、見張っといてくれって頼まれたんじゃ」 「ああ、なるほど」 「あ、あのババア、余計な事を……」 「ふうん。じゃあ、俺が迎えに行ってやろうか?」 「は?」 俺にも責任の一端があるようなもんだし。羽鳥家のタイムスケジュールと登校時間までの空き時間を常に鴉羽神社で潰すのも限界がある。それに燈治の遅刻が経れば、朝姉えも心配事が減るだろうし。 結構いい案だと思ったが、燈治はそうじゃなかった。 「あ、あのな。俺はまず、こんなんは金輪際ゴメンなんだよ! ったく、このおんどり野郎ども」 「お、おんどりィ!? 失敬じゃの、先輩。家のニワトリより、わしの方が早起きじゃ!!」 「ん? 長英、怒るのそっちなんだ?」 「っていうか、家にいんのかよ」 「最近、飼えなくなった言う道場生からもろうたんじゃ。サチコさんとウクレレ言うて、可愛いんじゃコレが。わしが朝の世話をして、寝てるところを起こしてやるんじゃけ」 「……へええ〜。そうなんだ…」 ネーミングに統一感がないのはどうしてだとか、お前は鶏より早起きなのかとか、どんだけーだ宍戸家。俺のツッコミなんて挟む隙もない。 「…………。……そうか。輪の奴を最初に見た時、妙に違和感がなかったのは、同じうっとうしさをした奴が身近にいたからか…」 「な、何言うんじゃ、先輩!!」 「なんつーかよ、似てんだよな……。そう思わねェ?」 振られて考えてみる――思い出したのは先日での洞のことだ。 現代の忍者と侍のコラボレーションとかワクワクするなあ、と同行者に輪と長英を誘ったのだが、思わぬ方向に探索は流れだした。 「侍より忍者の方がすごいんだ!」 輪のその一言に長英が反応しないわけもなく、どちらがより強いかという討論が勃発。流石に二人の血を見るまでには至らなかったが、どちらがより俺の同行者として役に立つかというよくわからない勝負をし始めた。 「こんな雑魚、ボク一人でも大丈夫だぞ!」 「千馗先輩の背中は、わしがきっちり護るんじゃ!」 「ボクの邪魔をするなよ!」 「なんじゃと!?」 洞の春の陽気にまったくそぐわない険悪ムード。 双方のリスペクトしているものがぶつかり合ってしまい、折り合いはつかず収束もしない。おかげで隠人はいつもより早く片付いたが、チームワークはガタガタ。 最後には二人の攻撃が飛火した俺がプッツン切れて、「どっちが強いかが重要じゃねえだろうが! つか飛火してんだよ!」と二人に拳骨を見まいして強制終了をするという情けない結果だった。 「ハハハ…、否定できない」 その時のことは知らない燈治は我が意を得たりと満足そうに頷いた。 「だろ? このうっとうしいところとか相当似てるよな……」 「な、何言うんじゃ!! あがァな小型忍者より、剣術家のわしの方が数段早起きじゃけ!!」 「小型って何だよ……」 たぶん、悪気なく長英が「小さい」と言ったことに気を悪くした輪が「お前みたいなのを、ウドンの大木っていうんだろ!」と噛みついたからだ(つか、ウドの大木だから)。 「―――と、もうこんな時間じゃねェか」 「おお、わしゃ日直じゃけ、遅れたらやばいんじゃ!!」 「お前な……そういう事は先に言っとけってんだよ。しょうがねェ。走るぞッ!!」 3階の階段で長英と別れて4階に入ると、いつになく廊下が賑わっていた。 何なんだろうと燈治と顔を見合わせつつ、3年2組の教室の扉を開ければ廊下と大差ない賑わいができていた。 「おいおい、聞いたか? 転校生の噂!」 「聞いた聞いた! スゲェのが来んだろ?」 「マジでびっくりしたって! もうどこのモデルだよって感じで―――」 端々で聞こえる声の内容からするに、どうやらまた転校生が来るらしい。 席に着いた燈治が「転校生つったって、ウチにゃ来ねェだろうによ」と椅子を傾ける。だよなあ、と俺も頷いて鞄とビニル傘を机に引っかけていたら、隣の穂坂が「……それがね、またこのクラスらしいの」と教えてくれた。 「はァ!?」 「うわ、珍しっつうか異例というか…」 今日はこういうのが続く日なのかもしれない。 「時期はずれの転校生、再びか……。どうも怪しくねェか?」 「仮にそうだとしても、昼日中の学校では何もしてこないだろ」 「ふぅん。さすが、一人目は言うことが違げェな」 「うっさいわ」 「けど、転校生が二人も来るなんてなかなかないものね。うーん……ちょっとお得な気分かも」 「お得って……。そうかァ?」 燈治は訝しむが、教室の雰囲気を見ていると穂坂の言葉は的を射ている気がする。ちょっとした特別なこと、非日常が舞い込んでくるかもしれないことに期待しているようだ。 「だって、いまになってもう一人クラスメイトが増えるんだよ? 何だか嬉しいな。七代くんが男の子だったから今度は女の子かも……。ね、七代くんもそう思わない?」 「どっちでも変わんないんじゃないか?」 「え?」 「穂坂だって、俺が男でも女でも話しかけてくれただろ」 「俺も面白い奴ならどっちでもいいけどな」 「ふふ、そうだね。新しいクラスメイトだものね」 穂坂が頷いたところでタイミングよくチャイムが鳴った。 →参 |