吐きだした息に混じる自分の声が耳触りだと思った。 ゆっくりと睫毛を震わせて目を明ければ、障子窓からもれる青白い光が差し込む。目覚まし機能も兼ねた携帯電話に手を伸ばして時間を確かめる。思ったより外は暗いけれど、早朝を知らせる文字が刻まれているのを確認してから元の場所に戻して寝返りを打った俺は息を呑んだ。 「まだ清司郎は起きておらぬ」 もちろんあの娘もな、と枕元に鎮座している白が、蒼い闇のなかで淡々と告げる。 うん、と頷き、どうかしたのか、と遅れて脳に届いた疑問を口にすると「どうかしているのは其方の方じゃ」と白が不機嫌に言う。俺がどうしたっていうんだ。口も目も開けるのも億劫になってきた俺の耳に白の言葉が落ちる。 「最近、寝ておらぬではないか」 「……現在進行形で、…寝ているだろ」 「夜中に飛び起きているような調子でよくそんな口を利くわ」 「……。……心配してくれるんだ?」 ニヤと笑ってもう一度寝返る。 「! ば――自惚れるのも大概にしやれ!!」 背中に飛んでくる白の言葉にクツクツと嫌な笑いをしてみせたが、彼女はそれ以上言わず、俺も笑えもしなかった。 確かにここ最近、寝つけていない。 俺が白や札の気配が分かるように、白も俺がどんな状態なのかを把握しているのだろう。鍵さんや鈴の持っている氣の流れを読み取るものと同じかはわからないけれど、白は俺限定でほぼ正確に読み取っている。 いつも最後が変わらない夢。生温かい血が身体に染み込んで、そのまま心臓から体温を奪われ、頭は焦りと恐怖に追い詰められ息苦しくなる。そして俺は、こんなことを望んでいたわけじゃなかった、という気持ちでいっぱいになって目を覚ます。 それが何度も続いては自然と眠りは浅くなり、深くなった時はあの夢が強制終了をぶちかますのだ。 洞に潜り、頭を働かせるためにも身体は睡眠を欲している。怖い夢を見たからとすがれる年齢はとうに過ぎたんだからと弛緩した身体に合わせて呼吸を深くしようとするが、ぺたりと額に触れた温度に瞼が開いた。 「……白」 「具合の悪い人間にはよくこうするのであろう? …まあ、一応……貧相ではあるが、其方は…執行者じゃからの。札を集めてもらわねば、困る………笑うな!」 白が肩の震えている俺に機嫌を損ねて、額に当てている手を外そうとする。 それを、手を上から覆うことで留めさせた。肩越しに白を見上げれば、むっつりとしている。本当は熱を計るために額に手を当てたりするのだと教えてあげた方がいいんだろうけど、放しがたかった。 …怖い夢を見たからとすがる年齢はとうに過ぎているんだけどなあ。 言い聞かせた言葉をもう一度舌の上で転がす。 小さくて体温の低い手をたよりに、今度こそ俺は睡魔を呼び寄せた。 冬の足音が聞こえる境内は、枯葉が薄く石畳を隠している。 今朝は朝姉えが学校から急な呼び出しを受けたということで、それについて話題にはなったものの、やはり少し静かな朝食だったのは間違いない。ただ清司郎さんがいつもより口数が多かったのは俺たちに気を使ってくれたんだろうと思えば嬉しくて、調子に乗って境内の枯葉掃きもやらせてもらっていた。 しかし、カサカサと色づいた落ち葉を集めるのは結構根気がいる。 広くはないが狭くもない境内、「石畳だけでも綺麗にすればいい」と清司郎さんに言われたときに、それくらいできますよ、と言ってみたが……うまくいかない。石畳の線に沿えばいいのかと思考錯誤をしていたら白がマシュマロの袋を片手に現れた。 「其方いつまで掃いておる。まともに掃けぬか……嘆かわしい」 「箒の扱いが一流なのが執行者なのかよ」 「それすらもできぬのかと問うておるのじゃ」 「この間、掃除機にビビってたくせに……」 居候で部屋に埃を溜めるわけにはいかないと掃除機を借りてコンセントにつなげていた俺を白が見学していたのだが、電源を入れた瞬間の驚きようは例え方が難しい。一瞬、鴉じゃなくてハリネズミみたいな毛の逆立て方をしていた。しかも音が気に入らなかったみたいで「騒々しい!!」と言って、掃除機を片付けるまでは帰ってこなかった。 テレビは好きで掃除機は煩いとか、子どもっぽいとちょっと笑ったのは内緒だ。 「ふん、口答えだけは一人前かえ」 「あー、もー、悪かったって。…で、どうした? マシュマロくれんの?」 それとも手伝ってくれる、わけないわな。 片手は袋、残った一方にはやわらかそうなマシュマロで埋まっている。 ぽんぽんぽんと景気よく口のなかに入れていた白は「其方にやる菓子なぞないわ」と取りつく島もない―――かと思ったが、すすすっとこちらに近づいてくる。何やら眉を寄せて神妙な顔をしている白と対峙すること数秒、彼女は「…どうしてもと言うならやらんでもないぞ」と言った。 なんか意外……朝子姉が早くに出たから雨が降るなんて言っていた本人も、雨が降りそうなことを言っている。もしかしたら明け方での事を気にかけているのかも。 どちらにしても折角の申し出を断る理由はない。俺は、うん、ちょうだい、とてのひらを出した。 「…本当に食べるのかえ?」 「くれるんだろ?」 「――し、仕方のない奴じゃ」 コロンと1個だけ白い綿のようなマシュマロを貰って口に入れる。 モチモチとした食感はすぐに舌の上に溶けて消える。食べたような、食べてないような。もう1個と催促したら「調子に乗るでないわ」と言われた。ケチ。 それで境内に現れた理由を改めて訊いてみると、腹ごなしがてらに歩きに来たらしい。 マシュマロ食べながら腹ごなしと言われても説得力がないのだが、一応納得したことにして箒を再び動かしていると「くくっ…精が出ますねえ、坊」と鍵さんが現れた。若干肩が震えている狐の神使の横にはニコニコと笑みを浮かべた狛犬の神使が「七代さま、白さま、おはようございますなのです」と頭を下げた。 「おはよう、鍵さん、鈴」 「う、うむ。今日も変わりないかの」 「…ええ、ええ。こちらは特に…ぶふっ」 鍵さんはバッチリ今までのことを見ていたらしい。 珍しいものを見させていただきやした、と何がおかしいのか爆笑している鍵さん。もしや今まで人に見られることがなかったせいで結構笑ったりするのを誤魔化せないとか―――あるいは白をからかっているのか。ギロリと睨んでいる白に顔を背けて鍵さんはようやく笑いを噛み殺す。 「珍しいといえば、坊、傘はお持ちになりやしたか?」 「鍵さんまで……」 「……考える事は皆同じじゃの」 「そりゃあ、ここ数日、なかった事ですからねェ」 「はうう〜。それは朝子さまに対して失礼なのです!! 七代さまはそんなひどいことを言ったりしないですよね?」 「ははは…」 「はう……」 否定できずに白々しく笑う俺に鈴の悲しげな目が痛い。 しかしニヤニヤと人の悪い笑みを崩さない鍵さんは「正直になりなさいって。仔犬ちゃんだって、ちょっとは思ったでしょう?」と唆す。また素直すぎる鈴も否定できずに「そ、それは……」と耳をへたらせて目を泳がせる。 「……と、ともかく! そんなこと言ったら、駄目なのですよ、鍵さん」 「はいはい、わかりやした。ごめんなさいよ〜、お嬢」 「それじゃ全然、心がこもってないです!!」 「くくく。けど、傘は持って不都合はありやせんよ? 午後から少し雲行きが変わりそうだ」 「そうなのか…?」 天気予報は終日まで晴れだと言っていたし、今もいい天気だ。 「おい、七代。空見てねえで、そろそろ学校に行かねえと間に合わなくなるぞ。いつもギリギリじゃ締まらねえだろ」と境内に出てきた清司郎さんに箒を取られ、「いってらっしゃいませー」と手を振る鈴たちに見送られながら俺は石畳の階段を下りる。 「なんだ、やっぱり持って行くのか」 見送ってくれた清司郎さんに言われたのは、鞄と一緒にあるビニル傘。 いや別に朝姉えのことで心配したわけじゃないんですけどね! →弐 |