「旋火の輪とやら。其方はいまひとつ、勘違いをしておる」 「え……?」 「賊に札を奪われ、解放を許した失態を拭おうと、粉骨砕身する意気は認めよう。じゃが、一度解放された札は最早、ただ集めるだけではどうともならん。然るべき者が集め、再び封を施さねばならぬのじゃ」 「それが、執行者……」 香ノ巣の言葉に「そうじゃ」と白が頷く。 「その執行者は妾―――白札が選ぶ。そして妾が選ぶはあの方の血を引く者―――……の、はずじゃが、此度は少々事情があっての。ええい、まったく忌々しい!! ともかく、妾が選んだのはこの七代じゃ、其方の出る幕ではない」 「………。七代……オマエなら、出来るのか……? じいちゃんが大切にしていた花札を……元通りにしてくれるのか?」 「ああ、全部集めるのが俺の仕事で、役目だからな」 「そっか……そうだな、オマエなら……」 納得してくれた輪に安堵の息が出る。「よかったね」と穂坂に言われ、くしゃりと燈治に髪を混ぜられて、ありがとう、と二人に言った。 「ああ、それと、言い忘れておったが、ヒトがいつまでもその札を持っておると、隠人になるぞ」 「え……?」 「隠人、と言うのはここらを徘徊しているあの化け物の事だね? なるほど、あれは花札に当てられたものの成れの果てという事か。………」 「……其方、何を考えておる?」 ふと黙りこんでいた香ノ巣は、最初と変わらない笑みを浮かべて「美しい方は、得てして聡明だ。ともかく、一旦、地上(うえ)に出ましょうか。いまごろきっと、月も見頃ですよ」と俺たちを促した。 ぽっかりと月が浮かぶ地上に這い上がった俺はすぐに飛坂と宍戸にメールを入れた。 花園神社の地下に下りる際、燈治と穂坂を同行者に選んだために飛坂には連絡義務というのを約束させられていた。そして女の子一人帰すわけにもいかず宍戸に電話をかけたら、そっちはそっちで「わしじゃ力にならんのですか!」と男泣きされて飛坂と同じく連絡を入れることで納得してもらっていた。 まあ、詳しい話は後日改めてということでここに来るのだけは却下したけれど。 「あ、そうだ七代くん、あれ……持ってるよね?」 「あれ……? あ、そうか。忘れてた」 預かり物としてウエストバックに移していた生徒手帳と藁人形を取り出す。 藁人形まで出したときには「お前、それも持っていたのか」と燈治に言われたが、俺がそのまま持っていても変だろう。輪にそれらを差し出すと「オマエが拾ってくれてたのか」と少し呆けた声で受け取った。 「……ボクのじいちゃんは、鎌倉で骨董屋をしてるんだ。ボクも、そこに住んでた。じいちゃんと、二人で……。花札は、蔵の隠し扉の奥にしまってあった。もう何年もの間、ずっと……じいちゃんは、ここにある限り絶対に人目に触れるコトはない、って笑ってた。そうして誰の記憶からも、呪言花札の存在が消えるコトが西園寺殿の望みなんだ、って」 ぽたり、と輪の瞳から涙が落ちる。 一度溢れた涙はなかなか止まらないようで輪のてのひらにある生徒手帳の表紙に滴がつく。 「だけど、あるとき、ボクが学校から帰ると、じいちゃんが倒れてて―――花札が……」 写真に収まっていた輪と老人の笑顔。 愛している祖父を傷つけられ、祖父が大切に護っていた花札を奪われたと知ったときの輪の気持ちは推し量ることしかできない。けれどこの子は香ノ巣の力を借りてはいたものの、ひとりで何とかしようと思っていたんだ。事情は違うけれど、転校したばかりの俺って燈治や穂坂から見たらこんな風だったのだろうか。うわ、恥ずかしい。自分の痛さ加減に苦い思いをしていると、涙をふいた輪が顔を上げた。 「……七代」 「う、うん?」 「ボクの持っている花札、オマエに渡す」 「輪……。本当にいいのかい?」 「……うん。いまは、七代が持つのが正しいんだってわかったから。これ……受け取ってくれ」 差し出された藤に時鳥の花札。 ありがとう、と受け取ると手放した輪の右手がぼうっと光って痣が浮かび上がった。 「うわッ!? な……ななな何だこれッ!?」 「……フン。またしても《札憑き》かえ。まあ、ここまで使いこなしておったのじゃ当然とも言えるな」 「あッ―――消えた……。いまの……何だったんだ?」 「《札憑きの印》じゃ。札はなくとも、しばしの間同じ力を使う事が出来よう。札より離れ、百日も経てばそれも消えてしまうがの」 「そっか……消えちゃうのか……」 白の説明に少し輪は残念そうだったが、「―――いや、いい。こんな力なんかなくたってボクは元々、忍者だからなッ」と写真の笑顔ほどではないものの、すっきりとした笑顔を見せてくれた。 「七代、オマエが全部集めて、その札を封印したら、今度こそボクが必ず、護る。……約束だッ」 「ああ、約束する」 「うん。約束したからなッ」 出された小指を交わして指きりをする。 「よし―――決めたッ。これからはボクも七代を手伝うッ!! ただ待ってるだけってのも心配だからなッ。そうだ、ボクの連絡先を教えてやる!」 半ば恒例となりつつある携帯電話の番号とメールアドレスの交換をする。日向輪の名前を確認した俺に「困ったら、いつでも呼べよなッ」と輪は言うと、隣にいる香ノ巣を見上げた。 「そうだ、絢人も、協力してくれるだろ?」 「勿論、情報は惜しまないよ。まあ、たまには対価が欲しいところだけど……。ただ―――花札(これ)はまだ、渡せない」 「よいのかえ? それは徒のヒトの身で自在に扱える力ではない。札からもたらされる情報に浸食され、やがてはヒトならざる者へと堕ちるぞ」 「そうしたら、そのときは君が僕を消して札を手に入れればいい。そうだろう、七代?」 香ノ巣は確認事項のように嘯いた。 白が淡々と告げる事実に気にする風もないその姿に、何を気軽に言ってくれてんだコイツ、と思う。けど、香ノ巣の横顔を窺う輪の表情を見て、俺は答えた。 「その時は、な。……その予定は組むつもりはぜんっっぜん、ないけどな!」 「だろうね。けど、その時になれば君は、そうするさ……じゃあ、今日のところはお暇するよ。また何かあれば、あの店に来てくれればいい。ああ、勿論、美しい人たちはいつでも歓迎さ」 それじゃあ、と踵を返して宵闇に紛れる香ノ巣。 「あ、待てよッ!! 何だよ、アイツ……。ああ、まったくもう! ボクも行くよッ!!」 「気をつけて帰れよ!」 「うん。それじゃ、またな、七代!!」 香ノ巣を追いかける輪に手を振り返して二人を見送る。 俺が挙げていた腕を下ろすと頭にむにゅっと温かい物が乗った。いつの間にか鴉になっていた白は「七代。其方、よもや妾との約束を忘れているわけではあるまいの」と嘴でつつく。白が落ち込んでいるような気がして甘んじて痛みを耐えつつ、覚えてるよ、と答えた。 「……行っちゃったね」 「あいつ、何考えてやがんだ」 あいつ、とは香ノ巣だろう。情報を書き換えられて異形になった隠人たちを見て、動じるどころか逆に興味深そうにしていたあいつの好奇心がそうさせるのか。いや、自分に対する興味が極端にないのか。 白は香ノ巣が消えた方向を見て答えた。 「稀に、ああいう者がおる。知識を循環させる者―――その役割を負う者ほど、札の神秘に魅了されおる。とりわけ、他者への執着が薄い者ほど、な。物は移ろい、氣の流れさえ時と共に変じていく。じゃが―――ヒトというのはいつの世も変わらぬ。……解せぬ存在じゃ」 「…お前も、本当にするのか?」 「香ノ巣はそうらしいな。けど、香ノ巣には輪がいるだろ」 輪に対する態度を見る限り、他者への執着が薄いとはあまり思えない。それに、香ノ巣がどうであれ輪は決して香ノ巣を隠人にすることを許すはずがない。香ノ巣を見つめる輪の表情から俺はそう思った。 そう言えば、白は「ほんにお気楽な男よ。其方が一番解せぬわ」と少し拗ねた声で呟いた。 →序幕へ |