3st-11 | ナノ

第参話 拾壱


 ピリピリと引きつる腕をのばしてポケットから花札を一枚取り出す。そして持っていた竹刀を放る俺に「とうとう観念したか、盗っ人め!」と輪が言うから、まさか、と応えた。
 確かに腕が痛くて竹刀を扱うほどの力はあまりない。だがここからが封札師で執行者である俺の本領発揮だ。

 札を取り出した一方の手とは反対の手でウエストバックから、この洞で見つけた竹トンボを出す。

「これ、なーんだ」
「た、竹トンボ……?」
「That’s right!」
「――ッ…ボクを馬鹿にしてるのか!?」

 まさか、ともう一度答え、取り出した柳に燕の札を輪に見せる。

 現代の忍者に勝つための秘策だ。そう言って俺は竹トンボにその札を貼りつけると、光が溢れて竹トンボの姿が変わる。札のなかにある情報が竹細工の質感を冷たい鉄へと変え、刃をまとう輪(チャクラム)に具現化した。異国の神が持つとされる武器《宇宙神の輪》を指にかけてくるくると回す。
 《弩》の時もそうだったが、札は武器に姿を変えるだけが作用ではない。その武器の扱い方という情報を持ち主に与える作用もある。

「……せーのッ!」



 ビュンッ



 円を描いて自分に向かってくるチャクラムに、「僕の忍術をなめるなッ」と避けるどころか輪の声に呼ばれて、大量の花片が壁となり攻撃となって阻もうと吹き上げる。
 無数の刃に向かうのはたった一枚のチャクラム。
 あきらかに劣勢だが、チャクラムは札の力を纏った武器だった。

「え、……わあ!?」

 花片の壁を突きぬけて飛び出したチャクラムに輪は悲鳴をあげはしたが、札の力で強化された脚がそれを避けさせる。やっぱり忍者ってすげえな。感心しつつ戻ってきたチャクラムを受け止めていると隠人を倒したのだろう「何だ、今のは?」という燈治の声。

「難なく風穴をあけやがった」
「当たり前じゃ。札の情報はただ武器を具現化するに終わらぬ」
「白ちゃん」
「……なるほど。あのチャクラムは、花片を凍らせて突き破ったのか」

 香ノ巣の奴、一発で見抜いたか。
 花片の壁にあけられた穴は凍気にやられてパキパキと崩れるのが見えたんだろう。それでも常識から外れた現象をすんなりと認める容量の大きさには驚かされる。香ノ巣の指摘に輪も納得したようで悔しそうな顔を見せた。

「そんなの避ければいいだけだ。それに、ボクの忍術はそれだけじゃないぞ!」
「俺の札もこれだけじゃないぜッ」
「―――わッ!?」

 カッと地面が光り、冬の氣が吹き上がるが、輪を捉えられない。
 しかしそれも計算のうちだ。輪が冬の陣から退いた先で今度は夏の氣が爆発して今度こそ輪が札の光に焼かれた。松の屑札が発動すると連動する牡丹の屑札だ。輪もわずかな時間に花片で身体を纏ってギリギリ凌いでいたが、制服があちこち焦げていた。

「……ハァ、…ハ…ッ」

 札を使えばダメージを与えることができる……とはいえ、分はまだこちらが悪い。
 一枚の札を多彩に操る輪に比べて複数枚を同時に使う俺の方が気力を持っていかれる。けれど気力を温存して戦えるような状況でもない。

「なかなか……やるじゃないか」
「ぜぇ…輪も、さすが忍者だな。けど、次で決める、からな」
「それはこっちの台詞だ! お前の攻撃範囲はもう見切ったんだからな、覚悟しろ!」

 輪の姿が消えて、ぐるりと周囲を見回すが視界の端にも映らない。
 鈴にも訊いてみたが『札の力で姿を暗ましているみたいなのです』とお手上げなら、無理に探す必要はない。勝負は一瞬――

「観念しろ!」

 輪の声が背後から聞こると同時に地面が光を放った。





 胸にせり上がる嫌悪感が気持ち悪いし、くらくらと視界が涙で滲む。

 うえええ、と呻いた俺の頭がぐわんぐわんと揺れた。物理的に。

「や、やめ……気持ち悪……」
「ええい、その様な口をきけると思うてか! 何じゃ、この決着は!」
「でも本当に何が起きたの、七代くん。輪ちゃんも顔色悪いし…」

 唸っている輪に膝を貸していた穂坂が、白に揺さぶられる俺に問いかける。
 答えたいものの吐き気に苛まれて(というか揺さぶられて)答えられない俺に代わって、香ノ巣が細い顎に指をあてて「ふむ。札の効果には間違いないね……おそらく、菊に盃、かな」と答えた。こいつ本当に洞察力が高い。なんとか白を引っぺがしてポケットから一枚の札を出した。

「あ、壇くんに貼りついていた札だね」
「……白」
「其方…」
「あとで…ポテチ…」
「――……ぴざ味じゃぞ。わっふると、ぽっきーと、あいすくりーむもじゃからな!!」

 わかったから。わかったからお願い、と促すとようやく満足したのか白は説明を始めた。
「現金な奴だな」と燈治が言うのを内心で頷きつつ、燈治に預けていたカバンを受け取ってなかを探る。ウエストバックには入りきらない食糧や薬品を入れているのだ。

「菊に盃は、陣の内に入りし者をその酒気で惑わす。いわば悪酔いのようなものじゃな」
「うー……ぎもぢわるい…」
「……美しくないね」

 うっさいわ。

 そんな視線だけを香ノ巣に送って俺はカバンからソーダ水の入ったペットボトルを出す。

 あの時、両腕両脚を負傷した俺が、輪の増強された機動力に勝つのも、札でそれを上回る力もなかった。結果的に俺は札の力で思いっ切り悪酔いした輪が動きを鈍らしたところで、頭を叩いて気絶させたのだが、別に確率との勝負だったわけじゃない。札とチャクラムの攻撃もいわば輪に接近戦を持ちこませるためのものだったし、実は紅葉の青短で正面からの攻撃もさせないように背後も誘っていた。

 こんな回りくどい決着を持ちこんだのも、そう持ちこむまで輪が一切俺の背後をとる真似はしなかったからだ。

 一本しかないペットボトルを取り出し、穂坂に輪に飲ませてくれるように頼んで、俺は燈治に頼んで御堂に連れてってもらおうとすると何故か香ノ巣までついてきた。
 御堂の光で裂かれた肉が盛り上がって傷が修復する。吐き気もすっかり治ると、ボロボロになった制服がようやく気がかりになった。上着をめくれば薄く血が染みたブラウスが顔をのぞかせる。結構ザックリ裂けていたんだなあ、と感心していると、燈治が同じくしげしげと眺めている香ノ巣を胡乱げに見た。

「お前は何でついてきたんだよ」
「興味をそそられたというだけだよ。それに一応は決着がついたからね」
「解せねェな。あの餓鬼に肩入れしていたんじゃねえのか」
「それも輪が喋れる状態にしてから話すよ。どうも、君たちと輪には誤解があるようだしね」
「あ……」

 すっかり忘れていた。盗っ人とか(意味は間違っているが)泥棒猫とか、話し合える雰囲気もなかったからだけれど、そのまま勝負に至ってしまっていた。この誤解を解かなければ輪の尾行だって終わらない。

 とにかく先程の部屋に戻るとムスッとむくれている輪が穂坂の横に座り込んでいて、俺に気付いた穂坂が「おかえり、七代くん」と言うと立ち上がった。

「七代千馗、もう一度勝負だ!!」
「輪、君は七代に負けたんだよ」
「絢人ッ!」

 味方である香ノ巣に諭されて輪はひどくショックを受けた顔になり、ぎゅっと拳を握る。
 ボクは、と吐き出された声は震えていた。

「ボクは……ボクは、負けちゃいけないんだ!! 旋火流忍は負けたりしない!! もう一度、勝負だ!!」
「もう止めぬか。見苦しい」
「み、見苦しい……!? 何でそんなコト言うんだよ!! ボクは、オマエたちを取り戻そうと―――」
「北条が選んだ護り手の事は妾とて知っておる。……どうも、話がずれておるな」
「な、何言ってるんだ!! だって、コイツが……七代千馗が、じいちゃんを酷い目に遭わせて花札を盗んだんだろ!?」
「…濡れ衣だ。そんな事してない」
「だって……だって、オマエは花札を持ってるじゃないか。オマエが盗んだんじゃないならどうして―――」

 首を振れば、戸惑ったように、頭のなかを整理するようにたどたどしく輪はそう言う。
 白は「それが誤解の元、か」とひとり頷き、閉じた扇でパシパシと俺を叩いた。

「七代は妾の選んだ札の執行者―――この地に四散した札を集め封じるのが妾たちの役目じゃ」
「な―――」
「国立国会図書館収集部特務課の封札師……。《カミフダ》と称される特異な紙片を集めるエージェント、だったね。任務で花札を集めているのだろうと思っていたが、よもや執行者だったとは」
「絢人、知ってたのか!?」
「知っていたと言うより、僕の持っている情報を総合した結果、そうなるって話だ。封札師の事は、君にも一応説明したはずだけど」
「……だって、絢人の話、長すぎる」

 むくれた顔で俯く輪に「やれやれ」と香ノ巣が肩をすくめる。いや、やれやれで済ますな。
 それでも輪の姿を見れば俺も怒る気力なんてないようなもので、ちらりと燈治と穂坂を伺えば二人ともどう反応したらいいやらという表情だ。

「でも、オマエが泥棒じゃないのなら、話は違ってくる。いままでの非礼は詫びる。勘違いしてすまなかった」
「いいよ。気にしてないし」
「だからッ―――花札を封印するというその役目、ボクに代わってくれ」
「それはできない。最初にも言っただろ」
「な……何でだよ……。ボクは……旋火流の忍になるって、決めたんだ。ご先祖や、じいちゃんが護ってきた宝を、これからはボクが護るって……。だから―――」




拾弐