3st-02 | ナノ

第参話 弐


 羽鳥家の朝は賑やかではあるが、実は結構早い。だから準備を済ませれば余裕を持ってHRに間に合うが、そこまで真面目な生徒でもはない。それに登校時間まで、境内で鍵さんや鈴と話すことが何となく日課になりつつあった。
 今日もそのつもりで境内に出ると拝殿で佇んでいる朝姉えを見つけた。朝姉え、と声をかけると振り向いて微笑んでくれる。

「千馗君」

 夢と現実がダブる。
 彼女の爽やかな色気だけでない、チクンとした胸の痛みを無視して俺は笑い返した。

「時間は大丈夫ですか?」

 こちらに来てくれた朝姉えに訊く。一緒に住むんだから家でいるときは名前で呼びましょうと朝姉えに言われたけれど、敬語だけはどうしても外せないままだ。
 朝姉えは苦笑した。

「いつもの事とはいえ、危ないところだったわ。うん。この時間ならまだ、歩いても間に合うわね。そうだ、千馗君も一緒に登校する?」
「たまにはそれもいいですね」

 思わぬ提案だったが、思ったより嬉しくてついそんなことを言ってみる。

「ふふッ、と誰かと登校って楽しいわよね。学生時代を思い出すな。でも無理しなくていいのよ。千馗君が出るにはまだ少し早いものね」
「残念です」

 担任と生徒が一緒に登下校はあらぬ噂を立てられかねない。そんなことは一言も言わずにやんわりと朝姉えは気遣ってくれる。
 ここでは本当に俺は彼女のことを姉のように思える。燈治たちとは違う温かさは多分家族愛というやつだろう。

「む……。其方ら、まだおったのか」

 声のする方を見ると拝殿の後ろに広がる鎮守の森から白が現れた。機嫌が完全に直ったというわけではなさそうだが、それでも無視を決め込まない彼女に朝姉えが「そうだ。ねえ、白ちゃん」とニコニコと目線を合わせる。

「一緒にお参りして来ない?」
「……何じゃと?」
「今日は朝ご飯、一緒に食べられなかったでしょう? だから、ね、お姉さんと一緒に行こう? お参りの仕方、教えてあげるからね」
「よ、余計な世話じゃ。其方の手など要らん」

 過去、白にとってお参りなどというものは関係ないものだったのだろう。酷く動揺して朝姉えから距離を取ろうとしたが、ひきこもりでちょっと感情表現が上手くできない、という設定を信用してくれている朝姉えは気にも止めずに小さな手を取った。

「いいからいいから。ほら、手、繋いでいこう?」
「な、何をする!! こら、離さぬかッ!!」
「それじゃまた後でね、千馗君。遅刻しないように来るのよ。さあ、行きましょう、白ちゃん」
「はーなーせー!! 離せと言うとるにー!!」

 ズルズルと朝姉えが拝殿まで白を引っ張っていくのを見送った俺は、すげえと呟くとポケットから振動が鳴って携帯電話を取り出した。メールだ。





受信日:10月27日
件名:おはようございやす!
送信者:宍戸 長英

清々しい目覚めじゃ!
こがァな気持ちで目が覚めるんは、随分と久しぶりな気がしやす。

それもこれも、全部
先輩のおかげなんじゃな!
ほんまにありがとうございやした!
今日からは走り込みの数を増やそうと思うとります!





 ……こいつもすげえな。
 昨日には剣道部部員が全員揃ったらしいことを燈治から聞いていた。よほど嬉しかったんだろう。とりあえず、無茶だけはすんなよ、と剣道部快気祝いも含めてメールを返しておくか。

 送信ボタンを押した俺は拝殿の方を覗き込んでみた。朝姉えに熱心に教えられている白が嫌そうな顔でかつぎこちない動きながらもちゃんとお参りしている。
 うーん、微笑ましいというよりどこか笑えるような……。白が見ていないことをいい事に笑いを堪えていると、同じく堪えた笑い声が傍で聞こえた。

「あはは。お嬢の前じゃあ、流石の白殿も形無しですね…」
「おはよう、鍵さん」
「おはようさんです、坊。これから学校ですかい? 晴れの日も雨の日も、嵐の日も雪の日も……学生さんてのは大変ですねえ」

 学校とは無縁な鍵さんにそう言われると途端に面倒くさい気がしてきた。元々学校に積極的参加をしてこなかったしなあ。
 でもその理由が秘宝眼だったのを考えれば、今は決して嫌だと思わないから首を振った。

「おや、そうですかい。こいつは頼もしいですねえ」
「別に勉学だけが学校ってわけでもないしな」

 そう言うと鍵さんが意味深に笑うのが気配で分かった。
 わかってる。転校初日のときの俺だったらこんなことは言わなかった。ああ、恥ずかしい。

 面映い気持ちを噛み締めているともう一人の神使が頬を膨らませて出てきた。

「もう、鍵さん。そんな呑気なおしゃべりをしてる場合ではないのです」
「おや鈴、いつからそこに?」
「はうう〜始めからここにいたです!」

 先輩神使のすげない態度に鈴は途端に耳をへたりとさせる。ころころと変わる様は、まるで百面相でそれを楽しんでいる節のある鍵さんはニンマリと笑った。

「そいつァごめんなさいよ。あんまり小さいんで見落としちゃいやしたね」
「はう……。―――はッ。鍵さんのいじわるで、落ち込んでる場合ではないのです」

 この子はへこたれずにすぐに立ち直るのがすごい。が、多分、これが彼女に降り掛かる災難、鍵さんのいじわるが止まない理由だろう。そんなことは露知らず小さな神使は俺の裾を引っ張った。

「七代さま、神社の入り口のところに、怪しい方がいるのです」
「怪しい奴?」
「ほう? どれ、それじゃあ皆で見に行ってみやしょうか」

 本当に不審者だったら放置はできない。できるだけ刺激しないようにと俺は鈴が案内してくれるまま、さりげなく移動してみるとなるほど相手は鈴の本像である狛犬の影に隠れていた。

「……標的(ターゲット)、朝の支度を済ませ居間にて朝食。ほっけに冷や奴、小松菜の味噌汁に白米。デザートのりんごはうさぎ剥き、と」

 こちらを伺っている相手は何か手帳らしきものにペンを走らせている。ただ、本人には申し訳ないが大きな独り言のせいで多分(というか確実に)内容はだだ洩れだった。
 その独り言に鈴はオロオロと袖を合わせた。

「ど、どうして、羽鳥家の朝ご飯をあんなに詳しく知ってるですか?」
「でも、確かにあのうさぎ剥きは芸術的だった」

 うんうん頷く横で鍵さんが「清さんは器用ですからねえ」と笑ったが、それは苦笑に変わる。

「ですが、うーん……。確かにこれは、怪しいですねえ」

 確かに不審者というよりは、怪しい、がしっくりきた。
 何せ狛犬の向こうにいた人物はどう見ても学生――しかも小柄で声もハキハキとしていたがどこか幼さが滲む。

「どうしやす、七代殿?」
「どうって、子どもをとっちめる趣味はないし……かと言って放置するわけにもいかない、よな。スパイのごっこ遊びでも限度があるし」

 まあ、取り敢えず無視したままにはいかないだろう。俺は自然を心がけながら近づく。
 まだ気づいていないその子の独り言は続く。

「食後、同居人と共に外出。服装から登校するものと推測。追跡開―――」
「なあ、何してんだ?」
「―――!!」

 バチッと目が合った。
 白より少し大きいくらい、碧色のブレザーに大きめの帽子を被った子どもの目が驚きに開かれる。そんなに驚かせたか、とこっちまで驚いてしまう。
 と、耳鳴りがして咄嗟に耳を押さえた。……なんだ?

「なッ……べ、別に、尾行なんかしてないぞッ!!」

「おやおや」
「び、尾行?」

「……バラしちゃってるぞ」
「………うぅ」

 自分の失言を指摘され、顔を真っ赤にしながら悔しそうに歪めた。その耐えるような姿に、泣かせる一歩手前!?と狼狽える前に小柄な珍客はキッと俺を睨んだ。

「く、くそッ、ボクの隠行が見破られるとは……。け、境内で独り言をつぶやいている危険人物以上ってことか……くうううッ、この程度で勝ったと思うなよ、七代千馗!!」
「ッ!!?」

 ひ、独り言をつぶやいている危険人物!?

「おやおや。随分とまあ、脚の速い御子ですね」

 グサッと見えない何かが心臓に突き刺さった俺は、颯爽と境内を抜けて街へ消えていった子を追い掛ける気力がなくなっていた。
 鍵さんと鈴は秘宝眼持ちのような異能者しか視えないんだと分かってはいたし、それが俺一人の妄想じゃないんだって封札師になって分かったけど―――久々にぶつけられた言葉にぐらぐらと気持ちが揺さ振られた。

「……危険人物まで言わなくったっていいじゃないか」
「坊、背中に黒雲背負ってますよ。秋晴れに雨が降りそうだ」
「落ち込むことだってあるんですよ。子どもだから余計に」
「ふふ、確かに時に残酷ですからねえ。ですが悪気あっての言葉じゃないのは、坊も分かっているんでしょう?」
「…………うん」

 悪気がなくて率直だからこそ傷ついた気分だったんだけど、鍵さんに言われると深刻に受けとめる必要がない気がする。

「七代さまにご用があったみたいですけど、それにしては怪しい方みたいなのです……。七代さま、くれぐれも気をつけてくださいです」

 散々普通じゃないって陰口叩かれまくったけど、今こうやって心配してくれる鈴たちは現実だ。
 世の中皆に好かれるってことはないけど、好意持ってくれる奴はこうやっているもんな!
 鈴の両手を握り、うんうんと半ば涙目で頷くと鈴が少しだけ頬を赤くした。

「は、はうう……。そんなに感謝されるなんてすず、どうしていいやら……。で、でも七代さまが元気でなと、みなさま悲しむと思うです。だから今日も元気で頑張ってくださいなのです」
「うん、頑張る。ありがとう」
「はううぅ…け、鍵さぁあん」
「おっとっと、私の後ろに隠れるのはよしなさい」

 わたわたと背中に隠れてしまった鈴に鍵さんは苦笑する。一方、俺はと言えば鈴に逃げられたことに再度ショック。

「ご、ごめん。嫌だった?」

 鈴はフルフルと首を振る。

「私らは面と向かって人に感謝されることはあまりありやせんからね。仔犬ちゃんには刺激が強すぎたんでしょう」
「………」

 ほとんど人が視えないっていうのはそういうことなんだ……本当、俺って自分のことばっかりだよなあ。目線を合わせるように屈んで俺は隠れている鈴を見た。

「じゃあ、この機会に慣れておこう。武藤と雉明っていう俺の友達も、同じ封札師なんだ」
「七代さまのご友人……」
「うん。すごくいい奴らで、……武藤はいつか新宿に来てくれるって言っていたから。俺、二人に紹介したいし」
「それはそれは、楽しみにいたしやす。仔犬ちゃんも今のままじゃあ、駄目ですねえ」
「! す、すず、頑張るです」

 ピンッと身体だけでなく耳を立てる鈴。コロコロしてて可愛いなあ、と俺は健気な神使の頭を撫でた。狛犬の性質がやはり鈴にはあるのか、これには気持ちよさそうに喉の奥を鳴らした。

「さて、そろそろ時間のようですよ。学生さんの本分は勉強だ。今日も頑張っていらっしゃい」
「行ってらっしゃいませです〜」