06 | ナノ


06--2009/09/15


 最初は面倒見のいい荒垣がなぜ他人と壁をつくっているのか気になった。
 パーティもそんな壁を壊すきっかけになればいいと思っていたのだが――昨日の荒垣を見て、もしかしたら何のきっかけにもなっていないのかもしれない、と不安がよぎった。壁をつくっているのは、単に不器用だからというだけでなく、もっと何か……。

 悶々とした真宵の気持ちと連動している、と思わせるように空は朝から膜を張ったような曇り空だ。
 そういえば台風が近いんだっけ、と空を見上げると「よう」と溌剌とした声がかけられた――真田だ。
 相変わらず朝早くに寮を出てランニングに出ていたらしい。汗一つかいていない真田に、人間じゃないなあ、とぼんやり真宵は思っていると「なんだ考え事か?」と尋ねられた。

「え、あ……はい」
「あまりボーっとしていると次の満月で敵の不意打ちを食らうぞ」

 最近失態続きなのを思い出して真宵は、う、と思わず呻く。そういえば散々荒垣や美鶴に忠告されてばかりだ。軽く落ち込む真宵に真田は気にする様子もなく、次の瞬間には真田節を披露した。

「次の満月……、面倒だから三体まとめて出てほしいところだよな」
「大変ですよ……」

 いくら人数が増えたからといって通常シャドウと比べものにならない満月のシャドウを三体相手取るには骨が折れるし、ストレガの二人が出ないとは限らないと真宵が言うと「ハハッ。それもそうか」と笑った(笑ってほしかったわけじゃないのだが)。

「ま、確かにここのところ戦力も増えているし、前よりやりやすい。俺もここしばらくは調子がいいしな」

 それはやはり荒垣がいるからだろうか。

「……そういえば先輩は何度か荒垣先輩に復帰するよう言っていたんですよね」
「ああ、シンジが離れてからすぐだからもう二年越しになるか」
「なんで…、戻ってきてくれたんでしょうか」
「……日暮には話してないのか」

 え、と真宵は真田を見る。
 普段の自信に満ちた表情が、どこか苦々しい。ああ、真田は知っているんだな、と思う。

「いや、シンジの奴、お前にはかなり気を許しているように見えたからな」
「……。そうですか、ね」

 真宵も多少そう思っていた。
 それだけに今は、自惚れのような気がして痛い。真田はそんな真宵を励ますように手袋を外しててのひらで頭を軽く撫でる。

「お前は確かにリーダーだ。だが個人の抱えているものまで背負う必要はないし、シンジのあれは性格だ。気にすることはな……」

「真田センパーイ!」
「おはようございまーすっ」
「朝から先輩に会えるなんてラッキーですぅ」

 トンッと胸を押されて、あるいは真田が腕を引っ張られて、てのひらが頭から退いた。
 ポカンとする真宵に、複数の女子の視線が突き刺さる――殺気、のような。それでも真田に向ける視線はキラキラと輝いていて眩しい。恋をしている、という熱気のこもった眼差しに、ああまた勘違いが、と真宵は思う(真田は話の腰を折られて不機嫌そうだ)。しかしここで粘ってもそれ以上会話もない。
 真宵は「じゃあ、失礼します」と真田と彼を取り巻く女子たちから離れた。





「そう、これです。私が欲しかったのは、この美しい模様の描かれたピース」

 ピアノの旋律と美しいソロの歌声が響くベルベットルーム。
 真宵の渡した依頼品を受け取ったエレベーターガール、エリザベスはほう、と溜息をこぼして、てのひらにあるマージャン牌を見つめ「本当に美しい」と呟いている。美しいというなら真宵の目の前にいるエリザベスも相当に美しい人である。

 滑らかなプラチナブロンドに、同じ色の睫毛に縁取られた金色の瞳。
 白磁のような肌はきめ細やかで憧れを禁じ得ない。
 初めて会ったときにはどこか作りものめいた印象を真宵は感じていたが、たまに外へ一緒に出掛けたり、こうやって外にあるものの依頼品を嬉しそうに受け取ってくれる様を見るようになった今は無表情のように感じていた彼女に可愛いと思える。

「それ、マージャン牌なんだよ。えっと四人でするゲームだったかな」
「え…? マージャン牌と言うのですか?」

 これでゲームを、とエリザベスはてのひらのなかのマージャン牌をもてあそぶ。
 真宵自身詳しくはないが、マージャンは賭けごとの一種だ。そして依頼品の品であるマージャン牌は、孔雀模様のもので――これは索子(ソウズ)という数牌のなかの一種のなかの一牌、一索である。偶然とはいえポートアイランド駅の裏路地の店で興じていた男にもらったものだ。

 孔雀の模様が描かれた四角いピース、と言われて簡単に真宵も調べたのだが、索子の一索は孔雀が普通だが骨董品となると鶴や雀といった別の柄もあるらしい。骨董品の部類じゃなくてよかった、と真宵が安心していると「トランプのカードのような物でしょうか? それにしても美しい…」とエリザベスがまだ見ていた。そんなエリザベスを見ていると、エリザベスは照れたようにコホンと咳払いをして「失礼いたしました」と顔を上げた。

「ううん。喜んでもらえているなら嬉しいよ」
「勿論です。あなたから頂いたもの、大切にさせていただきます。ありがとうございました」
「お、大げさだよ…」
 
 ときどきエリザベスの言葉にはドキドキさせられる。
 外で遊んでいるときも認識のズレからなのかエリザベスの奇行には驚かされるのだが、言葉が一番驚かされる。照れている真宵をいつものように薄い微笑をしていたエリザベスが少し曇った表情を見せて、「どこか具合でも悪いのでしょうか?」と訊ねてきた。

「え、そう? 身体は普通だよ?」
「いえ、そうではなく。以前お会いしたときより不安的なような気が致します」
「不安定…」

 頭によぎるのは、ストレガやファルロスの言葉、満月の敵――そして荒垣。
 わずかに顔の曇った真宵に、エリザベスは「これは何か払拭するきっかけが必要ですね」と言う。

「今回の依頼品の報酬、こちらとなります。お受け取りください」

 そう言って渡された品に、真宵は珍しく「ええええっ!?」とベルベットルームに響くような声を上げた。





 影時間にしか現れない月光館学園の姿、タルタロス。
 その豪奢の庭ツイアで順平は着なれない服装に普段にはない緊張を強いられていた。

「なー、真宵ッチ……上着だけでも脱がさせてくれよー」
「ダメ」

 ヒュンと真宵は得物(左近将ナンタラ助さん? カクさんはどこだよ)を振って腰に手をあてた。
 その服装も最近では見慣れた夏服ではなく、黒と白のシックな色合いにフリフリしたエプロンとカチューシャがアクセントになった所謂「おかえりなさいませ、ご主人様(ここハートが重要)」で有名なメイド服(しかもニーハイな! ニーハイ!)を着ていた。

「男なら二言はなし、だよ」

 そう言われて順平は自分の姿を見やる。
 真宵と同じく生地のいいシックな黒を基調とした所謂こちらも「おかえりなさいませ、お嬢様」で有名な執事服である。銀の釦も袖にあしらわれて決して安物ではないらしく、これを見た美鶴が「うむ、いい出来だ」と何やら感心していた。

 思い出せば、病院からの帰りにポロニアンモールで道草を食っていた順平は、ポロニアンモールのベンチで「どうしよう」と困っていた真宵を見つけたのが始まりだ。話を聞いてみるととある人からメイド服を貰ったと言うから、順平は気晴らしにいいんじゃね、と下心をちょっと混ぜつつ勧めたところ、「…順平も執事服着るならいいよ」と渋々言った真宵に冗談だろうと順平は笑って頷いたのだ。




後編