2.5st-01 | ナノ

序幕 壱


 週明けの月曜日、欠伸を噛み殺して教室に入ると「よう」と声をかけられる。もう聞き慣れた声音に俺も軽く手を挙げて答える。机の間を縫うように自分の席に着いた俺に、穂坂が今は見慣れた柔らかい笑みで迎えてくれる。

「おはよう、七代くん」
「おはよう、穂坂。燈治も昨日はありがとな」

 そう言うと燈治はニッと笑って「おう」と答えて、穂坂は「ふふ、気にしないで」と笑った。
 此処に来てから「ごめん」より「ありがとう」を言うことが増えてきたと思う。多分、目の前にいるこいつらをはじめとした人たちが助けてくれているからだ。昨日も、依頼達成をかねた洞の探索に燈治と穂坂が休日にも関わらずに付き合ってくれたおかげで、俺の懐はなんとかなっている。

 HRまで余裕ある時間で俺たちが話す内容は自然と呪言花札のことになった。

「ここのところ、何も起こらなくて平和だね。……こんな毎日が続くと、何だか花札のこととか全部、夢だったんじゃないかって思えてこない?」
「そうだなあ。ここんところは真面目に授業に出席してるし」
「ふふ、そうしてると本当に普通の高校生だものね。あ、でもそれだったら、短期間でこんなには仲好くなれなかったかな?」
「そういや途中で長英の奴と会ったんだが相変わらずはりきってたぜ。『先輩のためなら、わしゃァいつでも死ねる』とか、往来で叫ぶしよ」
「ふふ、宍戸くんらしいね」
「ってか見ていたんなら止めろよ。俺が恥ずかしいだろ」
「隣にいた俺も恥ずかしかったんだぜ? まあ、確かにあいつの一件以来それらしい事件は起きてねェけどな」
「うん。もしかしたら、ここにはもうこれ以上花札はないのかな……」

 考え込むように穂坂が言った。
 確かに秋の洞で新しく開いた区画を三人で探索したが、仕掛けを解くのに必要らしい花札が揃っていなくて途中で断念したのだ。再探索した第一階層と第二階層も花札を見つけることはできなかったし。

「なるほどなァ。そういう考え方もあるか。…なァ、千馗。花札って、全部で何枚あるんだ?」
「確か、四十八枚だ」

 あれ、でも地方によって枚数は違うんだっけか?
 確かトランプでいうところのジョーカーみたいなのがあったようなと思うが。

「へェ、そんなにあんのか……」
「くふ……正解」

 ボソリと聞こえた声に俺と燈治は顔を見合わせた。

「……いま、いたよな?」
「いた、な…」
「うん。廊下から覗いてたけどもういなくなっちゃった。ふふ、蒐くんって本当にカードのことは聞き逃さないんだね」
「相変わらず、油断のならねェ奴だな……。けど、全部で四十八枚もあるって事は―――まだまだ何が起こるかわからねェって事だよな。この前、札を奪っていった奴の事も気になるしよ」

 うん、と穂坂も頷くと本鈴が鳴った。

「あ、そろそろ席に着いた方がいいかも」
「……だな」





『生徒会より連絡します。3年2組の七代千馗くん、穂坂弥紀さん。あと一応、壇燈治。至急、屋上まで、以上』

 一時間目の授業が終わった休み時間、校内放送から流れた声に一瞬教室の視線が俺たちに集まる。
 明らかに扱いが違うことにぶつくさ言う燈治を穂坂と宥めながら生徒会長様の呼び出し通り、屋上に向かった。

 やっぱり立て付けの悪い扉を開けるとまずはじめに冷たさを帯びてきた秋風が身体を撫でる。きゃっと小さく声を上げた穂坂を見るとスカートを押さえていて、その後ろを歩いていた燈治が視線を逸らしていた。……見たのか。ぼそっと呟くと燈治がぎょっとした顔を見せた。

「おお、先輩方、ようやく来んさったか」

 ニヤニヤと笑っていた俺を小突いた燈治が、「なんだ、長英。お前も呼ばれたのか」と屋上の塀に寄り掛かっていた宍戸に声をかけた。おはようございやす、と宍戸に言われて応えると宍戸は照れくさそうに笑って、燈治の質問に答えた。

「さっき廊下で会長と会って、何じゃわからんうちに連れてこられたんじゃが……。ま、まさか―――わしゃァまた、知らんウチに人様に何か迷惑かけるような事したんじゃろうか……」
「ないない」

 手を振って笑う俺に宍戸は「そ、そうか…」と強張らせていた顔を弛ませた。

「ッたく、いちいち騒がしいんだよ、お前は。それより、呼び出した張本人はどうしたんだよ?」
「は、はい。会長じゃったら、向こうで電話中―――」
「ようやく来たわね」

 携帯電話を片手に持った飛坂が塔屋の向こうから現れた。

「あ、巴」
「何だよ、急にこんなとこ呼び出すなんて」
「今日の昼は生徒会の用事でふさがってるから、その前に耳に入れておこうかと思って。それにここなら飛び入り参加が期待出来そうだからよ」

 なんのことだ、と揃った全員がそんな表情を見せると飛坂は「すぐわかるわ」と苦笑した。

「時間ないんだから手短に話すわよ。この前の花札を奪っていった男の情報が入ってきたの。彼は寇聖高校の生徒よ」
「寇聖高校って……たしか、新宿御苑の近くに最近出来たところだよね? 学校っていうより、ビルみたいな建物の……」
「この前、駅前でもめた奴らが、似たような制服着てたな。全寮制で、全国から一癖も二癖もある奴らを集めてるって噂なら聞いたぜ」
「それだけじゃないわよ。どっかのヤクザだかマフィアだかが、構成員を要請するために作った学校だとか、優秀な生徒には、爆発物や銃器の取り扱いも教えるとか物騒な噂には事欠かないわ」

 新設で高い金をかけているであろう学校の噂としてはあまりにも不適切だと思う。初めて聞いた名前の学校の噂に怪訝な顔をしている俺に気付いた飛坂が肩をすくめる。

「本当のところは、どうだかわからないけど、寇聖の知人が言うには、最近、とある一組織の活動が活発になってるって。あの男はその組織の一員らしいわ」

 今度は組織と来たもんだ。徒党を組んでるってやつか? とはいえ、あの鼻持ちならない雰囲気を持った眼鏡の男が誰かに組みするようには見えなかったが。

「それじゃ、もしかして他にも花札を……?」
「可能性は高いな。札を手に入れれば、《力》が手に入る―――放っておいたら、ロクな事にはならねェ。……だろ、千馗」
「そうだな。簡単に扱えるものじゃないっていうのはこの前の一件で証明されたし」
「ああ。何とかしねェとな」
「アイツ……地下にも花札にも全然驚いてなかったわよね。当然のようにあたしたちを待ち伏せて、目的の物を手に入れた……」

 飛坂はあの時のことを思い出すように呟く。

「うーん……。それってきっと、知ってた、ってことだよね。もしかしたら、この学校の地下みたいな場所が、他にもあるのかな?」

 穂坂の言葉が終わるのと、俺が気配に気付いて上を見上げたのは同じだった。秋晴れの空に浮かぶ雲のひとつから抜け出たような白鴉が現れて塔屋に降り立った。

「恐らく、そうじゃろうな」
「白ちゃん!!」

 穂坂に呼ばれた白は塔屋から地面に着地するとすでに少女の姿に変化して、扇子を広げた。
 白と執行者としての繋がりがあるためなのか、なんとなく白の出現がわかるようになっている。そんな予知とも予感ともいえない不思議な感覚がないはずなのに、飛坂は一人驚く素振りもなく白を見据えた。

「やっぱりアンタだったのね。さっきから随分ウロウロとこの辺りを跳んでるじゃない」
「ふん……。《龍脈》の流れを探っておったまでじゃ」
「他の鴉の縄張りには気を付けろよ。鴉って複数で襲ってくるらしいからなげふッ!」

 親切心で言ったはずなのに白の扇子が飛んできて俺の顎に当った。ひどい。

「……鴉乃杜(ここ)の地下に流れるのは、人工的に作られた《分龍》のようじゃが、それにしては下層に大きすぎる力の吹き溜まりが感じられる……」
「ん…人工的に、ってことはここの龍脈はもともとのものじゃないのか?」
「うむ、この地下を通るものは自然に出来た流れとはいささか異なるようじゃ。ただの末子が、これほどに札の力を高めるとは思えぬ。いくら札から情報が溢れようとあのように、洞そのものを異質に変えるなどとはな」
「……やっぱ普通とは違うのか。鴉乃杜自体が特殊ってこともあり得るのか?」
「……札は求める者に導かれる。このように、一所に幾枚もが留め置かれるなど、いままでになかった事じゃ、何かあるのやもしれぬな……」

 はじめて洞のなかを探索したときの衝撃を思い出した。封札師試験だってあそこまですごくなかったぞ、と比べていた俺は燈治や穂坂より驚いていたと思う。

 やはり鴉乃杜のことは調べておいたほうがいい。けれど素人の俺では手詰まりを早くも感じていたからすこし焦る。鍵さんの話を聞いていたときから少しひっかかっていたことだったのだが、

「狐はこの場所を《秋の洞》と呼んでおった。確かに《札憑き》を生むほどに強い力を持った札は皆、秋に属するものじゃ」
「なら、他にも四季を司る洞があるって考えていいんだよな」
「そうじゃな。ひょっとすると、ここには―――――なんじゃ。揃いも揃って、間抜けな顔をしおって」

 振り返ると皆がポカーンとこちらを見ていた。