まだ日常にならない朝 | ナノ

閑話《四》


 ――納得がいかぬ。

 白は美少女といって差し支えのない顔に眉間の皴を寄せて、ぐうたら寝ている当代の執行者――千馗を見下ろした。長めに下ろされた前髪が寝相のためか額を顕わにしていて、千馗の造作がハッキリとわかる。

 また白の皴が寄った。
 別に千馗が醜悪な顔立ちだったからではない。むしろ小奇麗さがある……今はとてもだらしのないものだが。

 執行者には見えない。
 もっと言うなら封札師にも見えない。寝ている姿はまさにあどけのない童の表情。しかし、右手にある黒手袋が存在感を主張していた。

 完全な不確定要素に対する苛立ちだけというには白の心は揺れていた。だが、なぜ札である自分がそんなことを感じなければならない。やはり、この男を執行者にしたからだと自分に納得させると千馗に対する怒りがフツフツと込み上げてきた。

「―――いい加減に起きぬかッ!」
「ッでえええぇエ!?」

 ビシィッと叩いた額を押さえながら千馗が飛び起きた。





「今日は土曜日だから学校ないのに……」
「泣くな鬱陶しい」
「お前らの年頃だと惰眠が一番の幸せってやつだからなァ。……まあいい年して寝てばっかりのやつもいるけどな」
「お父さん、それどういう意味ッ。ち、ちがうからね、千馗君、白ちゃん」

 何が違うんだよ、と呆れた顔で清司郎がご飯をよそう。

 少し頬を赤らめて弁明する朝子に白の隣で味噌汁をすすっていた千馗が「先生はいつも大変ですもんね」と笑っていた。さっきまでしくしくと情けなく泣きごとを言っていたのが嘘のようだ―――本当に嘘なのだろうか、と疑問を持ってしまった白の指が自然と動いた。

「って、ひだだだだっ!?」
「もう一枚皮がついているのでないのかえ?」
「俺はルパンかッ」
「駄目よ、白ちゃん。お兄さんの頬をいきなり引っ張ったりしたら」

 子どもを窘めるような響きに白の頬がぴしりと引きつった。千馗が吐いたその場しのぎの嘘を真に受けている朝子は完全に白を見た目通りの子どもとして扱ってくる。しかもどうやら「こすぷれ」とか言う特殊な趣向を持った「ひきこもり」の妹で、家族のうちでも千馗にしか心を開いていないとか、わけのわからない設定が日に日に増えている。

 人間社会に合わせて人の擬態までしているというのに何でこんな理不尽な目に遭わなくてならない。

 ぷるぷると震える白の怒りは、開いている障子からニヤニヤと煙をくゆらせている狐とおろおろしている狛犬を視界に入れた瞬間、盛大に爆発した。これがのちに千馗の語る「昭和時代の卓袱台返し(未遂)事件」である。





 境内にある本堂で「ぽてとちっぷす」を食べる。
 昨日、「こんびに」で千馗が買っていた袋のなかに入っていたものを勝手に広げたのだが、なかなかに塩味が効いていて美味しい。異国から渡来した芋を油で揚げて塩を振りかけたものは、前に目覚めたときにはなかった。

 ……ここもあちこち綻びておるのう。

 長年使われてすり減った床や張り替えられた障子の色の濃淡―――変わらぬ姿をしているのは気に食わない狐の神使と清められた氣の心地よさぐらいか。らしくもない感傷に浸りかけた白は、近付く足音に騒々しい奴め、と呆れた。

「あ、此処に居たのか。って、それ! 俺が買っておいたポテチッ!?」
「指がしょっぱくなるのが好かんが、癖になる味ではあるな」
「どんだけ適応力あるんだよッ。…あんまり食べると太るぞ」
「フン。人の理を妾にあてはめるな……で、何か用かえ?」
「朝姉えが白と一緒に買い物行こうって。あ、洞に行くのは夕方からにしようと思っているから気にしなくていいぞ」

 ニコニコと告げる千馗に白は、其方は何が最優先なのかわかってるのかえ、と睨んだ。
 暴かれた呪言花札を再び封印を施す。それが札の番人と執行者である者の務めだというのに、なにゆえこれほどまで呑気な男がいるのだ。

 札憑きに対してあれほどまでに不器用な有様なのに、札であるはずの白をまるで人間のように扱う。
今までの執行者のように恭しく扱うわけでもなく、封札師のように特殊な道具として見るわけでもない。千馗のこういうところが、白の知る執行者とも封札師とも違うと思う。

 それがまだ心地いいとも不愉快ともわからない。様変わりがヒトの常とはいえ、自分が眠っている間にどうなってしまったのだろうか。

「な、行ってこいよ。その格好だけってのも目立つしさ」

 重ねてすすめてくる千馗に白が扇子を広げて考える仕草をすると、千馗の後ろからひょいと顔をのぞかせた鍵が「引きこもりの白殿を更生させるのも務めとお嬢は考えているみたいですからねえ」とのんびりと(だが明らかにからかいを含んだ声音で)言い放った。


 ピキッ


「行かぬ! 行かぬからな! 何がひきこもりじゃ!」
「―――白ッ」
「ッ、な、なんじゃ…」

 はじめて険しい顔を向けられて白は思わずたじろぐ。

「俺たちは羽鳥家の御好意に甘えてここに住んでいるんだ。自分を札だなんだと言っても、清司郎さんの美味しいご飯をちゃっかり食べているんだから、例外はない! ……あとさ、何事も経験って言葉があるし。今の土地に慣れるっていうのは結構大事なことだろ」

 最後にはニッと諭すように言う。

 ……なんなのだ、この男は。

「…所詮は仮初じゃ」
「それでもさ。…それに、美味しいものとか見つけられたら、白だってうれしいだろ? 朝姉えが美味しいワッフルのある喫茶店でお茶もしようって言ってたぞ」

 ピクリと白の肩が反応する。「わっふる」は鈴から聞いていた食べ物のなかで、白が食べたいと思っていたものが―――じろりと鍵を見やるととぼけている。

「……まこと、おしゃべりな狐よ」

 おしゃべりになったと言ったほうが正しいのか。
 それも千馗のせいなのか、わからない。

「フン。わっふるがあるというなら仕方ない。もちろん、案内は其方もするのであろうな」

 付き合わせるのだから当然千馗も然り。
 なのに千馗は「え」と目を丸くした。

「えー…っへっへっへ。ごめん。俺が行くとその、バレる可能性高いから」

 露骨に視線を逸らした。

「………。……妾には偉そうなことを並べおって自分だけそのようなことが許されると思うてか!」
「ほら、夕方の探索の準備だってしたいし、ッだだだだ! ……すみませんでしたッ」

 無防備に出されている足の甲を扇子の先でぐりぐり押されて、千馗は涙目に土下座した。





まだ日常にならない朝

 ふふ、やっぱりお兄さんと一緒に行きたいのね、と朝子に笑われたのでもう一発千馗の足を踏み潰しておいた―――納得がいかぬ。