2st-13 | ナノ

第弐話 拾参


 あの白面と戦ったときと同じ扉だったから、もしかしてと思ってなかに入ると広い空間が広がっていた。けれどあの時より薄暗くて把握しづらい。
 俺の後から入ってきた飛坂が声を張った。

「宍戸君? ここにいるの……?」
「―――!! 七代、飛坂、下がれッ」
「え…――きゃっ!?」

 反射的にその場から退くとキラキラとした何かが舞って地面が二つに避けた。間一髪、飛坂は壇に引っ張られて避けられたのにホッとして地面を擦る足音の方向に目を凝らすと宍戸が立っていた。
 さっき光っていた粒のようなものは菊の花片だったようで、地面に落ちた花片は腐るように消えていく。

「ふゥッ……!!ふー……ッ……うウう……」
「宍戸君……。……ごめんね。道場の跡取りだもの、人の上に立つ事の苦労なんてよく知ってたはずよね。じゃなかったら……こんな事になっていないものね」

 剣道場で諭したときよりも飛坂の声は静かで、先輩としてではなく同じ気持ちを知る同士を助けたい気持ちがこもっていた。
 宍戸はその言葉に「道……場……」と反応を見せたが、それは飛坂の気持ちが届いたからではないとすぐに思い知らされた。

「剣……駄目じゃ……わシゃあ、負ケ、られンノじゃ……」

 カタカタと木刀を握る宍戸の手が震える。

「―――長英ッ。お前はもう負けてんだろうが。プレッシャーって奴によッ!」
「い……イやジゃああ!! 負けたラ何も、何モ残ラんノじゃア!!」
「長英、逃げんなッ!! よく見ろッ!! ちゃんと残ってんだろ。お前が逃げずにとどまれば、何だって、ちゃんと残ってんだろうが……」

 叱咤する壇の声に悔しさと苦しさが滲む。聞こえているはずなのに届いていない。いや、聞くことが怖いのか。

「無理じゃア……。無理ジゃケェ……。そレじャけェ、みンナ、なクなったラエえんジゃ……。試合モ……剣道部も……部員もミんナ……。ソしタラもう、負ケんデエえ……。そ、ソうじャろ?」

 かけられる言葉なく黙っていた俺に宍戸はそう問い掛けた。
 目前に立つ宍戸は荒い息で呻いている。それは興奮状態というより苦しみに藻掻いているのが正しいような痛々しい姿で、哀れみさえ覚えた。
 隠人っていうのはこんなにも悲しいものなのか。大事なものが見失うくらいに。

「………。……七代先輩……何デ……何でジャあ……」

 俺の視線に宍戸はかぶりを振って下がる。

「う……うグウ……ッ……何も、他ノ、何モ……おラんかッタらエえンジャあァァァ!!」
「長英ッ!! 馬鹿が……。そんなになるまで、一人で思い詰めてたのかよッ……!!」

 前に出ようとした壇の肩を掴んで引き止めた。ベルトに引っ掛けた竹刀を取り出して松の屑札を貼りつける。
 一歩前に出ると、宍戸が木刀を構えた。

「うウ……何も、他ノ、何モ……おラんかッタらエえ……」
「そんなことはさせない。お前の大事なものを壊させない。俺が、お前を倒す」
「…うウッ……わしャァ……わシャァ負ケる訳ニイカンのジゃァッ―――!!」

 宍戸が駆けた。
 瞬間、地面が光々と輝き、宍戸の身体が光の爆風に押されて後退した。んなッ、と壇が声を上げる。

「おま、七代ッ。もしかして札使ったのか!?」
「当ったり前だ! 普通の試合じゃねーんだから、やれるだけのことを尽くす!!」
「……もしかしてさっき、俺を止めたのは―――」
「もうちょっとで札の餌食だったな」
「バッ……ふざけんなッ!」

 膝裏を蹴られて思わず前のめり。ちょっと待て、お前は味方だろうが!
 危うく口論に発展しそうになると飛坂に「バカやってる場合!?」と嗜められた。

『――坊、他にもお出ましのようだ』

 鍵さんにも促されて立ち上がると、宍戸の――花札の気に触発されたのか隠人が現れる。お馴染みのコウモリに大剣を携えた女隠人だ。宍戸が体勢を立て直すのも確かめて俺はまた札を出した。
 隠人の弱点はもう壇もわかっている。隠人のことは壇と飛坂に任せて俺は紅葉の屑札を真下に配置した。グンッと身体が滑らかに前方へ吹っ飛ばされ、宍戸に勢いのまま特攻をかけようとして竹刀を宍戸に掴まれてしまった。

「ちょ、人の武器掴むのは反則だろが!」

 そう訴える俺を無視して宍戸は木刀を握った腕を振り下ろすから竹刀を手放して慌てて避ける。宍戸の動きは速いし、威力は大きいが避けたときの隙もまた大きい。そこを狙って俺は籠手をはめた拳で宍戸の横っ面を殴った。
 けど、硬ッ!! しかもほとんどダメージはなかったみたいで再びピンチになった。

「うるあッ!」
「ッ、ぎゃああ!」

 一声と共に横殴りの水流に俺は宍戸ごと吹っ飛ばされる。べしゃ、と地面にぶつかって倒れると腕を掴まれて引っ張り上げられた。……うえ、これ普通の水じゃなくて酒臭い!

「助けてくれるならもっとマシなやり方してくれよッ」
「助けてやったんだから文句言うな、よッ」

 背中を押されて俺はまた立ち上がる。振り返る間もなく、「背中は任しとけ」と壇の声が耳に届いた。くそ、ベタだけどやっぱ嬉しいもんだな。……なあ、宍戸、本当にお前はいい奴らが傍に居てくれてるんだよ。
 呻きながら立ち上がる宍戸に拾い直した竹刀を構えた。

 武器を使って、時には札を駆使してじわじわと体力を奪っていく地味な戦法を繰り返すこと数度目の攻撃に宍戸はようやく片膝を着いた。

「う……ぐゥッ……」
「宍戸君ッ!!」

 隠人を一掃した飛坂が駆け寄ろうとするのを止める。
 まだ、宍戸は木刀を放していない。

「くそッ、まだかッ!?」
「ハァ…ハァ…、……ッ―――白」
『駄目じゃ』

 胸ポケットにある札から声が届く。

『思ったよりも同化が進行しておる……』
「なら、他に方法は―――」
『!? 七代ッ、気を抜くでないッ!!』

 白の声にハッとして竹刀を構える。立ち上がり、身体から氣を噴出させて宍戸が木刀を振った。その風圧が衝撃波となって岩壁を抉る。

「いヤじゃ……いやなんじゃああァァァ!!」
「七代ッ―――!!」

 菊の花片が舞い目が眩む向こうで、宍戸の木刀が俺に突きつけられた。喉元に切っ先が伸びる。
 あの威力なら首が跳んでもおかしくない状況―――だけれど、首はちゃんと繋がっている。

「ぐゥッ……!! ふ……ッ……七代先輩……わしゃァ……もウ……駄目なンか……?」
「お前の負けだ、…宍戸」

 にっと俺は笑ったら、宍戸の目が少し見開いてゆっくりと瞼を閉じる。そして「ほウ……か……」と小さく笑った気がした。

「ぐゥッ……。……お、おおおッ―――」
「おい、大丈夫かッ」

 カランと木刀が宍戸の手から落ちて今度こそ膝を着いた。
 それを壇が腕で支える座らせると『……うむ、これならなんとか行けるじゃろう。参るぞ、七代』と白が札から鴉に転じて宍戸に向かって滑空する。眩い光が走って宍戸が呻くのが聞こえた。

 ゆっくりと目を開けると宍戸の体からサラサラと砂のように不可思議な模様や帯、菊の花が消えていくところだった。そして完全に元の姿に戻った宍戸に飛坂が駆け寄った。

「宍戸君―――!!」
「元に……戻ったのか!?」

「七代。これは其方が持て」
「ありがとう、白」
「……これが妾の役目じゃ」
 
 ぶっきらぼうに白が咥えていた菊に青短の花札を俺に渡してくれる。白は認めてないって言っているから形だけの執行者と番人の関係かもしれないけれど、こうやって俺の意思を酌んで助けてくれたことに頬が緩む。それがあからさまだったようでまた俺の頭上に陣取った白に突かれた。
 
 う、と瞼が震えて宍戸が目を開けた。
 宍戸は壇、飛坂と俺を見ると顔をくしゃくしゃに歪めて「情け、ねえ……」と声を震わせた。

「こんな……無様な姿ァさらして、先輩方に、体張ってもろうて。わしゃァ……やっぱり駄目なんじゃ。こない、情けない男に、剣技の長など務まるはず―――」
「長英、てめェ―――」
「ごぶわッ!!」

 壇が何かする前に俺が宍戸を殴ったのが早かった。けど多分壇も同じことをしようとしたのだと思う、宍戸が倒れないように支えながらも「へッ、先越されたな」と口元を笑みに歪めていた。

「ちょ、ちょっと、何してんのよ!!」
「飛坂、落ち着けよ。…で? 今度こそ目は醒めたか?」
「七代先輩……燈治先輩……」
「お前の負けだ。ざまあみろ」
「―――!!」

 呆然としていた宍戸がカッと目を見開く。しかし、壇が「それで? 何か変わったか?」と言った瞬間、え、と宍戸が困惑した表情を見せた。
 壇の言いたいことをいち早く気づいた飛坂は呆れた声を上げた。

「まったく、何なのよ、その強引な論法は……。いい、宍戸君? 試合なんて負けてもいいわよ。部長なんて嫌ならやめりゃいいのよ。だからって何? アンタはアンタでしょ? それだけは無くならないし変わらない。アンタはちゃんとここにいるわ。……お帰り、宍戸君」

 笑いかける飛坂を見上げていた宍戸は、耐え切れなくなったように俯いた。

「わしゃァ……わしゃァ幸せもんじゃ……。こがァに、ええ先輩方に囲まれて……わしゃァ……わしゃァ……!!」

 あー、もうこれは涙腺崩壊だ。顔を上げない宍戸をからかうなんてことはできず、俺はただ宍戸の頭をぐしゃぐしゃに撫でた。

「よかったな、宍戸」
「う……ううッ……。七代先輩……恩に着るけェ……」
「まったく、ヒトとは面倒じゃの……。―――!?」
「何だ、どうした?」
「この気配は……まさか!!」

 白が鴉から人の形に変わると険しい顔で地面を見る。
 俺も白と同調しているのか、肌が粟立つような何かが地中から這い出ようとしているのがわかってその場から反射的に退くと、ゴオオオオッという揺れとともに地中から光の柱が立ち上がった。その光の中心に花札があるのがわかった。
 
「花札が……もう一枚だと!?」



「……ようやくか。いささか待ちくたびれた」



 誰だッ、と壇が声を上げた瞬間、カンッという音と一緒に光の柱が破裂した。
 腕で庇った目を恐る恐る花札の方に向けると、地面に縫い付けられるように矢が刺さっていた。
 
「紅葉に鹿……。今度こそ間違いないな」

 ヒュンと矢に付いた紐が引っ張られ、花札ごと矢が声の方向に消えた。

「札が……何奴じゃ!?」

 矢が放たれたらしい方向を見ると、男が一人立っていた。
 年のころは俺たちと変わらないだろう、目立つ朱色の学生服を着た男は弓を持っていない左手で眼鏡を押し上げた。

「札は力に惹かれ、寄り集まる……。とは言え、まさか同時に三枚も拝む事になるとは思わなかったがな。まあいい。この札は―――俺が頂く」

 その言葉に俺は札を使おうとしたが、宍戸との戦いでもうほとんど使える気力がないことに気づいた。身体もギシギシと悲鳴を上げている。そんな俺を男はフンと嘲るように笑うと「恨むなら、己の迂闊さを恨むんだな」と一蹴した。

「目的は果たした。俺の仕事はここまでだ。それじゃあな。間抜けなカラス共―――」
「待ちやがれッ―――くッ!?」
「何なのよ、これッ!?」



 
拾四