2st-12 | ナノ

第弐話 拾弐


 新しく開いた洞は、弥生時代を意識させる菊の匂い立つ場所だった。

 岩壁からのぞく黄や白の菊は、鮮烈な紅葉の紅と比べたらその色は目立たないが、かの後鳥羽上皇から天皇の紋として珍重されてきた花だけのことはある。確か九月九日は重陽の節句で――と、考えていたら「何か見つかったか」という声に俺は顔を上げた。

 高床式倉庫のなかにある祭壇に前の区画で見つけた紺碧の皿のような《満地の印》を嵌めこむと、また新たなアイテムが出現したので、それをOXASのデータベースで調べると《籾の印》だとわかった。うーん、にしても伊佐地センセから貰った携帯電話はすごい。
 見た目は普通の携帯電話だし、その機能は叔父が持っていたのと大差ないが、カメラ機能を使って洞の仕掛けを撮影して取り込むとヒントとなる情報を提供してくれる。

 で、ええと《籾の印》は―――人々の豊穣への歓喜の念が木板として実体化したもの、か。

「ふうん。豊穣ね」

 狭い部屋を出た俺は、下で待っている壇と飛坂の方に降りた。

「また何か出た」
「板か……どう見ても、あの扉の鍵には見えねェな」

 壇に倣って、この部屋から先へ行くための扉を見る。ご丁寧にアイテムを嵌め込む部分があり、正しいものを入れない限り開かない仕掛けになっている。
 同じく《籾の印》を見ていた飛坂が右手の甲を擦りながら「さっき、ここに来る前に祭壇みたいのあったわよね」と言った。

「なら一度戻ってみるか。……あのさ…飛坂、大丈夫か?」
「え? ああ、うん。札が貼りついたときは本当、痛かったんだけど、今は大分楽よ」
「そっか」

 飛坂は札憑きになった。
 ここで泥人形とナメクジみたいな隠人を倒したとき、飛坂が紅葉に青短に取り憑かれたのだ。白のおかげで事無きを得たが―――こういう事が起こった時にしか動けない自分が悔しい。いや、文句言っても仕方ないんだけど。
 飛坂に言われた通り、もとの場所に戻ると水で一杯になっていた場所がぬかるんだ地面になっていた。

「さっき、ここ……水じゃなかったか?」
「……本当、予想をはるかに上回る場所ね。一瞬で変わるなんてホント無茶苦茶よ」
「あ、上の方に祭壇みたいなのがある。ちょっと行ってくるから、二人は待っててくれ」

 ぐちゃ、と足にからむ土を振り切りながら俺は入口の傍にあった祭壇に近づいてみる。祭壇には祈りを捧げる人のような絵が描かれていた―――なるほど、豊作祈願なら《籾の印》で正しいだろう。
 台座に木板を嵌め込むと、一瞬輝いて吸い込まれる。と、代わりに鍵が出現した。それを受け取ると「おわっ!?」と壇の驚いた声が聞こえた。

 どうした!?と下を覗きこんだら、土で満たされた場所から、早送りの映像を見せられているように重い実をつけた稲穂が蒼然と並んでいた。

 ……わー、金色の草原みたい――ってナウシカやってる場合じゃなかった。
 今度は穂波を掻き分けて二人の元に戻った俺は《斎庭穂の鍵》を見せた。

「これなら次へ進めると思う」
「なら、先に進もうぜ」
「――ねえ、気になってたんだけど。さっきあたしを助けてくれた時みたいに、宍戸君から札を剥がせないの?」
「無理じゃな」

 札になって黙りを決め込んでいたはずの白が、鴉の姿をして現れた。

「出来るなら、あの時にそうしておるわ」
「どういうことよ……もしかして…」
「おい、じゃあ長英はあのままなのかよ!?」
「煩いわ、童ども。情報の量が増えておるのだ。ただ札を剥がすだけでは、完全に戻す事は出来ぬ。……もっとも、あの童がどうなろうと構わぬなら剥がしてやれなくもないが?」
「てめェ……」

 壇の目が一気に剣呑さを増すが、白は無視を決め込む。

「どうすればいい?」

 俺が問いかけに、白は頭の上に乗っかった。……いや、だから、そこは巣じゃねえよ。

「其方には関係のない者ではないのかえ?」
「直接関係ないから助けないっていうのは理由になんないだろ。別に博愛主義者を気取らないさ。けど、俺が助けられる奴がいるなら……助けてほしいって思っている奴がいるなら、助けてやりたいんだ」

 常勝鴉乃杜っていう重いプレッシャーに苦しんでいたんだとしても、札に取り憑かれて部員や生徒を襲うことなんて、宍戸は望んでいなかったはずだ。

「……白には不服かもしれないけど、今は俺が執行者だ。ちゃんと札は集める。けど、集め方は俺が決める」

 今まで、お前が認めてきた執行者たちも守りたい何かがあったんだろ? 勘違いでも、あの時、助けたいという俺の意志に惹かれたと言ってくれたなら、俺はその一線を譲歩する気はないことを知ってほしい。
 白は少しの間黙ったあと、「全く……今度の執行者は、つくづく腹立たしいわ」と言って俺の嘴で突いた。だから地味に痛いんだっつのッ。

「よいか、一度しか言わぬ。彼奴から札を剥がすには、まずは宿主を弱体化させる」

 飛坂が「弱体化…って」と眉を寄せた。

「文字通りの意味じゃ。隠人は宿主を媒体に集めた情報によって構築された存在。情報量を減らすことが一番有効な手じゃ……だが、完全に倒してしまえば―――わかっておるな、七代?」

 完全に倒すのではなく、弱体化という限度を守らなくてはならない。理屈は簡単だが、それがどれだけ厳しい条件なのか。
 けど、簡単に助けられる道なんてない。
 俺が頷くと、肩を軽く叩かれた。壇と飛坂が俺に眼差しを向けていた。

「ま、お前だけがやるんじゃねェんだからよ」
「そうよ。あたしも、この《力》でアンタのサポートをするんだから大船に乗った気でなさい」
「…だよな。ここには壇も飛坂も、白もいるんだから大丈夫だよな!」

 力強い二人の言葉に嬉しくなって笑ったら、「勝手に妾を数に含めるでないわ」と今度は鉤爪を頭皮に立てられた。

「痛たたたたたッ!」
「これに肝心なのは―――彼奴の、意志次第じゃ。強い意志の下、力の方向が定まれば、札の力も自ずと一定に収まる。経験した其方ならばわかるであろう?」
「なるほどな。なら、拳で目を醒まさせてやるだけだ」
「そうだな。……よし、先に進もう。宍戸が待ってる」

 とか格好よく決めたつもりだったのに、次の部屋に入った途端に封札開始って幸先悪いな!と俺はナメクジみたいな隠人をパチンコで狙う。
 キュビィッと鳴くナメクジに鳥肌が立つ。お化けも怖ぇけど、ヌメヌメしてるのもダメなんだよ! ナメクジとかウナギとかオタマジャクシの卵とか本気で気持ち悪い。ああいうのは全部死滅すればいい―――

「あがッ!?」
「どうした、七代!」
「な、何ッ? 何処から攻撃が来たの?」

 くうううう、頭がクラクラしたぞコンチクショウ!

『坊、どうやら姿を暗ませられる敵がいるようだ』
「姿を、暗ます?」

 鍵さんに言われて俺は秘宝眼を意識してもう一度周囲を見た。すると景色が暗色にぼやけるなか、フワフワと浮いた勾玉状の隠人が数体いた。
 けど、秘宝眼を使ったまま狙うのは辛い。それを二人に伝えると飛坂が「あたしに任せて」とスカートのポケットに手を入れた。

「七代君、場所は?」
「――ここから北東に一体」
「わかったわ。……一撃、必殺ッ!!」
「はッ?」
「え!」

 ブンッと飛坂が何かを振りかぶった。それはダーツのように真っ直ぐな線を描くと、俺が示した隠人に直撃。しかも勾玉の隠人は核を見事に破壊されて消えた。
 ……まさに一撃必殺。そのまま飛坂に位置を伝えることで難なく隠人を一掃できた。戦闘が終わったあと、壇が「お、おい。本当に倒せたのかよ?」と小声で訊いてきた。

「ははは…見せたかったぜ。飛坂の一撃で粉々に砕ける隠人」
「……マジでか」
「………。……あまり怒らせない方がいいな」

「……飛坂らしい、厄介な《力》だな。ところで一体何を投げたんだよ?」
「え。ああ、シャーペンとマッキーよ。他はカッターとハサミと定規に……使えそうなものは一通り持ってきたのよ」

 出された文房具一式に俺と壇は黙った。隠人を一撃で倒したものが文房具って―――俺より封札師の才能あるんじゃないだろうか、なーんて、ハハハ。
 そして手間取りはしたが部屋の仕掛けをいくつか解いたあと、最後の封札を終えた俺たちは《親魏倭王の金印》を手に入れて最後の扉に嵌め込んだ。先に進むと、あの特別な堂があったので体力を回復する。

「わからないことばっかりね。その、呪言花札でこうなってるんだっけ? 宍戸君を追って此処まで来たけれど、札を見つけるだけならこんな仕掛けって必要あるのかしら?」
「さあ。白もこの洞についてはあまり知らないようだったけど………」

 でもまるっきり見当がついていないわけではなさそうだった。どうしたの、と飛坂に言われて、いや、と首を振った。今は宍戸を助けることだけに集中しよう。
 一層まがまがしい空気が漂う両開きの扉の前に立つ。多分、この向こうに宍戸がいる。俺のなかにある白札の感知能力が反応しているような感じ。

「――よし、開けるぞ」




拾参