2st-11 | ナノ

第弐話 拾壱


 宍戸は部員に任せた方がいいだろうと俺たちは武道場からグラウンドに出ていた。

「それじゃあ、あたしは見回りの指導があるからここで。アンタたちも早く帰りなさいよ? 弥紀も、今日は待ってなくていいから」と飛坂は靴を履き替える。

「うん……わかった。巴も気をつけて」
「―――と、そうだわ。七代君、ちょっと携帯電話、出しなさい」
「…なんで」
「あら、やましいことでもあるのかしら?」

 ないです、はい。と降参して携帯電話を渡す。

「それでいいのよ。―――ん、これでいいわね」

 携帯電話を開くと「飛坂 巴」の個人データが表示されていた。

 …もうね、なんていうかね。お前ら本当、やることそっくりだな、と壇を見やるとプイッと顔を背けられた。自覚はあるんだな? そうなんだな?

「何かあったら連絡しなさいよ。あたしだってその……少しは力になれると思うから」
「……ありがと、頼りにする」
「そういう風に素直に言われるのって、なんか悪い気しないわね」

 ありがと、七代君。と飛坂が去ったあと、俺と壇は教室に鞄をそのまま置いて来て行ったので、四階まで上がった。最後に教室に残っていたクラスメイトに「サボりかー」とからかわれながら自分の席にかけて置いた鞄を取ると、壇が窓からグラウンドを眺めた。

「やれやれ。お前もとんだ奴に見込まれたもんだな」

 グラウンドには部活とは無縁そうな生徒たちがちらほらいる。生徒会役員だろうか。
 穂坂から聞いたが、飛坂の生徒会長としての人望は厚く、正式な生徒会役員の他にボランティアとして手伝いを買っている生徒、通称特務部というのもいるらしい。そう言われると小隊並みの機動力があるのも頷ける。

「嬉しいけど見込まれたっていうより、問題児確定って感じだな」
「…宍戸くん、本当に大丈夫かな。さっき、少し気になること言ってたよね」
「辻斬り事件なのに神様の祟りが出てきたのは予想外だったな」

 別々の事柄か――いや、宝方の言葉を借りるなら、辻斬り事件が表なら、夜刀神の祟りが裏なのか?

 確か、五龍山だっけか、と俺が呟くと壇が「道場に通わされてた頃、ジジイに毎日のように聞かされた話だが」と話してくれた。

「五龍山ってのは安芸宍戸氏の拠点でな。この山城の水が涸れた時に、五龍王を勧請して難を逃れた事からながついたそうだ。宍戸氏の元々の居住は菊山ってとこにあったんだが、そこも水に恵まれなかったらしくて、長英ん家の道場にも何とかっていう水の神とかが祀ってあったな」
「それじゃあ、さっき宍戸くんの言ってた夜刀神様ってそのことかな。何かで読んだんだけど、夜刀神って蛇の姿をした水の神様なんだって」
「……蛇に似たものを宍戸は見たってことはないか?」

 普通ならそんなもの大都会に現れるわけながない。だが、それがあり得るということを俺たちは知っている。「……あんの馬鹿」と壇が悪態を吐いた。
 宍戸がどういう経緯で《それ》を見つけたのかわからないが、おそらく人智を超える何かを見た。先祖代々から伝わる言い伝えの神の姿が蛇神であったために、《それ》を蛇神と考えた。

「ああ、それだよ。長英が馬鹿な勘違いをしたのも無理はねェってこった」
「蛇……細くて、長くて……つまり帯状のものってことなのかな?」
「菊に青短」

 穂坂が「あ」と目を丸くすると、壇は頷いた。

「あァ。花札に取り憑かれたと考えれば筋が通るだろ? 俺たちは、七代がいてくれたから無事で済んだんだ。飛坂の言ってた事は確かに正しい。だが、いまのあいつじゃ、余計に追い詰められただけなのかもしれねェ。自分を信頼してくれる部員を自分で傷つけたんだとしたら尚更な」

 苦々しい口調に穂坂が「壇くん」と気遣わしげに声をかける。

「もし、宍戸くんがすでに花札を持ってるとしたら―――」



「う、うわああああッ!!」



「ッ――!!」
「くそッ!」
「あッ! 七代くん! 壇くん!」

 耳に届いた悲鳴に迷わず壇が窓に脚をかけて飛び降りる。俺もそれを追って窓から飛び降りた。

「剣道場か!?」と壇が走ろうとしたとき、「止まりなさいッ!!何処へ行くつもりなの!?」と覚えのある声が聞こえた。

「いまの……飛坂か!?」
「向こうだ!」

 声を頼りに走り出したが、俺たちは道に迷うことがなかった。
 走っていく先々に倒れている生徒たち。ヘンゼルとグレーテルが落とした石のように彼らが目印になっていて、迷う事はないが―――焦燥感ばかりが募る。そして校舎裏に辿り着いたとき、男子生徒が震える声で叫んでいた。

「部長!! やめてください、部長!!」

 剣道場に顔を出していた部員の子だ。

「一体、何でこんなこと―――」

 閃光が走った。

「う、うわああッ!!」

 助ける間もなくドサリと男子生徒の体があっけなく倒れ、彼で遮られていた人影が顕わになった。
 それは人と呼ぶには異様な姿をしていた。身体のあちこちに咲き誇る大輪の黄菊と、生き物のように波打つ紺色の帯は確かに蛇ように見えた。それは右腕に集まり、握られている長物の武器に絡みついていた。

「長……英……?」

 思わず、といった声だった。
 俺も言葉がない。歌舞伎者だった。宍戸の顔にあたる部分も菊の花が影をつくっていたが、まるで歌舞伎の化粧のように朱色の線が走り、目は縁どられている。

「そうか……やっぱりお前が……。この馬鹿野郎がッ!!」
「七代君!?壇まで……。一体、何で―――ちょ、ちょっと!?」

 いつの間にか飛坂を追いぬいていたらしい。校舎裏に来た飛坂を前に出すわけにはいかず、後ろに引っ張った。

「何するのよ!?」
「頼むから! 俺の後ろから動かないでくれ」
「ふん、すでに憑かれておったか」
「―――白!!」

 白い羽根が上空から散って、飛んできた白鴉が人の姿に変化した。
 白はばさりと翼のように裾を靡かせ、金の扇の端をすっと宍戸と思しき異形に向けた。

「見よ、七代。あれが札の力に憑かれたものの末路――――――隠人じゃ」
「やっと、…追いついた……! 七代くん、壇くん―――巴! と、……え?」
「弥紀ッ!」

 四階から追ってきた穂坂がことの有様を見て呆然とした。
 女の子二人も守り切れるか、と飛坂同様に俺も焦っていると、宍戸が動きだした。

「う……うウうッ……。いチばンつヨイちかラチカら……モっト……。もっト……」

 飛坂と穂坂には近付けまいと退く俺たちに宍戸は得物を構えようとしたが、ふとその視線が焼却炉の方に向いた。まさか、と思い至った時には宍戸が焼却炉の扉を開けていた。

「待て、長英ッ!!……クソッ!!」

 壇が慌てて捕まえようとしたが、宍戸は何の躊躇いもなく闇のなかに落ちて行った。
 焼却炉の下には秋の洞がある。

「ふん……。やはり洞に向かったか。という事は、あの中にはまだあるのじゃな」
「え……? 白ちゃん、宍戸くんがどこに向かったかわかるの?」
「より大きな《力》の元じゃ。七代の持つ物より更に大きな《力》がここに眠っておるのじゃろう。やはりそのための洞という事か……」

 白は難しい顔をして焼却炉の方を睨み、そして俺を見上げる。
 わかってる。すぐに神社から装備品を持ってこようと動こうとした俺の袖を飛坂が掴んだ。その手はかすかに震え、困惑に満ちた顔が俺を見る。

「いまの、何よ……。鴉が女の子に……」
「巴……」

 穂坂が飛坂の気持ちを鎮めるように隣に立った。飛坂は押し黙ると順繰りに、穂坂、壇、そして俺を見て――小さく息を零した。

「――そっか。アンタたちの隠し事ってこれね」

 ごめん。つい出た言葉に飛坂は「気持ちは、分からないでもないわ」と袖を掴んでいた手を放してくれた。
 納得ができたら冷静さが戻って来たらしい。飛坂は「で、宍戸君は焼却炉の下に行ったのね」と訊いてきたので頷いた。

「いいわ。アンタたちが行くって言うならあたしも行く」
「ちょっと待ってくれ。地下は飛坂が思っているより危険なんだ」
「七代の言う通りだ。お前はここに残れ」
「あたしにはあたしの責任の取り方があるの。……嫌とは言わせないわよ?」

 ……ああ、もう! こんな問答を繰り返すって、こいつら本当に強情にも程がある。

 飛坂の気持ちは分からないわけじゃないが、危険だと分かっているところに札憑きでもない飛坂を引っ張っていけるか。けど、ここまで見られている。飛坂の行動力は嫌っていうほど知っている俺は、またしても此処で置いていくことはできないのだということを悟った。

「――わかった。わかったけど、お願いだから突っ走らないでくれ。壇、付いて来てくれるか?」
「おう、当たり前だ」
「それじゃあみんなは急いで! わたしは……ここに残って部員さんの怪我を何とかする。わたしなら、少しは傷も治せるし、先生に見つかっても頑張って上手く説明するから。だから、七代くんたちは、早く行って?」
「……この人たちのこと、頼む。けど、無理はしすぎるなよ」
「うん。宍戸くんのこと……お願いね」

 ふわっと穂坂はいつものように笑うと、キリッと引き締めて「巴、他に怪我した人は?」と言う。

「剣道場にも……何人かいるわ。弥紀……頼んだわよ」
「うん、任せて!」





 装備品を揃えた俺は再び燈治と飛坂に合流して、焼却炉の下にある洞に降り着くと『坊、先ほどの気配ですがもう奥に進んでいるようです。この前とは違う方の扉が開いてますからね、そっちの方へ行ったようです。くれぐれも気をつけてお行きなさい』と鍵さんの声が伝わった。

 飛坂が最後に苦戦しながらロープで降りている横を鴉に変化した白が通過し、俺のところまで来ると頭の上にずっしりと重みが加わる。待て、俺の頭は巣じゃねえぞ。
 それとも執行者と認めてないぞ的な意味合いだろうか……く、くそ。グサグサと繊細なハートが切り刻まれる。

「まったくヒトというのはいちいち面倒なものよな。感情で時間を浪費し、挙句、選んだ選択肢が―――よもや足手纏いを連れて行く事とはの」
「何ですってェ〜!? 上等だわ。足手纏いかどうか、見せてやろうじゃないのよッ」
「おい、暴れると落ちるぞ。ッたく」
「うっさい!」

 穂坂のことがあってか距離を保って声をかける壇を睨む飛坂。その光景を、フンと鼻で笑った白は「勝手にせい。さて、参るぞ、七代」と俺の頭を嘴で突いた。
 ・・・俺は電柱か止まり木か。




拾弐