「結婚したからな」 「……………そっか」 半年振りに帰ってきた新宿。 鴉羽神社に顔を出してから訪れた高級マンションの一室で一人ソファーにふんぞり返っていた義王の第一声がそれだった。 とりあえず千馗は相づちを打ってみせてから考える。妙なショックだ。結婚という言葉が千馗の前にいる男には縁遠いと勝手に思っていたのだ。他者を縛ることはあっても、縛られることを許容することはないと豪語していた義王が――いや、成長したのか。 世間的に評判がいい悪いは別にして義王がその双肩に背負うものは大きい。それはかつて千馗が課せられた世界より、現実味のあるものだ。義王は養子だというが、跡継ぎとして育てられたことも考えればあり得ない話ではなかった。むしろ考えつかないのがおかしかったのか。 付き合っていたと言っても始まりは曖昧だったし、向こうの独占欲もそれは子ども地味たものだったがそれでも顔を見せていたのは愛着を持っていたからに他ならない。 何も言われずに別れるという判断されなかっただけよかったではないか。うん、最後くらいはすっきりと別れよう、と千馗は脱いだばかりのコートを羽織る。すると義王は「オイ、どこに行くつもりだ」と少し目を丸くした。 「どこにって、朝子姉ん家に帰る。新婚夫婦の火種になるつもりはないよ」 「はァ? ―――って、オイオイ。誰が帰っていいっつった」 玄関に向かう千馗がドアに手をかけたのを追い掛けてきた義王が手を掴んで止める。振り返ると常に見てきた不機嫌な瞳とかち合ったが、千馗はこれに呆れた。 「義王――お前、その派手くらしい成りでいいっていうお嫁さんを大事にしなきゃダメだよ」 「言われなくてもしてるじゃねーか」 ……何、言ってんだ。 「してないよ!? それ、してないからね? 婚姻届け出すとこまで行ってるならわかると思うけど、女の子にとって結婚は多少なりとも考える人生のあり方の一つで乙女チックだろうが何だろうが幸せになりたいって思うんだよ。これはね、義王がしっかりと守ってあげなきゃいけない大切な人に対してすることじゃないよって……最後まで聞けってば!」 説教しているというのに千馗を抱えて部屋に戻ろうとする義王。バタバタと藻掻いてみせるが千馗の力など体格のちがう義王相手には抵抗にすらならず、ぽいっと子犬か子猫よろしくソファーに投げられた。黒の革張りでクッションの効いたソファーで痛みはなかったが、ずぶっと沈む。 その上に義王がかぶさってきて千馗はギョッとした。 「ちょ……帰るって言ってんのに!」 「誰が帰すか。テメーの指図は受けねえよ」 「ああああ、もう! ちょっとは思考回路も大人になれってば!」 「大人もクソもねえ、俺様は俺様だ!」 「こんの、ジャイアン! 私は不倫するつもりはないッ」 そう言った瞬間、義王がこれまでになかったほど驚いた顔をした。瞳が開かれて、赤い瞳が薄暗い逆光のなかでも分かる。その反応にはさすがに千馗も唖然と見返すしかない。 そしてゆっくりと身体を起こした義王につられるように千馗も起こして向き合った。表情だけはコロコロと変わっていた男が地蔵のように無表情だ。そのことに千馗はいい知れぬ不安感を煽られて逃げようとしたところで手を握られた。 「義王…?」 「お前、誰と結婚しやがった」 「―――は?」 爛々と輝く赤。 何度も対峙したときに向き合ったからわかる。その色には怒気を孕んでいる。だが、言っている意味が分からない。 「…だから、義王は結婚したんだよね?」 「今はテメーの話だろうが! あああッ、クソッ! 御霧の奴、んなこと言っていなかった……まさか御霧じゃねーだろうな」 「な、何が…」 「じゃあ、あの鈍牛か!」 「ちょっ……待て! 私は誰とも結婚してない!」 「じゃあ何で不倫とか言いやがった!!」 「お前が結婚したからだろ―――――!?」 ・ ・ 『まあ、99%の確率でそうなるとは思っていたが。かっちゃんは期待を裏切らないな――成長したのか?』 「誰が普通、本人が知らぬ間に結婚してると思うの。参謀(オカン)の教育不行き届きだよ」 『奴の尻拭いはしてきたが、あんな子どもを持った覚えはない』 「保証人にサインしたなら責任くらい持て――って……義王! 勝手に携帯取り上げるな」 「うるせェ。手間かけさせやがって」と電源ボタンを押して通話を切ってしまう。御霧のことだから分かっていると思うが、真相を明かされた今は少しのことでもムカッとした。 「何が手間だ。馬鹿。チビ。ジャイアン。考えなし。赤毛――」 「オイ」 「――なんで私選ぶかな」 いいこと無いよ、と千馗はぐったりとソファーにもたれた。ぐるりと見渡せば立派な調度品や家具が並んでいた部屋が半壊状態だ。札憑きの力が健在している義王との喧嘩は一度始まるとひどいことになるから嫌だ。 こういう男を尻に敷けるだけの気構えと受け流せる包容力のある人がいいに決まっているのに――お前ら本当に考えたのかと、横で自分を抱きかかえる盗賊王と保証人になった鬼畜眼鏡と金髪美人に怒りたい。 だけど、もう遅いんだろう。 そう諦めてしまえるくらいに自分はこの馬鹿が好きらしい。 「――…本当にいいことないのに。結婚なんて義王にしたら法律に縛られるようなものでしょ」 「テメーみたいなのはこうでもしない限り俺様んとこ帰ってくる保証はねェだろ。法律程度で縛られるんなら安い話だ」 ぐりぐりと首筋に埋めてくる義王の髪にくすぐったくなる。 「猫に首輪つけるように言われてもなあ…」 目に痛い色なのに触ると存外癖になる髪を撫でながら千馗が苦笑すると「ああ、そりゃあいいな」と義王が真面目くさった声音で同意した。 「指輪なんかよりよっぽどいいじゃねェか」 「…………」 「……んだよ」 「………義王がそんなに私が好きだったとは思わなかった」 驚いたと言わんばかりの表情で振り返った千馗に、義王は思いっきり顔をしかめながら「今さら遅せーんだよ」と噛み付くようなキスをした。 20120720修正 |