2st-10 | ナノ

第弐話 拾


 放課後に合わせて戻った学校は、いつもより人の数も喧騒も少なかった。
 それもそのはずで今日は部活動が全て中止になったらしい。部活帰りの生徒が襲われたということもあったら学校側も気にするだろうな。帰宅へと向かう生徒たちの波に逆らっていく壇に俺は「宍戸も帰ってるんじゃないのか?」と聞いた。

「さっきのお前の話を聞いたら、な。むしろ剣道場にいると思う。部活は休みでも、あいつの居場所は、あそこだけだからな。いや―――そう思い込んでる事がすでに間違いなんだけどよ」
「そうか。…幼馴染っていいな」
「そんなんじゃねェっつってんだろ。あの馬鹿、思い詰めると何しでかすかわかんねェ、ってのを知ってるだけだ。ま、とにかく行って―――…げ」

 武道場に続く1階の廊下の奥で立っていた人物に俺も「げ」と素直な声が出てしまった。

 窓から差し込んでくる西日に眼鏡が光って目が見えない相手の威圧感ってこんなにあるんだな、と俺は仁王立ちしている飛坂に固唾を飲んだ。
 その隣では穂坂が困ったように佇んでいる。今更別の道に逃げるのも往生際が悪かった俺たちは一度顔を見合わせたあと、死刑執行前の囚人のごとく飛坂の前に立った。

「転校早々にサボりなんていい度胸してるわね、七代君? さぞかしデートは楽しかったでしょうね」
「気持ち悪ィこと言うな! ったく、いきなり因縁つけてんじゃねえよ、飛坂。大体、何を証拠に…」
「ごめんね、壇くん。七代くん」

 穂坂が申し訳なさそうに言った。

「見られてたの……校庭走ってるの…」
「まさか弥紀が自分からそんな事するとも思えないし。そう思って裏を取ってみたらこれよ」

 まあ確かに誰にも見られてない、とは言い切れないけど、生徒会長権限ってのはどんだけ。
 ますます強敵だな、と俺が頭を抱える横で「そんなことを言うために張ってたのかよ」と壇は(開き直ったように)飛坂を睨みつけた。

「追及はアンタたちの心がけ次第よ。それより、行くわよ」
「だから、何処へだよ」
「決まってんでしょ。剣道場よ。宍戸君が入ってくのを見たって情報があったの。今朝の様子からして、何だかちょっと、嫌な予感がするから」
「さっき、合唱部の後輩にも聞いたんだけど、なんだかすごく思い詰めた顔したって」
「どうせ最初から行くつもりだったんでしょ?」

 ポカンと壇は二人に呆気にとられた。そして、くしゃくしゃと頭の後ろを掻くと、大きく溜息を吐いた。

「ッたく、どいつもこいつもお節介だな。わかったよ。そうと決まれば、さっさと行こうぜッ」

 そう言って先に進む壇を追いながら俺は少し三人が眩しく見えた。

 学校っていうのは同じ勉強をする場所で、ドラマや映画みたいな青春は幻みたいなもんだと思っていた。いや、青春はあったんだと思う。
 ただ、俺には縁遠いものだった。自分が人と違うことにビクビクするのは嫌で、その場その場の付き合いにまかせていた。
 友達に憧れていたけど、諦めていた。

 ……くそ、宍戸が羨ましいってか、俺。女々しいにも程があるわ。

 自己嫌悪に陥った俺は武道場の扉が開く音にようやく顔を上げることができた。ガランとした武道場を覗くと、体格のいい少年が背筋を伸ばして正座をしていた。その手元には抜き身の木刀がある。

「おとん、おかん。先立つ不孝を許してください……。じーちゃん、先祖代々の剣技に泥塗ってすんません。その代わり、ケジメだけはきっちりつけるけェ。五龍城の夜刀神(やとがみ)さま、どうか祟りを鎮めたまえ。代わりにわしの命を―――」
「だ、駄目!! 宍戸くん!!」

 物騒な言葉に穂坂が声を上げた。誰も居ないはずの武道場に響いた穂坂の声に宍戸は「あ、あんたら、何で……」と目を見開いたが、逆に妙な決心を秘めた目で俺たちを見つめると木刀を手にとった。

「い、いや、お歴々がいらっしゃったんも天の配剤じゃあ!! 漢(おとこ)、宍戸長英―――これから詰腹、切らせてもらいやす!! どうかこの長英の最期、見届けてつかァさ―――げふっ!!」

 気付いたら俺は駆けよって宍戸の後頭部を容赦なく叩いていた。カクンと頭が下をむく。

「ちょっと、アンタ何やってんのよ! 止めるんならもっと方法があるでしょ」と飛坂に怒られたが、いやでもこのままじゃ俺たちの話なんて聞きそうになかったって、と弁解してみる。
 俺の言い分に「まァ、そうかもな」と壇が同意した。

 不意に叩かれた後頭部を押さえて、ビックリしている宍戸に壇は近付いてしゃがむと、ポンと肩に手を置いた。

「落ち着け、長英。落ち着いて、俺の言う事をよく聞け」
「と、燈治先輩……」
「いいか、長英」

 真剣な眼差しの壇に宍戸だけでなく、俺や飛坂、穂坂も聞き入る。
 皆の注目を浴びたまま壇は真剣な表情を一切崩さず、彼に告げた。

「木刀で、腹は―――切れない」

 カァァァ、と鴉が鳴いた声が遠くから聴こえた。

「………。うわああああああ!! わしゃァもう駄目なんじゃああああああ!!」

 別の意味で頭を抱えて雄たけびを上げてしまった宍戸を皮切りに、今度は飛坂が低い位置にある壇の頭を叩いた。

「何すんだよッ」
「こんの……馬鹿ッ!! アンタこんなときに何言ってんの!?」
「いや、俺はただ事実をだな」
「それは流石に宍戸を馬鹿にしすぎだろ」
「いやマジだって!」

 ぎゃあぎゃあ言い合いはじめた俺たちを唖然と見つめる宍戸に穂坂が行儀よく正座をして隣に並ぶ。

「ね、落ち着いて、宍戸くん。そんなに自分を責めたら駄目だよ。死ぬなんて言う前に、何があったのか話してみて?」
「あんたァ、一体……」
「あ、そうか。わたしは穂坂弥紀。壇くんと七代くんのクラスメイトだよ」
「そうですか、それで……。すいやせん。お騒がせして……」

 ペコリと頭を下げる宍戸に飛坂は「いい加減にしなさいよ!」と容赦なく俺たちの頭を叩いた。
 それで黙るんだから俺たちって結構立場弱いよな。

「…少しは落ち着いたみたいね。それで? 何がどうなって、こんな事になってるワケ?」

 飛坂に訊かれて宍戸は言いにくそうに逡巡を見せたが、相手は生徒会長である飛坂ということもあってか体格に似合わず小さな声で話し始めた。

「…常勝無敗の鴉乃杜―――これは代々先輩方が築き上げてきた鴉乃杜剣道部の宝じゃ。相手校だって、打倒鴉乃杜を掲げて必死に修練しとるじゃろう。わしは、この二つの学校の面子を背負(しょ)って、主将をやっとるっちゅうのに……じゃのに、この有様!! この上はわしが責任を取って腹を―――」

 言っているうちにまた気持ちが高ぶってきたのか、また木刀を手にした宍戸の手を壇が押さえた。

「だからちょっと待てっつってんだよ。大体、被害にあってんのはこっちの方だろ? それも剣道部の部員ばかりが。だったらまず、相手校を疑うのが普通だろ」

 喫茶店で話していたことを言う壇。その言葉に宍戸は「剣の道を志すモンがそがい真似ェせん!!」とすぐに否定した。だが、その言葉に自分が傷ついたように唇を噛み締める。

「そがァな奴ァ―――………。じゃけェ、わしが悪いんじゃ。全部、わしが弱いのがいけんのじゃ……。だから、ご先祖が神様を遣わされたんじゃ……」

 神様?

「じゃのに、わしは……わしはどうして……。もう、駄目なんじゃ……。わしが腹を切らにゃ、責任がとれんのです」

 木刀を握り締めていない拳が震えている。
 そのとき何故か、ぐわん、と耳鳴りがして思わず耳に手をあてた。

「……?」
「どうしたの?」
「え、いや…」

 穂坂に問われて首を傾げるしかない。
 飛坂は宍戸の言い分をしっかりと聞いたあと、ふと視線を武道場の外に向けた。そして目線を合わせるように宍戸の前に正座すると木刀を握っていた手を細い手で放すようにぺちぺちと叩く。放れた木刀を壇が受け取ると飛坂は一息吐いた。

「アンタねェ、そういうの、責任取るって言わないわよ」
「会長……」
「あれを見なさい。アンタがいないと困る人たちがいる事、わからない?」
「早まらないでください、部長!!」
「そうですよ!! 部長は何も悪くないじゃないですか!!」

 鴉乃杜学園の制服を来た男子生徒らが数人、武道場に駆けこんで宍戸の前に立った。襲われなかった剣道部部員のようだ。

「残った俺たちだけでも必ず試合に勝ってみせますから!! そのためには部長が必要なんです!!」
「部長!!」
「おどれら……。じゃ、じゃが、わしはもう―――」

 彼らの言葉に宍戸の目元が少し赤くなって、声が震えている。

「責任云々言うなら、自分のすべき事をしてからにしなさい」

 飛坂の言葉にハッとしたような顔になり、顔を伏せた。

「後で生徒会の人間が見回りに来るから、それまでには下校する事。いいわね?」
「……押忍。……燈治先輩、先輩方もありがとうございました」




拾壱