27-3 | ナノ

――3


「え?」

 ぽかんと間を空けた真宵に「だからね」とゆかりは所在なくさまよわせていた手をカップに伸ばして、「すっごく今更な質問なんだけどさ、真宵には戦う理由って、何かある?」と訊いた。ブラックで楽しんでいた紅茶の香りが遠退く。

 昨日も似たような話題を真田としていたから少し驚いた。
 なんていう偶然なんだろう。いや、こんな時だからこそ考えてしまうことなのかもしれない。真宵は数瞬の間をおいてから、目的はない、かな、と答えた。

 はっきりしない答えだと真宵も思う。しかし真宵が何故戦いに身を置くことになったのか、それは美鶴からの(多少強引だった)勧誘に他ならない。ゆかりのように10年前の真相を求めたり、真田のように力を追求したいという目的はない。

「そっか…」
「うん」

 それでもゆかりが嫌な顔をしなかったのは、美鶴からの勧誘のとき、その場にいたからだろう。

「ま、とにかく頑張ろ。次のシャドウを倒せば終わりなんだし…」




 次のシャドウを倒せば、終わる。
 美鶴の祖父である鴻悦が求め、ゆかりの父親である総一郎が食いとめた「破滅」も終わる。
 その先に望むのはありきたりな言葉だけれども「平穏」だ。

 ――でも、終わりのない平穏なんてないよ。

 うつらうつらとしていた意識がゆっくりと覚醒して、真宵は目を開けた。
 馴染んでしまった気配に体をむけると蒼い瞳でこちらをのぞくファルロスと目が合い、彼はふっと微笑む。

「何か、気になっているんだね。……そう。戦う、理由を考えているんだ」

 何も言っていないのにファルロスは心を読んだように真宵の思考を当てた。

「だけどね、それは無意味だよ。これは必然だから。かつて神が愛(エロス)を求める魂(プシュケイ)に試練を与えたように、君のこの戦いも試練だ。理由なんてそれは後付けにすぎないよ」
「………」
「どうしたの?」
「ううん」

 いつものファルロスと違うような気がしたが、小首をかしげる姿に何が違うのか分からない。
 ただ違うと感じたのは、意見を否定されたり、真っ向からこうだと言われたことがなかったからだ。しかし意見に追随するのが友達であるというわけではない。やはり自分の勘違いだったのだと真宵は考えを霧散させるためにも首を振った。

「でも」
「でも?」
「後付けでも理由がほしいときだってあるよ。ぐらつきそうになったとき、それが支えになることだってあるから」




 コロマルと夜の散歩をするのは何度目だろう。
 くりくりとしたコロマルの瞳でおねだりされるとついついリードを用意して散歩に出てしまうので、回数を数えるのに意味はなくなってしまったかもしれない。今夜の散歩についてきてくれたアイギスと、長鳴神社の境内にあるベンチに座った真宵はコロマルのリードを外した。

「コロマルさんは、真宵さんとの散歩が気に入っているようですね」

 リードを外されたコロマルが境内の闇のなかに吸い込まれていく。
 勝手知ったるコロマルの家だった場所だ。迷いなく走っていくさまを見ながら、そうかな、と真宵は返した。けど、そうだと嬉しいな、と思う。

「さきほどの…美鶴さんがあなたに、この部に入ってよかったかと訊いていました。とても興味深いやりとりでした」

 コロマルに散歩をねだられる少し前にラウンジでしていた会話だと分かった。
 最後の戦いの日を残すところわずかに控えたからこその美鶴の問いに、真宵は頷くことはできなかった。かけがえのない時間をS.E.E.Sで得た。だが、いまだ自分が戦う理由について悩んだときにすぐに頷くことができなった。

 それがアイギスにとってどう興味深かったのか訊ねると、アイギスは淡々と答えた。

「はい。つまりみなさんは自分の意思で寮に集い、戦いに参加しているからこそ、ここにいることのメリットやデメリットについて、思いをめぐらせることができるということでありますね。ところがわたしの場合、シャドウ討伐が存在意義であり、シャドウを倒すことが至上命題ですから。みなさんとともに生活していることに関しても、よいも悪いもありません」
「…アイギス」
「わたしが今稼働しているということは、ここにいて作戦に参加することを要求されている、ただそれだけということです。……もっともあなたの傍にいなければならないという、自分でも理解不能な任務があることは事実ですが……」

 アイギスのスカイブルーの瞳が街灯のせいなのか揺れた気がした。
 淡々としすぎた言葉に見失いそうになったが、はじめて会ったときと今のアイギスは違う。寮で、学校で、知識だけを吸収していない。少しずつアイギスは人型の兵器という枠を超え始めている。だけど、もともとの存在意義というものが葛藤を生んでいる、そんな風に見えた。

「つぎの戦いでわたしの役目も終わり、ここにいる必要もなくなりますね。みなさんとのお付き合いもあとわずかということです。……コロマルさんが帰還したであります」

 それでもまだ表情にすべて出せずにアイギスの声は淡々と紡がれる。おかえり、とコロマルにリードをつけた真宵は空いている手で、いつかの夜と同じようにアイギスの手を握った。

「アイギス。次の作戦で戦いは終わりだよね。だから、次の理由を探してもいいと思うよ」
「次…?」
「うん。あ、でも今すぐに見つけろとかいうわけじゃないよ。その理由を探すっていうのもいいと思う。えーと、回りくどいよね。私は、次の作戦が終わっても、アイギスと一緒にいたいよ」
「それは…」
「難しいかな。でも先輩や理事長に相談したら案外あっさりオッケーくれるかも。…もしかして、アイギスの気持ちとしては、嫌、かな」
「…わかりません。けど、あなたの傍にいたいと思うのは、本当です」
「うん。じゃあ、考えてみて。最善、じゃなくて、アイギスの気持ちで決めてほしいな」


 ――訊いておきたい事がある。お前は、何の為に戦ってる。


 まっすぐに見つめてきた荒垣の問いが過る。

 私はもう一度先輩に会いたいです。

 この戦いがすべて終わったら目を覚ましてくれるような気がするから。もう誰も失わないために戦って、全員で荒垣が目覚めたときを喜びたい。またみんなでご飯を食べたりしたい。

 アイギスの手を引きながら真宵は笑った。

「アイギスのおかげで、私は理由が見つかったかも」
「?」

 理由が見つからなくて苦しくて、でも、アイギスも理由だけが決まっていて苦しくて。
 なら、自分でやっぱり単純でもありきたりでも決めてしまえばいい。自分が単純にできているなと思うけれど、なんだか力が湧く気がした。




「こんばんは。あと1週間で、満月だよ。いよいよ、今回が12体目だ」

 いつものように時を告げるファルロス。彼が会いにくることはわかっていたから、真宵は珍しく話を遮った。

「遅いかもしれないけれど、でも、変わらない理由を見つけた」

 人にはあまり言えないけれど、ファルロスだから言える気持ち。アイギスと一緒にいたときにふと見つけることができた理由を告げると、ファルロスは「そう」と頷いた。

「でも、その理由は知ってたよ。君はずっとそう思って戦っていたから。仲間のために」
「ファルロスも、だよ」
「僕は何もしていないよ? 一緒に戦ってきたわけじゃない」
「ずっと一緒にいてくれた友達でしょ」
「………」

 あれ?

 いつもなら頷いてくれるはずのファルロスがなぜか悲しそうな顔をする。すぐに何かあったのかと訊こうとしたが、「…準備はいい?」と遮られた。

「ここまで、長かったのか短かったのか…でも、いろんなことが起きたね。……けれど、思い出話をするには、まだ、早いよね。じゃ、終わったらまた会いに来るよ」
「う、うん…」
「…くれぐれも、気をつけてね」

 ふわりと彼は手を振って消え、真宵は言いしれぬ気持ちのまま、静寂な夜を眺めた。




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