pro-09 | ナノ

第零話 九


「―――勝っ…た…? ッ! げほっ、げほっげほっ! ぐああああっ、痛てえっ!!」

 隠人を倒せたのだと口にした瞬間、俺は全身に走る激痛に先程のオロチのようにのたうち回った。
 ものすごい疲労感に全身の骨が折れるかと思うくらいの痛み。もう嫌だ。叔父のフィールドワークのほうがマシだ。恨みごとが頭をかけめぐる。
 その俺に「やったねッ! 勝ったよッ!!」という声と一緒にどんっと何かがぶつかってきた。
 武藤だ。

「て、うぐっ…武藤さん、お願いッ…力込めないで!」
「あ、…ご、ごめんッ!」

 ぱっと背中にまわされていた腕が離れる。
 いや、嬉しいんだけどね。予想外の胸の感触にときめいていたし、俺。
 ぺたりと座りこむ俺に、武藤も「えへへッ」と座りこんでいる。その笑顔とは裏腹に、膝やてのひら、頬にも傷が痛々しい。制服だって破れている部分もある。

「武藤、大丈夫か?」
「…うん」

 同じようにボロボロになっている雉明に「雉明は?」と訊くと、「…問題ない」と首を振った。
 その様子が少し腹立だしくて、あの隠人に叩きつけられただろう脇腹をつつくと「ぐっ…」と痛そうな顔をした。

「なーにが、問題ないだよ。俺もお前も武藤も、ボロボロだよ」
「……すまない」
「痛いときは痛いって言えよ。武藤も、あとであの部屋に行こう」
「七代クンもね。……でも、あのとき、七代クンが潰されるかと思った…」
「咄嗟にカミフダで地面に結界張ったのが効いたんだ。…はは、本当、基本って大事だよな」

 俺の言葉に武藤は「そっか」と頷いた。
 疲労感が強くて俺も武藤もヘラリとしか笑えない。そのなかで雉明は「これが、封札師の力か……」と考えるように呟いた。

「予測していたよりもずっと有用な能力だ」
「うん。確かにすごい力だけど……。でも、もし初めからあたし一人だけだったら絶対無理だったと思うな」
「一人、だけ……。……だが、七代。きみの能力からすれば武藤とおれの存在など必要なかっただろう」

 雉明が至極真面目に言うものだから、俺はガックリと肩を落とした。
 なんでこいつはもう…。

「俺の力で倒せたって言ってくれるんなら、武藤と雉明が居たからだよ。居なかったら、こんな風にがむしゃらになれなかったし……本当に死んでいたかもしれなかったかも」

 実際、身体がギシギシ言っているし、変な笑いが口から出そうだ。
 もう食べるより寝たいかもしれない。頭痛もまだして、俺はハハハハッと笑いながら、

「だから次にんなこと言ったら、ぶっ飛ばすからな。雉明」

 と本音がこぼれた。
 その言葉に雉明はすぐさま「すまない、きみの気分を害するつもりはなかったんだ」と言ったが、続けて「そうか……。少しは意味のある存在だったんだな」と言うものだから、ギロリと睨んだ。本当にわかってんのか。マイペース通り越してると、宇宙人って呼ぶぞ、雉明。

「そんな風に思ってくれるなんて……嬉しいよ」
「……武藤」
「一人じゃ挫けそうでも、誰かと一緒だから頑張れる―――あたしは七代クンと雉明クンに会えて、初めてそう思えたから。……でもやっぱり七代クンの助けになるにはまだまだだよね。これからもっと腕上げて、次はもっと役に立ってみせるからね!」

 いやいや、十分だよ。素手で隠人ぶん殴るのはやっぱり俺出来なかったし。
 そう言いたかったが、それは武藤の気持ちを無碍にするものだと思って俺は黙る。

「次、か……」
「雉明クン?」
「……そうだな、もしも……次があるならおれも少しは、きみの―――」

 雉明が俺に何か言おうと口を開いた瞬間、バシンッと頭のなかに映像が流れた。

 脳裏に、ある光景が映る。
 夕暮れの紅に染まるビルを背景にして、黒いコートの男が立っている。

「これ――…さっき、の…」
「―――ッ!? まさか……」

 男が手にしている箱の蓋を開く―――そこで映像がブツンと途切れた。
 なんだ。さっきの映像とは同じ……いや、違う。あの時の空は赤くなんてなかった。じゃあ、一体、何が、と俺が二人を見やると、武藤が困惑したように「な……に……?」と額を押さえていた。

「いま何か見えたような……」
「……まだ……まだ、そのときではないはずなのに……」

 雉明も困惑の表情を浮かべていたが、俺や武藤とは違うような気がする。もしかしたら一番動揺しているのは雉明かもしれない。どうした、と雉明に声をかけようとした瞬間、いきなり足元が揺れ始めた。

「う、…おッ!?」
「じ、地震ッ!?」
『随分と大きいな。そんな予測は出ていなかったはずだが……』
「んな悠長な!」
『心配するな。その部屋は、他より一際頑丈に作られている。そう簡単には崩れん』

 どんな自信だよ、と文句を言ってやろうとしたが足元の揺れが段々と大きくなって口を開くのもヤバイ。

「でも……なんかさっきからゴゴゴッって言ってるよ〜。―――わッ!!」

 ガクンッと大きく一度揺れる。

『何だと!?』と伊佐地センセの声色も厳しいものになった。

『くッ……なんだこの揺れは! 奥の扉から即時撤退だ! ―――走れッ!!』
「走れって言ったって……すごい揺れてるんだけど〜!! う……わわわわッ!! きゃッ―――!!」

 急いで立ちあがろうとした武藤の体勢が崩れた。
 あ、と手が咄嗟に伸びたが、続いてガクンッとまた揺れて今度は俺の体勢も崩れた。倒れた俺の上に武藤が覆いかぶさってきて、ぐへっとカエルが潰れたような声が出る。

「あれ……?」
「…む、むとー…」
「………」
「ど、…退いてくれ…」

 すぐ目の前にある武藤の顔に苦笑を浮かべると、それまでポカンとしていた武藤が瞠目して「あ……あああああええええッとッ!! ごごごごごごごごめん、ごッ!!」とパニくった声を上げた。わかった、わかったから、退いてください。

「う、う〜…ごめん」
「いや、大丈夫ならいいんだって」
「あ、ありがと……あ、とにかくッ、いまは一刻も早く逃げないと。二人とも、行こうッ!!」

 それがいい、と動き出した俺と武藤は奥の扉に向かう。だが、雉明は何故かその場から動かずにいる。

「雉明…?」
「えッ―――? 何……してるの……? 雉明クン、早く―――」
「おれは―――行けない」
「え……? 何言って……早く一緒に逃げようよ!?」

 再度促す武藤の言葉に首をふる雉明に俺はカッと頭の血が上った。
 巨大な隠人との戦闘で予想以上に区画を破壊していたのか、ビシビシッと嫌な音がする。悠長に構えていたら戦闘で疲れている俺達が無事に助かる確率はぐんと下がるに決まっている。俺も疲れてるっつってんのに、とそれでも動く足の赴くまま雉明に近付いて腕を掴んだ。

「七代…?」
「馬鹿言ってる場合か…!」
「そうだよ、ここだっていつ崩れるか―――あ、危ないッ―――!!」

「! 伏せろッ!!」

 天井が崩れて、瓦礫が落ちる。
 後からついてきた武藤の腕も掴んで俺は二人を身体の下に隠すようにもぐりこませた。そして身体に襲いかかる衝撃を覚悟していた俺だったが、痛みどころか――揺れさえ感じなくなった。

「何…?」
「揺れが……止まった?」
「一時的に《龍脈》を抑えた。いまなら安全に出口を目指すことが出来る」

 淡々とした静かな声。
 雉明はそう俺と武藤に告げると、腕を引っ張って立ちあがらせた。その身体は《秘法眼》を通さなくても淡く光っているのがわかる―――雉明が、何かしたのか…?

「……早く行くんだ」