3-3 | ナノ

――3

「けど影時間の一番面白いところは、見た目なんかじゃない。お前も見たろ…“怪物”を」
「…!」
「俺たちは“シャドウ”と呼んでる。シャドウは、影時間だけに現れて、そこに生身で居る者を襲う」

 あの仮面をつけた黒い怪物が、シャドウ。
 そんなものに今までよく襲われなかったな、と思う真宵とは反対にそれまで無表情だった真田の言葉には段々と熱がこもっていく。そしてついに真田は「だから、俺たちでシャドウを倒す。どうだ…面白いと思わないか?」と不敵に笑った瞬間、美鶴が「明彦!」と咎めた。

「どうしてお前はいつも…。痛い目を見たばかりだろ」
「?」
「まぁ、いいじゃないか。ちゃんと戦ってくれてるワケだし」

 苦笑いをこぼして睨み合う二人を宥めた幾月は真宵に改めて視線を向けた。

「結論を言おう。我々は“特別課外活動部”。表向きは部活って事になってるけど、実際はシャドウを倒す為の選ばれた集団なんだ。部長は、桐条美鶴君。僕は、顧問をしてる」
「シャドウは“精神”を喰らう。襲われれば、たちまち“生きた屍”だ。このところ騒がれている事件も、殆どがヤツらの仕業だろう」

 無気力症――ある日突然かかる原因不明の病気。
 ここ最近の港区のニュースでは何度も聞いた話題だ。実際、真宵がいた病院でもそれらしい人物を見かけたことがある。あれがシャドウという怪物に襲われた人の末路だというのだろうか。

「…でも、言い方は悪いですけど。あのときは無気力症というだけで済まされる気がしませんでした」

 あのとき、確実な死を目前としたのだ。精神を喰らうというのも死と大差ないかもしれないが、あれは精神だけをという風には思えない。
 真宵の指摘に幾月は「うーん、そうだね」と眼鏡のブリッジを上げてかけなおす。

「実は、ごく稀にだけど、影時間に自然に適応できる人間が居てね。そういう人間は、シャドウと戦える“力”を覚醒できる可能性がある。それが“ペルソナ”…あの時、君が使って見せた力さ」
「ペルソナ」

 イゴールという老紳士が話してくれたことと同じだ。もっとも彼はペルソナを心の力であり、絆だと言っていた。

「うん。シャドウはペルソナ使いにしか倒せない。つまりヤツらと戦えるのは、君たちだけなんだ。それに、どういう理屈か分からないけれど、シャドウたちも分かっているみたいでね。ペルソナ使いと対峙すると彼らは精神的にだけでなく襲ってくる」
「…そうなんですか」
「飲み込みが早くて助かるよ」

 美鶴は、ソファーの影に隠していたトランクを持ち上げるとテーブルの上にのせる。
 そしてトランクを開くとなかには、あのとき引き金を引いたときと同じ、銀色の銃が一つ、鈍い輝きを放って置かれていた。

「我々と行動をともにすることが君の安全につながるというような遠まわしなことは言わない。要するに、君に仲間になって欲しいんだ。君専用の“召喚器”も用意してある。君の力を貸して欲しい」
「そんな、急に」
「そんなに深刻に考える事ないだろ。ちょっと付き合えよ」
「私からも是非、お願いしたい」
「ちょっ…先輩らに詰め寄られたら彼女だって困るんじゃ…」

 ここで初めて口を開いたゆかりを真宵は見る。
 しかしゆかりも先輩二人には強く言い出せないらしく、言葉尻を小さくしてしまう。そのまま申し訳なさそうな表情で「そりゃ、仲間になってくれるなら、その…心強いですけど」と言い淀む。

「…頑張ります。どこまでお役に立てるかわかりませんけど」
「え…」

 ゆかりは意外そうな顔をした。
 一方、美鶴は「そうか、助かるよ」とここ初めての笑みを浮かべて手を差し出してきた。握手を交わしたのち、美鶴は「分からない事は、何でも訊いてくれ」と座りなおす。幾月も「いや、感謝するよ、ホントに」と更ににこやかな微笑を浮かべた。

「あ、そうそう。君の、寮の割り当てだけどね」
「はい」
「このまま今の部屋に住んでもらう事にしよう。偶然、のびのびになってたけど、こりゃケガの功名だね、ハハハハ」
「偶然のびのびって、あれは…――調子いいと言うか…」

 ゆかりのため息も気にせず幾月は立ちあがる。

「では僕はお暇して、正式な手続きを済ませてしまうよ。思い立ったら吉日。何事も早いほうがいいからね」

 真宵も立ちあがって、よろしくお願いします、と頭を下げると「これから一緒に戦ってくれる君のためだからね」と幾月は言う。

「それじゃあ、後は桐条くん。よろしく頼むよ」




「やぁ、元気かい?」

 久しぶりの友人に会うような気さくさで問われた真宵は重い瞼をなんとか開けた。
 ぼやけた視線の先にはストライプ模様の袖から覗く素足とサンダルがある。部屋の扉が開いたのも、閉まったのも聞こえなかったから、真宵は、どうやって入ったの、と呂律があまり回らない口で訊く。

「僕は、いつだって君の傍に居るよ…」

 フフ、とおかしそうに笑う声。
 何を言っているんだろ、と真宵は横に倒していた身体を仰向けに寝返りを打つと、月光が射しているのか淡く光る青い瞳が真宵を覗きこんだ。

「もうすぐ…“終わり”が来る。何となく思いだしたんだ。だから、君に伝えなきゃと思って」
「…ありがとう…」
「…あははっ。お礼言われちゃったな」

 おかしい? でも、ぼやけた視界と同じく頭も働かないからよくわからない。
 ぼんやりしている真宵を覗きこんでいる青い目の少年は「こういう時は、どういたしまして…って言うんだよね?」と子首を傾げた。

「でも、思い出したと言っても…“終わり”のことは、実は僕にも、ハッキリとは分かんないんだけどね」
「………」
「それより、とうとう“力”を手に入れたみたいだね」

 ギシッとベッドのスプリングが鳴る。
 少年がベッドに腰掛けたようだ。

「それも、ちょっと変わった“力”みたいだ。何にでも変われるけど、何にも属さない“力”…それはやがて“切り札”にもなる力だ」

 君のあり方次第でね、と少年は言い終えるとベッドから下りた。そしてペタリペタリとサンダルの音が遠ざかっていき、カチャリとドアノブが鳴る。

「初めて会った時のこと、覚えてる?」

 はじめて?

「交わした約束は、ちゃんと果たしてもらうよ」

 約束って何のこと?

「僕はいつでも、君を見てる。たとえ君が僕を忘れててもね…じゃ、また会おう」


****


「……。探る前に消えたか」
「どうかしたか?」
「いや…」

 それとも気のせいだったのか、と美鶴は開いた扉の前で立ち尽くした。あの夜の襲撃以降、影時間には作戦室で過ごすことが増えた美鶴は今夜もいたのだが、何かの気配が現れて――消えた。
 電源は入れたままの機械の防犯カメラを操作してあらかた調べるが調べるが異変らしい異変は見えない。

「影時間が終わったか」

 真田が言ったように、パチパチと電気が灯る。
 美鶴はふう、と一息ついて読んでいた書類を片付けた。夜に届けられたこれらのなかには正式な入寮届けが受理されたものがある。転入生の真宵、そしてもう一人――真田がたまたま見つけたという月光館学園の生徒だ。

「岳羽、日暮…そして彼を入れれば3人。明彦を欠いてしまったことは痛手だったが、これならあそこに入れるな」
「だから別に俺は…」
「…もう一本あばら骨を折ってみるか?」
「………」

 ごくり、と唾を飲み込んで黙ってしまった真田に美鶴は深くため息をついた。ここ最近、ロードワークをしようとする真田を見張る意味を含めて作戦室に誘っていたがやはりこうだ。
 反省などしていない。

「確認するが、彼には承諾を取っているんだな?」
「ああ。何度かコンタクトは取った上で誘った。寮に入るのもすんなりOKしたしな」
「そうか」
「適性検査の数値も出ているんだろ?」

 参考程度にしかならないがな、と美鶴は頷く。桐条は辰巳記念病院の一部を利用してペルソナ使いの適性検査をしている。自然獲得者である美鶴をはじめとしたペルソナ使いたちのデータから数値化したものだ。
 生徒たちは知らないだろうが、春に行う定期検診でもペルソナ使いの適性は調べている。そのなかから適性が見込める生徒を身繕い、美鶴が直接コンタクトを図り、見極める。

 真田とゆかりがそれだが、必ずしもそうとは限らない。今回、二人も自然獲得者を見つけたのもそうだし、かつて寮に住んでいた彼が目覚めたタイミングも予期することは出来なかった。
 ふ、と美鶴は笑う。

「できれば私が学園にいる間にケリをつけたいと思っていたが、正直…嬉しいよ」

 不謹慎だがな。

「明日、行くんだろ?」
「ああ。彼も入寮する機会に見せるのがいいだろう。明彦は別に寮で待機してくれて構わない」

 そう言った美鶴に「行くだけなら構わないだろ」と真田が不機嫌そうに言った。


****




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