3-2 | ナノ

――2

「昔さ…」とゆかりは窓の外に少し目を向けた。

「この辺りで大きな爆発事故があったの。父さん死んだの、そのせいらしいけど、詳しい事情、分かってないんだ…。父さんが勤めてたの、桐条グループの研究所だったの」

 桐条という名前に真宵は一人の人物が思い当たる。凛として背筋を伸ばした美貌を持つ先輩。

「だから、ここに居れば父さんの事、何か分かるかもって、思って。学園に入ったのも、この前みたいな事やってるのも、そういうワケ。…もっとも、怖くてあのあり様だったけどね…私も初めてだったんだ…敵と戦うの。ゴメンね…私が頼りないせいで、こんな…」

 最後は自嘲まじりの声に、真宵が持っている言葉はそんなに多くなかった。
 だから結局ゆかりの言葉に真宵は、岳羽さんのせいじゃないよ、としか言えず、またゆかりも「…うん」と頷くに終わった。

「でも、ゴメンね…。…それに、起きた早々、こんな話…。待ってる間、色々考えちゃってさ。今まで、色々隠してたし、まずは自分のこと、話さなきゃって…――でも、聞いてくれてありがと。誰かに話したかったんだ、ずっと」
「…ありがとう。話してくれて…」

 自分の傷を人に晒すのは痛いはずだ。それでも、ゆかりは責任を感じて真宵に話してくれたと掠れ掠れに感謝を言うとゆかりの強張っていた顔が少しだげゆるんだように見えた。
 ゆかりは立ち上がる。

「…じゃあ、そろそろ行くね。目を覚ましたって、知らせないといけないし」
「うん…」

 それをベッドの上から見送っていると、病室のドアを開けて出ようとしたゆかりの足が止まった。ゆかりが振り返る。

「…あ、あのさ。私のこと…“ゆかり”でいいからね。女同士だし、その…仲良くしようね。じゃ、じゃね」


****


 この世に正義のヒーローはいるか?

 そんな質問をされたら間違いなく順平は鼻で笑った。どこからともなく弱い人間のピンチを察知して助けにくるヒーローなんてのはいないのだと、順平は自らの現実で痛いほど突き付けられた。しかしそれは少し前までの話だ。この世には怪物と戦って平和を守るヒーローがいて、自分もその仲間入りができることを順平は知ったのだ。

 携帯電話を操作してアドレス帳を眺める。そこに登録されている人物の名前から昨夜のことも思い出して一人舞い上がった順平は、先を歩く少女を見つけ、気分よく声をかけた。

「おーす、久々じゃん」

 順平の声に振り返った少女、転校生の真宵は「おはよー」と返してくれる。そのまま速度を落としてくれたので順平は隣に並ぶ。

「どした? ハラでも壊してたか?」
「ん、うーん…そんな感じかな?」
「ふーん。つか、ちょっと聞いてくれよー」
「何?」

 きょとんと見返してくる真宵に気を良くして、実はさー、と話そうとした順平は前に女子の人だかりを見つけて慌てた。この学園で女子の山をつくれる生徒なんてそう多くない。

「…あーっと! 言っちゃダメなんだった!」
「えー、言い出したの順平なのに…」
「悪ィ。今の無しな、無し。ナハハハハ」

 うーむ、言いたいのに言えねえってのがますます正義のヒーローって感じだな!

 真宵には悪いが、隣を歩く同級生に言えないという秘密性を持ったことが、言えないわずらわしさを勝る。別に釘を刺されたわけではない(言ったところで変人扱いされるのがオチだとヒーロー当人から言われている)が、そういうのがいい。ムフフと笑いをこらえていると、「気持悪ッ!」というグッサリくる言葉を後ろからかけられて順平と真宵は振り返った。

「気持悪ッて、ひでーよ。ゆかりッチ!」
「はいはい。朝から元気ですこと、ったく…向こうからでも聞こえたよ?」
「おはよう、ゆかり」
「おはよう。……真宵」
「……今、なんかゆかりッチから乙女な空気が――ぃいだだだだだだッ!!」

 マジで足が変形しちゃうから、と涙声で許しを請うて漸くゆかりは足を退けた。
 く、くそう。名前呼びあうだけで妙に照れた雰囲気を出すゆかりが悪いはずなのになぜ自分がこんな目にあうのか。だがここでめげてなるものか。

「キミたち、そんだけ仲良さげで同じ寮なのに別出勤? また噂のマトになっちゃうと…的なアレ?」
「はぁ? アンタどんだけ頭が春なのよ。ちょっと出るのが遅れただけ! つか、この子と話あるから。バイバイ、順平」
「あ、じゃあまた後で!」

 ゆかりに引っ張られて真宵も先へぐんぐん行ってしまって、あっという間に二人の姿は人ごみにまぎれて行った。

「ええ〜…」
「おーっす、順平。相変わらずマゾ極めてんなあ〜」
「誰が極めてんだよ、トモチー」
「誰がトモチーだよ、友近だ! そういや久々に見たんじゃね、転校生? あの見た目で病弱属性?」
「属性って……お前の方が極めてんぞ」
「ああ? 俺が極めんのはオトナの女だって決まってんだよ」
「さいですか」

 しっかり盗み見ていた同級生を傍らに、花がねえなあ、と順平はひとり愚痴た。


****


 今朝、順平と別れたあと、「あのさ、起きて急に、って感じで悪いんだけど…今日ね、理事長からあなたに、話があるらしいの。放課後、寮の4階に来て欲しいんだ。忘れないでよ?」とゆかりに言われた真宵は3階の自室に荷物を置くだけにして4階の一室に向かっていた。真宵にとってあの奇妙な夜の出来事は昨日のようにまだ感じているが、窓のガラスが破れた音を聞いたはずの痕跡はあとかたもない。

 それは真宵の身体自身もそうで、貫かれた腕には何の傷跡も残っていない。
 あの夜を確証づけるものが何もない。それは、あのおぼろげな記憶に残るベルベットルームと同じだと思った。

「やあ、来たね」

 真宵が部屋の扉を開けると、まず理事長である幾月の声が迎えてくれた。
 その言葉に真宵は奥に入り扉を閉める。物々しい機械と本棚が並ぶなかにはゆかりと美鶴の他、理事長と、見知らぬ男子生徒が各々ソファーに座っていた。

「体の方は、大丈夫そうで何よりだ。女の子に万一のことがあったらって、心配したよ」
「あ、いえ。ご迷惑おかけしました」
「いや、むしろ迷惑をかけたのはこちらというか。…うん。退院早々ここへ呼んだのは、他でもない。君に、話さなきゃいけない事があってね。まあ、かけて」

 どこに座るべきか、と悩んだ真宵は「岳羽くんの横が空いてるね」という幾月の言葉に甘えてゆかりの隣に座った。
 真宵が座るのを確かめると、奥に一人腰かけた幾月は組んでいた足を変えて「さて」と口を開いた。

「まずは……あ、そうそう。前に名前だけは言ったと思うけど、彼が、真田くんだ」

 真宵とゆかりの向かいのソファーで美鶴と座っている端正な顔立ちをした男子生徒に「よろしくな」と言われ、よろしくお願いします、と返した。その様子にうんうん、とにこやかな笑みで幾月は頷く。

「さて…いきなりでアレなんだけど…。実は、1日は24時間じゃない…。…なんて言ったら、君は信じるかい?」
「……。何の話ですか?」

 1日を24時間と決めたのは人間だからあり得ない話ではないが、何か雑学的な話をされるのかと真宵は疑問符を浮かべているとそれまで黙っていた美鶴が「初めてここに来た夜の事を覚えてるか?」と訊いてきた。

「あの日…君は色々と不思議な体験をした筈だ」

 確信めいたというよりは事実だと言わんばかりの口調と瞳に真宵は口をつぐんでしまう。

「消える街明かり…止まってしまう機械…道に立ち並ぶ棺のようなオブジェ…。薄々は感じたんじゃないか? 自分が“普通と違う時間”をくぐったこと…」
「………」

 そう言われても真宵はあの夜、ゆかりに問われたときのように「平気だった」としか言いようがない。普通と異なる時間をくぐったなどという認識はなかったのだ。しかし美鶴から発せられるオーラのようなものに黙って聞くことしかできない。

「あれは“影時間”…1日と1日の狭間にある“隠された時間”だ」
「うーん、まあ、隠されたと言うより、“知りようも無いもの”ってとこかな」

 幾月が言葉をつないでようやく真宵は美鶴から目をそらせた。
 真剣な表情で言う美鶴と穏やかな空気を保ったままで言う幾月――タイプが異なるような二人から出る言葉は同じなのが奇妙な心地にさせる。

「…そんな知ることができないのに」
「でも“影時間”は、毎晩“深夜0時”になると必ずやってくる。今夜も。そして、この先もね」
「普通の奴は感じられないってだけだ。みんな棺桶に入ってお休みだからな」

 棺桶なんて冗談にしても、と思うが、棺のオブジェが並んでいたという美鶴の言葉と真田の言葉は合致した。この場にいる全員がからかっている可能性もなかったわけではないが、真宵もかすかではあったが洋画のドラキュラ物に出てくるような棺桶を見たような記憶がある。




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