3 | ナノ

――1

 生まれることが始まりなら、終わりは死ぬことだろうか。真宵のなかで死は漠然とした終わりには思えなかった。

 両親がいなくなったことで真宵の環境は激変し、両親が不在という事実が何処に行っても付きまとっていた。両親の顔だって事故の後遺症か霞みがかっていたが、父に抱き上げられたこと。母に優しく頭を撫でられこと――肌の記憶は未だ残っている。多分、それら全てが真宵のなかから消えたとき、両親は本当の意味で死んでしまうのだろう。

 では自分はどうだろう。
 両親がいないかわいそうな子というだけで、終わるのだろうか。両親との間にある記憶は誰との間にも残らないまま、ただ死という事実と一緒に真宵自身が風化していくのか。

 それは哀しい。
 けれど仕方ない。

 月光館学園の入学案内を見せられたときもそんな気持ちで受け取った。それなのに――


 いやだ、死にたくない!


 再び触れた生と死の境界線。
 そこで真宵はがむしゃらに生にしがみつこうとした。得体の知れないものに殺されることに動揺したわけではない――死を怖れた。生きたいと願った。


 ドッッ


 肉が貫かれる痛みが甦る。
 ぽっかりと浮かんだ巨大な月の光を受けて輝く刃。手にした銃。引き金の感触。そして頭の割れるような痛みが―――




「――――ッ!!」

 カッと見開いた眼で真宵は醒めるような青を見た。下に流れていく光と機械音、それと美しい歌声と次第に脳へ伝わる情報に、真宵は夢の一場面を思い出した。

 ここは確か、ベルベットルーム……?

「再び、お目にかかりましたな」

 あの時と同じようにテーブルを挟んだ向こうにイゴールが座っていた。座っていた位置も姿勢も何も変わっていないように思える。ただ、あの時と違うのはすでに真宵が椅子に座っていることだ。

 何がどうなっているのかわからず戸惑う。確かに腕を貫かれた痛みも熱さもあったはずで、心臓はバクバクと忙しなく動いている。だが腕には痛みはおろか、貫かれた跡すらない。

 すべてが夢か幻だったのか。
 真夜中の寮を駈けのぼったことも、巨大な月も、ゆかりが怪物に襲われたことも――

「貴方は“力”を覚醒したショックで意識を失われたのです」

 イゴールは真宵の心中を察したのかそう言った。だが簡潔すぎて真宵はポカンと見返すだけに終わる。するとイゴールはいつの間にかテーブルに置かれていた一枚のカードを白い手袋に覆われた指でめくった。

 そこに描かれているのは琴を背負った吟遊詩人。

「ほう…覚醒した力は“オルフェウス”ですか。なるほど、興味深い。これは“ペルソナ”という力…もう1つの貴方自身なのです」
「ペルソナ…?」
「ペルソナとは、貴方が貴方の外側と向き合った時、表に出てくる“人格”…様々な困難に立ち向かって行く為の、“仮面の鎧”と言ってもいいでしょう」

 困難というよりはあの時、真宵の前に現れたのは死そのものだった。そして、オルフェウスがいなかったら、真宵は死んでいたかもしれない。ならば、あれは全て現実だった?

「あ、あの! 岳羽さん――友達はどうなったんですかっ!?」
「ご心配することはありません。ご学友は無事、貴方が救けられた」
「よ――よかった…」

 ほっとしたらじわりと目頭が熱くなり、しばらく喋れず真宵は膝に組んだてのひらを凝視した。
 そして落ち着いたころに真宵は、自分がオルフェウスを呼び出したのは銃で頭を打ちぬいた行為が理由だと思いいたる。そうであればゆかりが何故、あの状況で自分の額に銃を向けていたのかもわかる気がして、あの、とイゴールに話しかけた。

「さっきの、えっと力…ペルソナ…、オルフェウスは誰にでも呼べるんですか?」
「先ほど申し上げました通り、オルフェウスは貴方自身なのです。その深淵は同じところにあるが、表に出てくる姿は人それぞれになります。そしてペルソナは万の姿をもちますが、その姿を顕現させることは容易ではありません。“ペルソナ能力”とはすなわち“心”を御する力…“心”とは、“絆”によって満ちるものです」
「…絆、ですか」
「他者と関わり、絆を育み、貴方だけの“コミュニティ”を築かれるのが宜しい」

イゴールが手にしていたオルフェウスのカードをくるりと指先で反転させると複数枚のカードがまるで手品のように現れて、そして青い光になって消えていった。

「“コミュニティ”の力こそが、“ペルソナ能力”を伸ばしてゆくのです。よくよく、覚えておかれますよう」

そう言って再び膝の上で手を組んだイゴールは「さて…」と呟く。

「貴方のいらっしゃる現実では、多少の時間が流れたようです。これ以上のお引き止めは出来ますまい」
「…あ」

意識が少しずつ沈んでいく。夢が覚める前兆のような、抗いがたいもので、一度経験している真宵はもうこれでお終いなんだと悟ったところでイゴールは不思議なことを言った。

「今度お目にかかる時には、貴方は自らここを訪れる事になるでしょう」

 どういう意味ですか?

 そう問いたいのに、真宵は声を出せない。

「では…その時まで。ごきげんよう」




「……。……」

少しずつ、意識が現実に向かっていくのを感じて真宵は薄く瞼を震わせた。そして徐々に瞼を開けていくと白い天井にまずぶつかった。ここは、自分の部屋ではない。何処だろうと身体を動かしたいが、潤滑油の切れた人形のように軋んで少し痛かったため、真宵は首だけをなんとか動かそうとしてすぐ傍に人の気配がするのに気付いた。満足に声を上げられなかったが、その人物は真宵に気付くと椅子から立ち上がって真宵の顔を覗き込んだ。

「…あ、気がついた…?」

 ゆかりだ。ふっと笑みを向けられて、真宵もぎこちないながらも笑みを返す。

「き、気分は…どう?」
「うん…。……ここ、…どこ…?」

声がカラカラになっていた。それでも声を返した真宵にゆかりはくしゃっと顔を歪めると「はぁぁ…良かった…やっと起きたよ…」と深い息を吐いた。心なしか少し涙声だったようだし、目元も少し腫れていたような気がした。泣いていたの、と真宵が訊く前に「そうだ、喉。あんまり冷たいのはダメだからぬるいんだけど、飲める?」とゆかりはベッド脇の冷蔵庫の上にある飲料水のペットボトルの蓋を開けた。
真宵は頷いて、ゆかりに助けてもらいながらなんとかベッドの背もたれに身体を預けるようにして座った。ゆかりからペットボトルを受け取る。行儀は悪いがそのまま口をつけた。

「…あ、ここは、辰巳記念病院って言って、駅前からちょっと行ったトコよ」

先ほどの真宵の問いを思い出してか、ゆかりは早口まじりにそう言った。

「体の方は、心配無いって。過労みたいなもんらしいけど…。あ、あのさ…ごめんね。あの時は、何にも出来なくて…でも驚いた。…スゴいね、あの力」
「……あの時、何があったの…?」

数度に分けて少しずつ飲んだ真宵はペットボトルを口から外すと問うた。それにゆかりはすぐに答えず、真宵からペットボトルを受け取って蓋を閉めて冷蔵庫に片づけるとようやく「…あの力は“ペルソナ”って呼ばれてる」と言った。

「それに、あなたが倒した怪物は“シャドウ”…私たちの戦ってる敵よ」

 そういえば襲われた時もそんなことを言っていた気がする。どうしよう、断片的にしか浮かんでこない。

「大丈夫、後でちゃんと説明するから。ごめんね、隠してて…」
「ううん。気にしてない」

 首を振る真宵にゆかりは今回二度目になるだろう溜息を吐く。
 それからしばらく沈黙が訪れたのは、真宵は自分の気だるさと闘っていたからだが、ゆかりは何かを話そうと何度も口を開いたり閉じたりしていたからだ。そして1分は経過したであろう頃に「えっと、さ…」とゆかりが意を決したような面持ちで言った。

「いきなりでナンだけどさ…私もね…あなたと一緒なんだ」
「? …それは、えっと?」

ペルソナを呼び出せるという話なのだろうか。そんな風に予想した真宵に、ゆかりは思いがけないことを言った。

「私のお父さん、小さい頃、事故で死んじゃってさ…。お母さんとも、距離が空いてて……あなたも…独りなんでしょ?」

 独り。それにどう答えればいいかわからない。
 真宵は面倒を見てくれる親類はいたが、心の上では独りを感じていたときがあったからだ。

「実は私…あなたの身の上、色々、聞いちゃっててさ…」
「そっか……」

別にそれは気に障ることではない。転校を重ねるたびに必ずあった恒例行事のようなものだ。好奇の目や同情の目に晒されるのも一度や二度でもない。だがゆかりは彼女の言うように「一緒」と感じているためか「私だけ知ってるのも嫌だし、話さなきゃって、ずっと思ってて…」と言う。




next