2st-04 | ナノ

第弐話 四


「ッ、だ! セーフ!!」
「よう、来たか、七代。まだ余裕あるぜ」

 猛ダッシュで教室に飛び込んだ俺に壇が欠伸を噛み締めながら椅子に座っていた。遊ぶように椅子の後脚に体重をかけてブラブラとしている。

「お早うさん」
「おはよう」

 鞄を机にのせて椅子に腰掛ける。すると壇は椅子を元に戻してぐっと身体をこちらに寄せた。なんだ、と身構えてしまったが「昨日は色々大変だったな」と切り出したので納得して仰け反ろうとした身体をおしとどめた。

「まったく、学校の地下があんな事になってるたァよ。しかもあの花札、とんでもねェ代物だしな。七代、お前、あんなもん幾つも持って身体とか平気なのか?」
「大丈夫。大丈夫。昨日もぐっすり寝たしな」
「確かに全然調子よさそうだな。ッたく、心配して損したぜ」

 寄せていた身体を遠のかせた壇がそう言って笑うのを見ると、なんだか自分が馬鹿らしい。
 それと同時に壇という男は本当にいい奴だと思って、「お前っていい男だよなァ」と感心すると今度は壇があからさまにビクリと退いた―――ちょっと待て。

「なんだその反応は」
「お前こそなに気色悪ィこと言ってんだ! もういいから、これ以上近付くなッ」
「俺の何処が気色悪いんだ! ……んだよ、俺は宇宙人か何かかい」

 いいよ、いいよ。みんな違ってみんないい、なんて言葉は所詮完全な理解者は得られないってことだよな。

 もう壇の態度を気にするのは止めて、お前のほうは身体大丈夫なのか、と訊くと壇もオーバーリアクションな奴だが立ち直りは早いほうだった。肩をすくめる。

「俺の方は、帰ったらなんだかんだでどっと疲れが出てすぐに寝ちまったよ。あの妙な痣―――白って奴は、《札憑きの印》とか言ってたが……。ともかく、いまは見えねェんだけどな、右手が時々痛むんだ。まるで、ここに何か異質なもんが巣食ってるみてェにな」

 壇は見せてくれた右手の甲をポケットに戻すと「穂坂の奴、大丈夫だといいけどよ」と話を切りあげたところで教室の扉が開いた。穂坂だ。

「―――っと、噂をすれば、だ」
「おはよう、七代くん、壇くん」
「おはよう」
「お早うさん」
「……うん。やっぱり、そっか」

 挨拶を返すと、穂坂がどこか納得したように頷くので俺も壇も顔を見合わせる。「何がだよ?」と壇から問いかけると穂坂は、「ここに七代くんがいるってことは……昨日のはやっぱり夢じゃなかったんだよね?」と不安げに訊いてきた。

「うん…」

 俺は右手に嵌めたグローブを確かめる。壇たちのとは違い、ここにある痣は絶対に消えない。

「夢じゃないよ」
「……よかった。改めて、七代くんの口からそう聞いたら、なんだか安心したな」
「安心?」
「うん。夢じゃないといいなって思いながら昨日は寝たから」
「まァ、確かにちょっとあり得ない事続きだったからな」

 穂坂が席に着くと、壇は俺のときのように少し声を潜めた。

「そうだ、穂坂。お前、手は大丈夫か? あの、痣が出来たとこ」
「痛いとかはないか?」
「あ、うん。特に変わったことはないよ。でも、時々ちょっと、あったかい感じがするかな……」

 穂坂の答えに「なるほどね」と壇は体勢を戻した。

「やっぱり、あの札から手に入れた力はそれぞれに違うって事か。まァ、昨日ので焼却炉の噂の件は片付いたんだろうが―――ある意味、厄介な事になったな」
「そうだね……。たぶん、今頃―――」

 え、何。何があるんだ?

 面倒臭そうな壇と少し困ったような穂坂の表情を交互に見ているとスパンッと教室の扉が勢いよく開いた。こう言っちゃなんだが、ウチの教室の扉の立て付け、悪くなるんじゃないのか。こんな扉に優しくない相手はそう多くなく、そして予想通りの人物が我がもの顔で教室を入ってきた。

「ちょっと、そこの弥紀と他二人!!」
「あ、やっぱり」
「どういう呼び方だよ……」
「なんていうか、会長サマのなかの立ち位置がわかる呼び方だよな……」

 げんなりと迎えた男二人勢に飛坂は眼鏡の奥にある眼を細める。冷やかな視線に身がすくみそうになった。

「その態度からすると、あたしが来るのはわかっていたみたいね。正直に答えなさい。アンタたち、昨日あの後焼却炉に行ったでしょ」

 咄嗟のことに声を出せなかった。今の今まで飛坂の存在をすっぱり忘れていたのだ。

 飛坂が昨日の一件に関係がないわけがない。焼却炉の噂を持ち込んできたのは彼女だ。しかし、単なる学校の怪談の真相として語るには昨日の事件が大きすぎた。とくに俺からそれを話すには躊躇われる。

 そうやって何も言わない俺に飛坂の雰囲気は剣呑なものへ徐々に変わっていく。

「黙秘? ふーん、そう、黙秘? このあたしにそんなものが通用すると思ってるワケ?」
「い、いや……黙秘っていうか」
「と、巴、ちょっと落ち着いて……」
「そうだぜ、大体お前、何の証拠があって―――」

 宥めようとする穂坂と俺の肩を持つと決めたらしい壇が俺と飛坂の間に入ってくれる。
 それをますます気に食わないといった表情で飛坂は一旦俺に寄せていた身体をそらすと「足跡よ」と壇に最後まで言わせることなく簡潔に遮った。「へ?」と壇が面食らうと飛坂は指を三本立てる。

「焼却炉の周りに男物が二つと、女物が一つ。昨日、四人で行ったときはそこまで近づかなかったわ」
「だからって、それが何で俺たち―――まさか、お前……」
「当然、確かめさせてもらったわよ。三人とも、昨日と同じ靴がいま下駄箱に入ってるわね?」
「あ」
「う、わっ……マジかよ」
「お前……本当に恐ろしい女だな」

 合点がいった穂坂と違い、俺と壇は若干嫌そうな目で飛坂を見上げてしまった。昨日の件には生徒会の面子を巻き込まなかった手前、部下なる生徒たちで確認させるのではなく飛坂本人が俺たち三人の靴を持っていそいそと現場の足跡と確認したのだろう。理にはかなっている、が、恐ろしく面倒かつ人に見られたら恥ずかしいことこの上ない。

「何とでも言いなさい。大体……どうして行くなら行くであたしに一声かけないのよ。あたしはそんなに邪魔者だったワケ?」
「それは悲観的すぎだって……、ただ―――」
「………。まあ、何か事情があったっていうなら仕方ないけど」
「飛坂、お前……もしかして、拗ねてんのか?」

 ふいっと俺たちから顔を背けた飛坂が壇の一言に目を開く。

「―――!! ば、馬鹿じゃないの!?」

 何であたしが、と怒ったような声を出す飛坂に穂坂は立ち上がるとぎゅっと飛坂の手を握った。
「巴……本当にごめんね。誰かに見つかって巴の立場がこれ以上悪くなるのは嫌だったし、だから先に少し、様子を見て来ようかなって思ったの」という穂坂の言葉を聞いている飛坂が段々と落ち着いた表情を見せる。

「そうしたら……ちょっとその、色々とあって……」
「………。聞かない方がいい理由があるの?」
「流石に話が早いな。お前みたいな責任馬鹿は知らない方がいい事もある。そういうこった」
「………」

 これって俺のせいなんだろうか。二人に吐かなくていい嘘を飛坂に吐かせている。
 俺が話せばいいことなんだろうけど、俺から話す勇気が持てない。

「って!?」
「馬鹿、何しょぼくれてんだよ」

 平手で叩かれた頭を擦る。…察しのいい奴らばっかで本当に困るよ。

「あたしも七代君も、馬鹿に馬鹿って言われる筋合いはないんですけど?」
「ま、確かになあ…」
「何ィ!?」
「……まあ、いいわ。その代わり―――今度は別の事件(ヤマ)に手を貸してもらうわよ」