2st-03 | ナノ

第弐話 参


 俺のどうしようもなさを汲んでくれたのか鍵さんが促してくれる。
 数百年近くいるという大先輩の鍵さんから折角話しを訊けるなら、と俺は根本的な話――カミフダのことを振ってみた。これは伊佐地センセだけからの話では要領を得なかったことだ。鍵さんは眉をハの字にして「封札師殿に対して説明するのはどうにも、おこがましい気がしやすがねえ」と困った顔をしたが答えてくれた。

「果たしてその《四角》がいつからあるのか、知る者はいないでしょう。かつては《神札》や《隠札》とも記されていたようで、古い文献の中にも時折その名が出て参りやすよ。カミフダは普通の人間には何の変哲もない紙片にしか映りやせん。ですが、そこに秘められた膨大な量の知識は―――時に、触れた者の隠れた鬼を呼び起す……」
「隠れた鬼、か」

 ――一言で言うならば人類にとっての《厄災》だ。古来より多くの人間を狂気に誘い、破滅へと導いた情報の凝縮。

 伊佐地センセがカミフダは何たるかを教えてくれたときにそんな風に言っていた。隠れた鬼っていうのが人のなかの欲望や願望だとしたら、カミフダを手に入れることによってそれが刺激されるってことなのだろうか。俺は確かに白札を手にするときに問われたのだ、力が欲しいかと。

「カミフダを正しく扱い、札によって変じた鬼を祓う事が出来たのは、古来より秘法眼を持つ術者だけだったと言われていやす」
「―――じゃあ、俺が白に執行者として選ばれたのは、やっぱり俺のなかの鬼を呼び起されたってことなのか? いやそもそも、白は番人だって言っていたけど…」
「ご本人からは何も聞いていやせんか? あの方は、確かに呪言花札の番人でいらっしゃる」
「そうなのか」
「他の札よりも多くの知識を持ち、主を助け、札の眠りを護るのがお役目だそうです。札の力を使ってあの方を生み出されたのは、呪言花札をいまの形と成した最初の主殿だそうで。執行者の手足となるため、人、札、そして鴉と自在に御姿を変えられやすね。私らが、人の思念と天地の《氣》が混じり合って生まれたあやふやなものならば、あの方は、カミフダに記された確かな情報を元に構築された存在―――つまり、《隠人》と呼ばれるものに近いと見えるでしょう」
「見えない、けどな」

 俺にしたら狐と狛犬、鴉なんて動物シリーズでひとくくりにしそうになっていた。そして鍵さんと鈴、白を同じように見ても、あの地下で見た隠人と同じだとは思えない。多分、それは雉明と武藤のように、壇と穂坂を見れないのと同じかもしれない。
 これは俺の勝手な線引きだ。

 最後にこの鴉羽神社のことを訊いた。

「これはこれは。興味を持っていただけるとは嬉しいですねえ。とはいえ、それほどお話出来る縁起がある訳でもないんですよ。見ての通りの寂れた小さな神社でして」

 すーっと見渡すように動く煙管の軌跡につられて俺は鴉羽神社を見る。

「いまは清さんとお嬢―――あの神主親子がお二人で面倒を見てくださっていやす。そもそも、この辺りの総鎮守といえば、新宿中央公園の熊野さんですしねえ。何せ元が某家の氏神ですからお祀りしている神(かた)もあまり知られていやせんし。まあ、狛犬と狐が対だってのが珍しいらしく、好事家がまれに写真を撮りに来たりするくらいですかね―――それじゃあ、今日のところはこの辺にしておきやしょう」
「まったく、おしゃべりな狐よの」
「あ、白さま!!」

 白鴉がふわりと舞い降りると少女が現れる。
 白は「よもや、其方までとは……。一体、何を考えておる?」と剣呑な雰囲気で鍵さんを睨み上げるが、「はて、私ァただ氏神の神使としての役割を果たしてるに過ぎやせんよ。少しは七代殿の助けになるかと思ったんですが余計な真似でしたかね?」とあまり気にしていなさそうだ。

「ふん……食えぬ奴よ」と白はぷいっと不機嫌に顔を逸らした。その先に俺がいたものだから白はますます顔をしかめたのだが、意を決したように一歩を踏み出して近付く。

「七代千馗、と言ったな。一つ、聞かせてもらおう。其方には、護りたいものがあるか?」
「あるよ」

 間髪いれずに答えた俺に白は眼を丸くした。あのとき、力が欲しいかって訊いたのは確かに白で、俺は二人を助けたくて手を伸ばした。護りたいものがあるかと訊かれて頷かなかったらおかしい。これからも花札のことであいつらが危険な目に遭うなら俺は迷わずに札の力を使うんだから。

「そうか……。古来、我が主となる者は、皆、そう申しておった。…………。……勘違いするでないぞ。何も其方を主と認めた訳ではない」
「わかってるよ」
「……カミフダを扱う封札師ならばわきまえておろうが、呪言花札は徒の人間には身に余る力ぞ。にも関わらずヒトはいつの世も不相応な力を求め、我らの眠りを妨げる……。じゃが、封印が解かれた以上、妾は妾の成すべきことを成さねばならぬ」

 ふう、と白は息をつく。

「即ち―――札の執行者となった其方と共にすべての札を集め再び封印を施す。……まんまとしてやられたわ。これは封札師である其方の目的とも合致するのであろう?」

 これに否定できず、俺は頷く。

「ふん……。其方のように縁も所縁もない者を、執行者に選ぶ羽目になるとはの。まったく、先の思いやられる……。狐、昨晩のあの洞は一体何じゃ」
「あれは元々あの場所にあった地下壕でして。作られたのは確か、この地が帝都と呼ばれていた頃だったと思いやしたが……」
「帝都って――随分昔だな」
「呪言花札が居座ったせいであのような姿になったか。この地には、他にもまだ同じようなものが存在するのじゃな?」
「はい。あそこは西寄りの大洞ですから、私らは《秋の洞》―――と呼んでおりやす」
「なるほどの。どうりで秋に属する札の力が強いはずよ」

 白は頷くと俺に扇をぴっと向ける。

「よいか、七代。其方は其方のやり方で札を探すがよい。札は、より大きな力に惹かれる習性がある。妾以外にも札を手にしたいま、すでに其方自身が、札を探す為の標(しるべ)じゃ。何かあれば妾もすぐに参る。妾の助け無しには、何かに取り憑いた札を剥がす事も出来ぬからの。―――では、鈴とやら」
「……はう? あ、は、はいですっ」

 今まで俺たちの会話をぽやーっと聞いていた鈴が白に声をかけられて背筋を伸ばした。

「この辺りで塩気の効いた食い物があるところに案内せい。この時代の食べ物は何が何やらようわからぬ」

「え? あ、えとえと……」とオロオロする鈴にづかづかと歩み寄るがスルーして「其方、先ほど何でも相談に乗ると言うておったであろう? ぐずぐずするでない。参るぞ」と先へ進んでいく。
「は、はいです〜」と鈴は白の後ろについて二人は視界からいなくなってしまった。

「…まるで親分と子分だ。てか、聞いていたんだな、ばっちし」
「……やれやれ。さて、そろそろ時間ですよ。学校へ行かれるなら少し急いだ方がいい頃合いだ。では道中、お気を付けて。行ってらっしゃい」
「げっ、遅刻する!」

 ひらひらと手を振る鍵さんに降りかえしがなら俺は先生と同じように慌しく神社を出発した。