次に浮かぶ疑問としては当然な質問に俺がまごつくと、静観していた羽鳥さんがようやく口を開いた。 「落ち着け、このバカ娘。急に遠縁の子を預かる事になったと言っておいたろ」 「あ……。そういえば……そう……だったっけ? だからって、昨日来てたなんて聞いてないわよッ」 「そりゃお前の帰りが遅いからだろうが。まったく若い娘、それも高校の教師が、二日も続けて御前様とはな」 あ、だから鉢合わせしなかったのか。 指摘された先生は「そ、それは……私にも色々、付き合いがあるっていうかなんていうか……」と目を泳がせて「―――あら? じゃあ、こっちの可愛い子は?」と俺の隣にいる白に気付いた。そこには流石に言葉を用意していなかった羽鳥さんが「あー…それはだな……」と俺に視線を投げる。 「つまりその、コイツは七代の―――」 「七代君の……?」 羽鳥さんの視線につられて先生の目も俺に向けられる。 白は、俺の、俺の――… 「…い、もうと。妹ですッ」 「あら、そうなのね」と納得の声を上げる先生。 しかし白は白目を大きくして一拍のち、くわっと声を上げた。 「て、適当な事を言うでないわ!! 妾の方が、其方などよりずっと年上――」 「わわわわっ!」 「むぐッ――!? んんんっ!!」 てのひらで口を塞いだ白が暴れる。 せっかく先生が納得してくれてんのになんで口裏を合わせてくれないんだ、と押さえ込むとガブリと指を噛まれた。ぎゃあと飛びのく俺に「く、苦しいと言うておるに!」と顔を真っ赤にした白がバシバシッと扇で追い打ちをかけてくる。 それを遠目で見ていた羽鳥さんが「ともかく、俺は預かるのは一人だと言った覚えはねえぞ。それに一人だろうが二人だろうが大した差じゃねえだろ」と娘である先生に言う。まるでトンチだなと思う俺に対して、先生は「もう、いつも適当なんだから…」と溜息をしつつ納得してくれた。 「でも、なんだか弟と妹が一気に出来たみたいで私は嬉しいかな。ね、お名前は?」 「……名を尋ねるときは自分から名乗るのが礼儀であろう」 「え? あ、その通りだわ。ごめんね。私は羽鳥朝子と言います。この家の長女で、高校の先生をしてるわ」 さすが、壇と飛坂が二の句をつげなくさせるだけの人である。 穏やかな笑みを浮かべて自己紹介をする先生に流石の白も面喰らった表情を見せたが、きゅっと唇を噛み締めた幾ばくのち「……白じゃ」と答えた。 「白、ちゃん?」 「―――!! ……気安く呼ぶでないわ!」 ダンッと白はテーブルを叩いて立ちあがると、あの重そうな着物で素早く動いて障子戸を開けて出て行ってしまった。その頬が少し上気していたのが見えた気がする。 「え? あッ―――ど、どうしよう。私、変な事言ったかな?」 「子供だからな。恥ずかしがってるだけだろ」 「でも……」 開かれたままの障子戸の向こうを見る先生に「そんな事よりお前、時間は」と羽鳥さんが促す。 「え……? あ、あああああああ!! そうだった!!」 先生は慌てて開けられたままの障子戸から出て行こうとして一度振り返ると「そ、それじゃまた後でね、七代君!! 遅刻しないようにね」と言い残して走り去っていった。 「まったく、誰に似たんだか……。まあ、担任と一つ屋根の下ってのも何かと面倒だろうが、お前さんも玄人(プロ)なら上手くやるこった」 「は、はァ」 「それと―――昨日も言ったが、アイツに余計な事は話すなよ」 最後に釘を刺した羽鳥さんは一度瞑目して「わかったら、さっさと食っちまえ」と食べ終わった椀と皿を持って居間を出て行ってしまった。 白が残した椀や皿も片付け終えてから俺は境内に出ていた。 羽鳥先生と比べて学生身分の俺はまだゆっくりとしている暇があったので拝殿の柱にもたれかかった。秋晴れというだけではなく澄んだ空気は神域である神社独特のものだと改めて思う。だから考え事するのにも丁度いい。 ポケットから四枚の札を取り出す。カミフダの性質を伊佐地センセから聞いてはいたが、それだけの情報では説明がつかない。 封札師といえども俺は壇と穂坂の手に貼りついた札を剥がすことはできなかったのに、白に剥がしてもらったとはいえ四枚も札を持っている俺には何ら情報を奪われているような感覚もないのだ。いや、何もないのではなく、俺は白札に憑かれているということなのだろうか。 うーんと唸っていると狛犬の方から光が溢れて、一人の少女の形になった。 「あ、七代さま!! おはようございますなのです。昨日はよく眠れましたですか?」 「おはよう、鈴。もうぐっすり寝られたよ」 目覚めは衝撃的だったけど、と思うがそれは根本的には関係ないのでふせておく。俺の言葉に鈴はピクピクと頭上の耳を動かして嬉しそうに袖と袖を手前に寄せた。 「それはよかったのです。ここが気に入ってもらえたなら、すずも嬉しいのです―――あ……。七代さまにお願いがあるのです」 「ん?」 「朝子さまがお出かけする時に落とされたのです。きっと、大事なものです! でもすずはお届け出来ないですから……。七代さまが、預かっていて欲しいです」 「わかった。先生に会ったら渡しておく」 「はいなのです!」 鈴に渡されたものは「化学実験室」とタグがつけられた鍵だ。これって普通、職員室にそれ用で厳重にされているんじゃないのか? もしかして先生、化学実験室など縁がなさそうだが。いや、縁遠いからこそ忘れて持ち歩いていたとか……職員室に持って行ったら案外、スペアが用意されていたり、なんてな。 昨日の衝撃的な出会いといい、今朝といい先生はドジっ子属性かもしれない。 「やれやれ、仔犬ちゃんは朝から元気いっぱいですねぇ」 「あ、鍵さん」 「お早うさんです、坊」 「おはよう、鍵さん」 狛犬の向かいに鎮座している狐から細面の青年がくつくつと笑いを零しながら現れる。個性的な形をした煙管を楽しむ鍵さんが「まだこんなところでのんびりしていていいんですかい?」と俺に訊ねてきた。え、もうそんな時間だっけか、と安物の腕時計を見る。 いや、まだ余裕だ。俺が「大丈夫だけど」と怪訝な顔をすると俺の隣にいた鈴が得意げに「ふふん」と鍵さんに言った。心なしか耳がピンと立っている。 「すずは知っているのですよ。学生さんは、先生よりもゆっくりで大丈夫なのです!」 「ああ、そういやそうでしたかね。お嬢を見てるとどうにも学校てなァ、慌てて走ってくとこのような気がしやして」と鍵さんは煙管の端で頭を掻いた。 「なら、お時間もあるようですし少し坊の助けになる話をするとしやしょうか。どうやら随分と困難なお役目を引き受ける羽目になったようですからねえ。本当ならご本人から聞くのが一番でしょうが―――」 鍵さんの視線が拝殿の上――屋根に映る。いつの間にか白が屋根の上に座っていた。こちらを見ずに遠くを見ている。 居間から飛び出していったと思ったらここにずっと居たのだろうか。 「どうにもいまは虫の居所がお悪いらしい」 「白さま、昨日遅くにここへやってこられてから、ほとんどずっとああしてるです。何か悩み事があるならすず、いつでも相談に乗るですけど……」 「そっか。俺も乗ってやりたいけど、機嫌が悪い原因が俺じゃあ無理だろうな…」 「はうぅ? 七代さま、白さまと喧嘩されているのですか?」 心配そうに鈴に見上げられて俺は「うーん」と唸るしかない。ああ、もう昨日といい、俺のキャパシティ超えるような人間関係の奥深さにおののくしかねえよ。案外中身は単純なものだったりするんだが、心なんてこの眼でも見えないものが相手だ。 「あの方は私ら、社を護る神使とは少々違う存在ですからねえ。鈴はまだ五十年ほど、私とて、この地に固定されてからは鈴の倍程度しか経ていない。けれど、あの方は……果たしてどれほどの時を、見届けてきたやら。さて、と。それじゃあ何からお話しするとしやしょうか」 →参 |