2st-01 | ナノ

第弐話 壱


 眩くほどに大きな光の粒子が踊っている。
 強い光に身体と言わず魂でさえ持って行かれるような不安感。

「… ……―― …―…」

 叫んでも声は届かない。
 それが泣きたくなるほど哀しくて、苦しくて―――くるしくて。





「く、…くるじ…い…」

 胸というより腹部がとくに苦しい、ともがくように手を伸ばした俺はバシンッと額を硬いもので叩かれて「あだッ」と悲鳴を上げた。ひりひりとする額をてのひらで押さえて薄く瞼を開けると、朝日を浴びて薄く輝いている白髪の間からこちらを睨むように凝視した二対の瞳とかちあった。反射的にビクッと肩を跳ねさせた俺の耳に「ふん、ようやく起きたかえ」と透き通った古風な声が届く。

「……。……でえええええええッ!?」

 驚きのあまりに起き上がってしまった俺に、白札の化身――少女の姿をした白は「なあッ!?」と悲鳴を上げてころころと転がっていく。慌てて大丈夫かと声をかけようとするが、白はガバッと自力で起き上がると服装を正す。白はギロリと眦を上げた。

「何をするか! 無礼者ッ!!」
「ごめん。…いやでも女の子がそんなことしちゃ駄目だろ! ってか、なんでここに――」
「ええい、朝から騒々しい声を出すでないわ! そのように捲し立てられて答える者がいると思うてか?」
「う…、…お…」

 なんで俺が怒られてるの!?

 そんな言葉が喉から出かかったが、目覚めにキツい一発を受けた衝撃はまだ抜けてない。言葉になっていない呻きを上げてしまうだけの俺に白は「ふん」と若干蔑むような視線を向けた。

「早う、仕度をせぬか。そなたが起きねば、妾は朝餉を食べられぬではないか」
「OK…」
「お、おうけぃ? ……とにかく早うせい」

 もぞもぞと布団から抜け出ると、ぶるりと身体が震えた。寝る前には閉めたはずの窓が開いている。
 どうやら白はここから入ったらしい。不用心過ぎるだろうか、と過ったがこの神社には鍵さんと鈴がいるから大丈夫だろうと思う。昨夜、遅くに学校から帰ってきた俺に気付いて迎えてくれたし。

 とりあえず窓を閉めて、カーテン代りの障子も引いてからスウェットを脱ごうかけた手を止めた。ぐるりと視線を下に向けると正座をした白が布団の上でじっと見ている。

「あの、さ」
「何じゃ」
「何っていうか、俺、着替えたいんだけど」
「だから早うするように言うておるではないか」
「だっ、だから見られていると着替えにくいの! 女の子に見られながら堂々と着替えるってどんなんだよ! 俺そこまではっちゃけてないから!」
「何を言うて…―――ッ!? なッ、何をする! 妾に気安く触れるなと言うでおるに!」

 ぎゃあぎゃあ騒ぐ白の背中を押して襖戸の外に閉めだす。
 薄い襖の向こうで白がブツブツ言う言葉が聞こえたが、俺は敢えて無視すると夕方には送られた段ボールのなかから予備の制服を引っ張り出す。昨日始めて袖を通したはずの制服は穴が開いてしまっていたり、擦れている。これはまた探索に行くとき用に取っておこう。

 多少もたつきはしたが着替えを済ませた俺は襖戸を開いて、一瞬思考が停止した。

「ん? あれ、白?」

 低い位置にあるはずの白い頭がいない。
 え、え!?と首を左右に向けても古風な着物を引きずる姿はないから、慌てて探す。白が窓から入ったとしたら羽鳥さんはこのことを知らないはずだ。女の子じゃないと本人は言ってるが、あの姿を羽鳥さんに見られたら怪訝な顔をされるに違いない。
 どこだ、どこに居る、と居間に通じる障子を開けると奥の台所から羽鳥さんがお盆を持って上がるところだった。

「おう、起きたか。朝飯は出来てる。うちは和食だが構わんな」
「あ。おはようございます! うわ、すげ、美味そう!」
「そうか。ならまあ、よかったな」

 お盆の上にはほかほかと湯気が立っている卵焼きに、焼き魚と味噌汁。
 テーブルの真ん中に置かれた大皿には浅漬けされた白菜やキュウリの漬物が並んでいる。炊飯器もコンセントに繋がれた状態で椀や湯飲み、箸も綺麗に揃えられていた。ここ最近では食べていなかった和食に一気にテンションが上がる。これぞ日本人の食卓だ。
 立ちすくんでいる俺に羽鳥さんは「突っ立ってないで座れ」と眉をしかめる。

「とにかくさっさと片付けちまって学校へ行け」
「はい、いただき…」
「おい。この味噌汁、少々薄いのではないか?」
「ぶっ!」

 味噌汁の入った椀につけた口を放しかけた。
 いつの間にか俺の隣で白が味噌汁を飲んでいて、当たり前のように羽鳥さんに声をかける。羽鳥さんも「うちは塩分は控えめだからな。これで普通だ」と並べ終えた盆を脇に置くと炊飯器を開けて椀にご飯を入れてくれた。

 え、何これ。何、この置いてけぼり感。

 なんで白と羽鳥さんが親しげに話しているんだ。いや、でも白は俺がいないと朝食が食べられない、と言っていたし、朝から騒いでいたのに羽鳥さんは気にもしない様子だった。羽鳥家に帰って、風呂を借りたあとに爆睡してしまった俺は今朝までに一体二人の間に何が起こったのかわからない。
 こういう場合はどちらに訊けばいいのだろう、と俺は羽鳥さんと白を交互に見つめていると「ぬう、物足りんのう…」と唇を尖らしていた白と目が合った。

「………」
「………」
「不本意じゃが……其方が執行者となった以上、妾の役目は其方の傍らにおる事じゃ。妾を媒介とする事でしか多数の札を自在に扱う事は叶わぬからの。すでに其方と妾の間で情報の交換は済んでおる。今後、其方が何処にいようと妾たち番人にはすぐにわかる故、何処へ逃げても無駄じゃぞ」
「逃げてもって…」

 別に俺は羽鳥家に逃げ込んだわけではないのだが。だがなるほど、それで別れたはずの白が俺の傍らで朝飯を食っていると――なんだかよく分からないが、あのときの怒りようから二度と口を利かないくらいされるとか思っていたが、今はちゃんと会話もできている。

「……ん? なんじゃ、食わぬのか? ならば妾が其方の分までこの甘くて美味い卵焼きを…」

 すいっと伸びる箸に俺は卵焼きののった皿をすすめると、「……ふん。この程度の事で、妾を懐柔出来ると思うでないぞ」と言いながらも白は美味しそうに卵焼きを頬張った。その様子を見ていた羽鳥さんは「まったく……まさか《札》が飯を食うとはな」と呆れたような声を上げる。

「コイツから、大体の事情は聞いた。花札か何だか知らねえがカミフダに代わりねえんだろ? ま、気張って集めるこった」と味噌汁をすする羽鳥さん。それに今度は白が反応した。

「その言い様、まるで他人事じゃな」

 白と羽鳥さんの視線が交わる。

「呪言花札の解放は、この地に生きるもの全てにとって惨禍じゃというのに。人間とは勝手な生き物よ」

 羽鳥さんは聞いてはいたものの、それを黙殺して漬物に箸をつける。ポリポリと歯ごたえのいい音。
 白も言いたいことを言いたかったというような感じで、もう一切れあった俺の卵焼きを口に入れてしまう。先程までは親しげにと思っていたが、そうだと言い切るには痛い沈黙だ。

 これに何か打開策はないかと思案していると、奥からダダダダダッと派手な足音が近付いてきた。
 時々小さな悲鳴と物が倒れる音も混じって、俺は手を止めると白が「やれやれ、ようやく起きたか」と溜息まじりに障子戸の向こうを見やる。そして、スパンッと小気味いい音で戸は開き、

「もう、お父さん!! どうして起こしてくれなかったのよ!! 今日遅刻したらさすがに職員会議で―――………―――え?」

 バチッと俺と――羽鳥先生の目が合った。
「えーっと……」と羽鳥先生は細い指で額を押さえ、ぐるりと周囲を見回す。そして俺を最後に見た。

「………。えええええええええ!?」
「えええええええええ!?」
「な、何で七代君がウチにいるの!?」
「何で羽鳥先生が!?」
「騒々しいのう…」

 顔をしかめる白の横で俺は額を押さえる。
 鴉羽神社の神主である羽鳥清司郎さんがいて、羽鳥さんには娘さんが居るっていう話で。
 それで今、羽鳥先生が羽鳥さんを「お父さん」と呼んでいて、先生は女性で――き、気付かなかった! ちょっと考えれば同じ名字じゃないか。羽鳥なんてあまり聞かない名字なのにそんな単純なことに結びつかなかった。
 先生は俺以上に事態に驚いていて、両手で頭を抱えている。

「昨日……昨日は……ええと、牧村先生の行きつけに連れて行かれて―――その後は…………………。ま、まさか転校してきたばかりの教え子を無理矢理……。い、いえ、そんなはずはないわ!! 違うわよね、七代君!?」

 ガタンッとテーブルにぶつかって椀を落としそうになるくらいに先生は鬼気迫った顔で俺の肩を掴む。その表情が表情なだけに俺はカクカクと頭を上下に下げると先生は「そ、そうよね!!」と声を上げる。最悪を払拭できたおかげか羽鳥先生は胸に手をあてて「はァ…よかったァ…」と溜息を吐いた。

「でもそれじゃあどうして七代君はここに……?」
「そ、それは――」