すっかり真っ暗闇となった學園の外にようやく出てきた俺は、最後に上ってきた穂坂の手をとって外へ引きだす。穂坂は「よいしょ、ッと…」と出ると、うんと背伸びをした。 「…ふう〜、やっと出られたね」 「ああ、まったく慌ただしい一日だったぜ」 「ほう……。江戸も随分と様変わりしたものじゃの」 俺の肩にとまっていた鴉の姿をした白は物珍しげに周囲を見る。 鴉なのに鳥目じゃないのか、とちょっとした疑問が浮かんだ俺だったが、そんなのは些細なことだったと思い知らされる。白は「さて」と肩から離れると、ふわりと一度飛んで地面に降り立つ瞬間には薄く光を纏った綺麗な少女の姿に転じたのだ。鴉のときと同じ真っ白な羽のような長い髪に、紫の瞳。服は神社の水干に似た萌黄色の袖、袴は魔を寄せ付けぬという朱色だ。 やがて光も薄く消えて行くと、白は袖を持ちあげて「うむ。まあこんなものじゃろう」と満足そうに頷いた。 「んな―――!!」 「マジか…」 「すごい。白ちゃんてそんなことまで出来ちゃうんだ!!」 「ま、白ちゃん……」 「うん。あ……いやかな?」 穂坂に言われて白は鴉のときよりも俺たちには分かりやすく顔をしかめていたが、やがて諦めて「……まあよいわ。好きに呼べ」と何処からか出したのか金の舞扇を取り出してプイと顔を背けた。 「人里を歩くにはこの方が都合がよいじゃろう」 「そっか、白い鴉なんて珍しいから、捕まえられちゃいそうだものね」 「……確かに、珍しい鳥よりは変な服の子供(ガキ)のほうがまだ無くはないな」 壇の納得といった顔に白は気に召さなかったらしく、「変とはなんじゃ。まったく失敬な……。のう、我が主。おかしいところなどないであろう?」と俺に訊いてくる。少女の姿であるため、上目遣いになる白にそういう趣味はないけど、と思いつつ「可愛いからいいんじゃないか?」と肯定した。 「可愛いってお前なあ」 呆れたような壇の声。 いや、別に俺はそんな趣味ないけどな。 「うむ。そうであろう」 満足そうに微笑む白を見ると、まあいいかと思う。 だがしばし俺を見ていた白は眉を寄せるとずるずると袴を引きずりながら近付いてくる。 「しかし……。それにしても、見れば見るほど貧相な主殿じゃのぅ……」 「ひ、貧相」 「まあ、ガタイは良くないな」 「キッパリ言うなよ…」 気にしてんのに、と俺が頭を掻くと白の視線が俺の手に向く。 何だ、と俺は自分の手を見る――手にはグローブが嵌められているだけだ。 「………。―――ん? ―――!! ふ、封札師じゃと!?」 「なっ…!」 「え?」 「は?」 驚愕する白の言葉に俺がギョッとしたのは勿論、壇と穂坂が何の事だと俺を見る。 まさかの暴露に俺が慌てて白を見たが、白はふるふると小さな身体を震わせながら「ど、道理で主殿の血脈とは違う力じゃと……。あまつさえ、この妾が封札師を主と呼ぶなど……!!」と独り言を呟いたかと思ったらキッと俺を睨みつけた。 「ええい、一体どんな卑怯な手を使ったのじゃ! この封札師風情が!! あんな邪道の力で妾を従えるとは小癪……小癪なッ!!」 バシバシッと扇で叩かれるが、俺は白の態度の理由がわからず呆然とするしかない。 だが壇はすぐさま白の手を掴んで「止めろ」と言った。白は「ええい、気安く触れるでない!」と壇の手を弾く。 「おい、急に何だってんだよ? 卑怯も何も……お前が勝手に七代を選んだんじゃねェのか?」 「そ、それは……」 「間違えといて当たるたァ筋が違うだろ」 「…………。くッ……。もう知らんッ。妾は知らんからなッ!!」 白はそう怒鳴ると元の白い鴉に姿を変えて空へ舞い上がると、そのまま飛び去っていってしまった。 「白!」 「お、おいッ!! ……飛んでっちまった」 「もしかして、人違いしちゃったのかな? その人、七代くんとよく似てたのかも……」 「だとしても筋違いだってんだよ。あんなのは八つ当たりじゃねェか」 「でも、白ちゃん……大丈夫かな」 不安げに穂坂が空を見上げる。 もう白い影はどこにもない。 「どうって事ねェだろ。子供(ガキ)の癇癪なんて長続きしやしねェよ」 「へえ、手慣れた様子だな」 俺がそう言うと「別に」と壇にそっぽを向かれた。 うーん、年下の彼女がいるとかそんなんだろうか。こいつ、面倒見いいもんな。 だが壇のいうことも一理あるかもしれない。俺には白を追いかける術もない。 「でもあの子、江戸、って言ったの。あの格好にあの話し方……見た目ほど子供じゃない気がするな」 「なら、余計に大丈夫だろ。自分でなんとかするさ。何か、大事な目的もありそうだったしな。それより七代」 「ん?」 「お前は確か、ふうさつし、とか呼ばれてたよな? なるほど、そいつがお前の正体って訳だ」 ニヤッと笑いかけられて今度は俺がそっぽを向く番だった。 「まァ、そんな顔すんなって。バレたのはお前の落ち度じゃねェんだからよ」 「大丈夫だよ、七代くん。秘密はちゃんと護るから」 「あ、ああ…、それはよろしく」 「ふふッ。やっぱり今日一番の不思議は七代くんだったね」 少し楽しそうに言う穂坂はやはりスゴい。結構な体験をこの数時間でしたはずなのに、まさかの一番の不思議が俺だとは。壇もそれは否定せずに「……確かに。穂坂の言う通りだな」と頷くのだからもう俺には何も言う資格はないかもしれない。 そんなふうにぼんやりと思っていると、壇が俺に向き直る。 「七代、俺たちはお前のおかげで、普通なら知るはずのない真実を知っちまった。ついでに妙な力まで……。だったらよ、俺たちはこの力で何が出来るのか考えなきゃなんねェよな。力を使う目的って奴を、自分で決めて走り出さなきゃならねェ」 ぎゅっと拳を握る壇。 「壇くん……」と穂坂が見つめると、真剣な表情からふっと和らげて「けどまァ、今日のところは大人しく帰るとすっか。正直もう、身体が言う事利かなくなってきたぜ……」と肩を揉む。 「うん……。わたしも……。ちょっと、疲れちゃったかな。七代くんも、帰ろう? また明日、學園(ここ)で会えるように―――」 「そうだな」 「じゃあ、校門まで一緒に行こうぜ」 壇の言葉に誘われて俺達は焼却炉を後にした。 →第弐話へ |