1st-10 | ナノ

第壱話 拾


『感じるぞ。其方の中に眠る大いなる力、そして、意志―――其方に我が力を与えよう。すべての花を従える力を―――』

 伸ばしていた手を広げると、いつの間にか手に一枚の札が収まっていた。
 何も描かれていない札。それを見つめていると『ふむ』と札から声がした。

『素養はなかなか悪くない。じゃが……なんじゃこのむずがゆいような尻の落ち着かぬ感じは……』
「喋った……?」
『まあよい。まずは彼奴らの札を引き剥がすとしようぞ。さあ、妾を放て』

 放つってことは二人に向けて投げればいいのか?

 俺は言われるままに札を二人に向けて放つと、『それで良い』という言葉と共に白い札は、真っ白な鴉に姿を変えて、壇と穂坂をかすめるように飛んでいく。

「えッ!?」
「な、何だァ!?」

 すると、それだけなのに、二人に貼り付いていた札が剥がれ落ちる。唖然とする二人の右手は、不思議な文様が浮かび上がった。

「取れ……てる……?」
「けど、このアザみてェのは一体……?」

 ゆらゆらと炎のような光の粒子を上げていた文様はすうっと二人の身体に吸い込まれるように消えてしまった。

「うおッ、消えた!?」
「どうなってんだ…?」

 驚く俺達に、落ちた札を咥えた鴉が俺の肩に降りると「ふん……。《札憑き》になりおったか」と紫の瞳を二人に向けた。ぱさりと翼を折りたたむ。

「隠人にならずに済むとは少しは骨のある童共だったようじゃな。これで其方らはしばしの間、札より得た《力》を使う事が出来る。いまより百日もすればその効力もなくなる仮初めの力じゃがな。さて、これを保管するのは其方の役目じゃ。受け取るがよい、我が主」
「あ、ああ…」

 てのひらを差し出すと、鴉は咥えていた札を置いた。大輪の菊に寿と書かれた盃の札と、柳を背景に飛ぶ燕の札――カミフダだ。両方とも、試験のときに伊佐地センセが用意してくれた札より明らかに情報量が違う。大きさは似ているのに、重さが違うと言えばいいのだろうか。

 でも、この絵柄にはなんか見覚えがあるような。いつだったか、と悩む俺に壇の指がすっと向けられた。いや、正確には俺の肩に止まっている鴉だ。

「……なあ、七代。俺の目がおかしくなけりゃ、さっきから鳥がしゃべってるように見えるんだが」
「白鳥……じゃないよね、ええと、白い……カラス? でもわたしたちが探している白いのとは違うみたい……。あなたは一体、誰なの?」

 穂坂の問に鴉は煩わしそうに翼を一度ふるりと震わせると、

「ふむ。そうじゃったな。ヒトは固有の名称がないと存在を認識出来ぬ面倒な生き物であったわ。妾は白き札の者……。―――白と呼ばれておる。そして、いささか不本意ではあるが、近世以降の人間は妾たちをこう呼ぶようじゃの。―――《呪言花札》と」
「呪言、花札」

 それが、俺が伊佐地センセから任されたカミフダの名前か。

「花札……? それが穂坂と俺に取り憑いてあんな事になったのか……? ―――って事は、七代に取り憑いてるお前もやべェんだろうが!!」

 白に食ってかかる壇に驚いて、「お、おいっ」と肩を掴む。
 すると白はキッと声を固くして「……痴れ者がッ」と壇を睨んだ。

「妾を他の札と一緒にするでないわ。妾は花札の番人。主の力となり、世に散った札を集め封じる役目を負う者。妾がおるが故、主は自在に他札を扱う事が出来るのじゃ。……この近辺にもう札の気配はない。目醒めたばかりで少し力を使い過ぎた。妾はしばし休むぞえ」

 そう言うと白は鴉の姿から元の札に戻ってしまった。
「すごい……。カードになっちゃった。こんな不思議なことってあるんだね」と俺のてのひらに収まった札を覗いた穂坂が感心したように呟くと、「いや、ねェだろ。普通……。ッたく、何なんだよ。しゃべる鴉とか妙な花札とか」と壇が頭を乱暴気味に掻いた。

「ねえ、七代くん。もしかして……あなたはこの不思議な札を探しにここへ来たの?」
「――ああ」
「そっか……。やっぱりそうなんだ」

 もうここまで来て誤魔化すのも難しく、頷くしかない。
 危険な目に合わせて負い目を感じたからなのと――二人が本気で心配してくれたことに少しは報いたいと思ったからかもしれない。だが、気まずさを覚えた俺に聞こえたのは「ふふふ」という穂坂のやわらかい笑い声だった。

「七代くんのそんな顔見てたら、なんだか不安も吹き飛んじゃった」
「へ?」
「詳しいことはよくわからないけど、でも……七代くんにやらなきゃいけないことがあって、わたしにそれを手伝うことが出来るなら……そうしたいな、って思う」
「手伝うって――たった今、危険な目に遭っただろ。おい、壇。穂坂を説得……」
「あの白いのは目醒めたばかりだと言ってた。て事は、俺たちが探しているのとは別物の可能性が高い。まだ先がある。進んでみようぜ」
「ちょっ……おい!」
「あ、壇くん―――七代くん、わたしたちも行ってみよう」
「〜〜〜〜ッ!! 行くんなら俺が先頭だって言ってるだろ!」

 三枚の札をポケットに突っ込んで俺は二人を追いかけた。





「ここは、底……あるよな?」
「俺に聞くなよ。お前の方が詳しいんだろ?」
「詳しいって言っても別に地図なんか持ってねえよ。ハア……跳ぶしかないのか」

 さっきの区画から奥へ行けそうな扉(二つのうち、一つは開かなかった)を開けたら、試験では因幡の白兎よろしく跳んで移動したのと似たような光景が広がっていた。先にはまた奥へ通じる扉が見えていたが、単純に前へ跳ぶだけでは行けそうにもない。
跳べそうなところを探して地道に行くか。

「じゃあ、俺が先に……穂坂、大丈夫か?」
「が…、がんばるねッ!」

 ほ、本当に大丈夫かな。そういや、さっきもロープ下りるのも大変そうだったけど。
 なるべく楽な道を選んであげないとな、と俺はまず目の前の足場に向かって跳んだ。

「うん。穂坂、俺の真似して思いっきり跳んで」
「わかった……。……えいッ!」

 深呼吸をした穂坂が跳ぶ。が、少し危うくて、俺は穂坂の手を掴んで少し引っ張ってしまった。穂坂の足がちゃんと足場に着いたのを見て、俺と壇がそろって安堵すると「ご、ごめんね」と穂坂が申し訳なさそうに言ったから頭を振った。

「いや、こっちこそ。ちゃんと穂坂は跳べてたのに」
「ううん。ありがと、七代くん。運動靴履いてくればよかったな…失敗」
「……なら、今から帰っても」
「帰らないよっ……だって、七代くんは先に進むんでしょう?」
「それはそうなんだけど、さ」
「おい、跳ぶぞ―――ッと」

 壇が跳んで来たのを見て、次の足場に跳んだ。
 先がつっかえるんだと壇に押されるようにいくつか跳んで行った先で、難所にぶつかった。

 ぶつかったのはもちろん、俺ではなく穂坂だ。それまでの二倍は必要なジャンプの距離に穂坂の顔が少し強張っている。俺はなるべく腕を伸ばしながら穂坂に言った。

「下は見ずに真っ直ぐ跳ぶんだ」
「うん…」
「穂坂のタイミングでいいから」
「………ふう、……――えいッ!! っわ、あ!」
「穂坂ッ!」
「手を―――!!」

 やばい、足りない、と穂坂の手を掴んだ迄はよかった。が、俺はかかった重みに体勢が崩れ―――俺と穂坂は足場の下に落ちた。




拾壱