『ああ、それと、私らの声は坊にしか聞こえないでしょうからそのつもりで』 坊にしか、と言われてハッと気付いた。穂坂と壇を見ると、二人とも怪訝な顔で俺を見ている。 やっちまった、と血の気が引きそうになったのを、『七代さま、ふぁいとなのです〜』という気の抜けるような鈴の声で「あ、ははは…」と乾いた声が口から出た。 「……七代くん?」 「……大丈夫か?」 「え、あ。うん。悪い」 「ケンさん、とか言ってなかったか。お前」 「ああ……それ。…それ……あー、あッ。俺の携帯電話の名前。ほら最近のケータイのCMで出ている俳優さんがカッコイイだろ。それで真似したくなったんだよなー」 「あ、それ、最近やってるCMだよね。携帯電話を人に見立ててるの」 「そうそう」 携帯電話を指差す俺に「七代くんは物を大事にする人なんだね」と穂坂は好意的に解釈してくれた。ついでにおそるおそる俺は壇の方を見ると、じとっとした半眼でこちらを見ている。 「……まァ、無理もねェか。東京のど真ん中に、こんなもんがあるってんだからな」 「若干、哀れみを含んだ目で見るなッ!」 苦しい言い訳ぐらいわかっとるわ! 「ここまで来たんだ。もう少し奥へ行ってみようぜ」 「でも、扉が……三つあるね」 「左にある扉に行こう」 「なんでだ?」 壇の問に、俺は荷物から籠手を取り出してグローブをはめている右手に装着しながら三つの扉を凝らして見てみる。鍵さんが言った左の扉以外は、鎖のようなものが巻きついているように見える。俺は「他が開かなさそうだから」と言ってパチンコの柄をベルトに引っかけた。 壇は「そうなのか?」と右と中央にある扉に向かって開けようとしたが開かなかった。そして戻ってくる壇をしり目に俺はこれから向かう扉のそばにある堂を見た。あの封念の神鏡が祀られている――なら、隠人との戦闘も視野に入れるべきだ。 鍵さんが言うように俺の「求めるもの」があるのなら、そこには危険が待っている。 「で、そっちは開くってか」 「多分な。…で、さっきもそうだけど、俺が先に行く」 俺は二人に背を向けて扉を押した。 なかに入ると、いきなり戦闘――ということはなく、細い一本道が奥に続いていた。なんだかこの一本道から始まるのかと思うと、武藤と雉明のことを思い出す。つい昨日のことなのに随分時間が経ったような気持ちだ。って、何の感傷だ。ホームシックか。 突っ込みをしつつ次なる扉を開けると、そこには高い天井の広い区画だけではなく、紅葉が並木のように並んでいた。 「なんだ、これ…」 「わあ。すごいね…紅葉が綺麗…」 「すげェな…こんな景色見た事ねェぜ。ここ…學園の地下だろ?」 ハラハラと散る紅葉は赤く色づいていて、しかし壇の言うように地下であり得るはずのない光景だ。俺も呆気にとられてしまう。だが、区画の向こうには扉が見えているので先に進むしかない。 そして一歩を踏み出したとき、『――坊』と鍵さんの声が聞こえたかと思うと、ずずずっと地面から隠人が現れた。 試験のときに見慣れたコウモリ型の隠人と、まさに土人形といった風体の隠人が数体。 『おっと、隠人が出やしたね』 「出るのが早い、なッ」 パチンコを腰から引き抜いてすぐさまコウモリの鼻面を狙う。 ピギッっと悲鳴を上げて消滅するのを確かめて、土人形の何処を狙うべきか迷うと、隠人は太い腕を振り上げて岩と言えそうな石を投げてきた。 避け―― 「きゃあっ!」 「!!」 避けたら二人に当る! 逃げるのを止めて、頭と胸を腕でガードするとドッと鈍い音が腕に響いた。少しでも迷ったら二人が怪我をする。とにかく何処かを狙えば弱点に当って、二人が巻き込まれる可能性は低くなる。俺は手当たり次第に弱点っぽそうな場所を当てて行くと、頭部に収められている発光した目玉に当たった瞬間、がくんっと動きが鈍るのが見えた。 『おっと、そこが弱いようだ』 鍵さんの声を受けて俺が目玉に集中砲火すると、隠人たちは土くれへと還って行った。 はあ、と溜息を吐いた俺の後ろで穂坂が胸をなでおろす。 「ふう〜……。すごかったね、いまの……。地面から出て来たけど……あれって一体、何なんだろう」 「想像もつかねェな……。けど、こんなんが地下にうようよしてるとなると、飛坂の言ってた事もあながち間違いじゃないかもしれねェ」 「それってもしかして……焼却炉が取り壊されない本当の理由、ってこと?」 「それどころかこの學園自体が建て替えられない理由だったりしてな。けど、それより何より俺が一番気になってんのは、―――七代、お前だよ」 壇の言葉に俺は振り返る。 「転校初日にこんなとこまで来て妙な化け物ともやりあったってのに、取り乱す様子もねェ。お前は、一体―――」と壇の目が段々と厳しくなっていく。一体、それにどう答えるべきか、戸惑うと足元に小さな振動が着始め、それが胎動のようにどんっと大きく揺れた。 「なんだッ!?」 「おわッ!!」 「じ、地震!?」 大きな揺れに立っていれなくなった俺達は壁に手をついてしまう。 一体何だってんだ、と振動に耐えていると『この気配……。坊、大きな力が二つ、急速に浮上してきやす』と鍵さんが声をかけてきたが、舌を噛みかねないこの状況では俺は鍵さんの声を聞くのに精一杯だ。 『この力の波動は……まさかッ―――!!』 キィイィィ―――ン 耳鳴りがするほどの劈く音と、足元から洪水のように溢れる光の束。 それが燈治と弥紀の二人を取り囲んで、包み込んだ。そして光の粒子は、燈治と弥紀の右手に集まると四角く形を縁取り、最後には札のようなものが張り付いていた。 「痛ッ―――!!」 「壇ッ! 穂坂ッ!!」 すぐさま駆け寄ると、二人は右手を押さえて苦悶の表情を浮かべていた。 「な……に……? 力が……抜けちゃう……」 「くっそ……何だか知らねえェが、こいつはやべェな……」 「今、剥がして―――ッう…!」 まず傍にいた壇の右手に貼られた札を剥がそうとした指先に鋭い痛みが走った。 てのひらを見れば、火傷を負ったように皮膚が焦げていた。まるで熱されすぎた鉄板を触ったかのような痛みだったが、俺は再び壇の右手の札を剥がそうとした。しかし、てのひらに広がる痛みしかなく、いっこうに剥がせない。 「何してんだ、七代!! お前は早く逃げろ!!」 「七代くん! 早く……。七代くんだけでも……逃げて……!!」 「馬鹿言うなッ。くそッ、取れねえ!」 『坊、これが人間がカミフダと呼ぶものです。カミフダは身近な生命に取り憑き、時に人智を超えた力を持つ者を生み出しやす。ですが人ならざる力を得た者はいずれは理性を失い隠人となる宿命……。しかもあの札は……。お二人には可哀想だが、いまの坊には荷が重い。……お逃げなさい、坊』 「んなこと俺にしろって言うのか!」 鍵さんの言葉にそう怒鳴り返した。 今ここでカミフダの存在を知っているのは俺だけで、二人はただ巻き込まれただけの――友達だ。 冗談じゃない。 雉明の腕を放してしまった。 武藤を泣かせてしまった。 あんな思いは二度としたくなんかない。 『でないとあなたまで―――』 ―――力が欲しいか? 諭すように言った鍵さんの声が、ふいに聞こえた声に掻き消えた。 ―――力が欲しいか? 秘法たる瞳を持つ者、尊き血脈に連なる者よ。 すべてが遠のいたように静まり、声だけが脳に届く。 それは、少女のような声なのに何処か高圧的な響き。 ――力が欲しくば、我を手にするがよい。さあ――― 声に導かれて、俺は手を伸ばした。 →拾 |