1st-06 | ナノ

第壱話 六


 穂坂と別れてから、すぐに壇とも別れて俺は教室に戻って鞄を取りに言った。壇はもともと放課後から顔を出していたため、鞄など持っていなかったから帰っただろうと思っていた。しかし校門に出ると、「よう」と声をかけられた。

 校門に背中を預けて立っている壇がいた。

 その場のノリで俺も「よう」と片手を上げて返事をするとものすごく変なものを見るような顔をされる。まあ、硬式のテニスボールを投げた奴の挨拶じゃないかとも思うが、そもそも声をかけてきたのが壇なので俺からは何も言うつもりはない。壇は顔をしかめていたが、ハアと溜息をつくと「おい、七代。ちょっと携帯出せ」と手を出された。

 ぎくうッ。

 そのときの俺に擬音語をつけるならまさにそれだろう。
 一歩ぐらい引いてしまったかもしれない。そんな俺の態度に壇は眼を細める。

「へェ……そうかいそうかい。それじゃ、力尽くでいかせてもらう―――ぜッ」
「あっ、おい!」
「…………。あー……えーっと、こんなんでよかったか? お、来た来た―――ほらよ」

 ぽいっと携帯電話を返された――ん、何したの、お前。
 ディスプレイを見ると、そこには「壇 燈治」という名前がある。な、なんだよ驚かせやがって。思いっきり、伊佐地センセとかのメールを確認されるかと思ったじゃねーか。つか、あの時、連絡先の交換しとけばよかった話だろうに、と思うと目の前の男が恨めしい。余計な反応をしてしまったという自覚のせいだ。

 そんな俺とは裏腹に壇は一仕事終えたようなすっきりとした顔で「よし、これでいつでも連絡とれるな」と言いやがる。

「なァ、七代。お前、さっきのどう思う?」
「あ? 何、お前がツンデレかどうかについてか?」
「何の話だよッ! じゃなくて、あの、白い奴の正体だよ」

 壇の拳を避けたときも、俺が投げたボールを避けたときも、吊るすような紐の存在はなかった。そして、決定的なのは焼却炉に吸い込まれるようにして消えていたこと。明らかに人の悪戯などではない。

「……霊、だったんじゃないのか」
「おいおい、本気で言ってんのか? ……まァ、信じちゃいねェがそうじゃないっていう確かな証拠もねェか」

 俺の答えには不満があるらしい。
 まあ、あれを霊だとは本気で思っていないが、だとしてそれを一般人の壇や穂坂、飛坂に言っていいことではない。これで引いてくれると楽なんだけどな、と俺が携帯電話を弄っていると電子音が鳴った。

「ッたく、珍しく飛坂に感謝したい気分だ。こんな面白ェ事に巻き込んでもらったんだからな。……俺はな、七代」

 メールを確かめる前に壇の顔を見ると、初めて窓際で会ったときの、あの探るような眼をしていた。

「こういうのははっきりさせねェと気が済まねェ性質(タチ)でよ。ま、お前がどうかは知らねェけどな。じゃあ、七代。また―――後でな」
「…!?」

 おい、どういう意味だ、と聞く前に壇はさっさと背を向けて行ってしまった。
 残された俺は呼び止める術もなく見送るしかない。全く、初日からどうなってんだ、この學園。勘の鋭い奴やら頭の回転が速い奴らばかりが揃っていやがる。そんな愚痴をこぼしながら俺はメールを開いた。





受信日:10月18日
件名:任務中の滞在場所について※部外秘※
送信者:【NDL収特課】

伊佐地だ。連絡が遅れてすまん。
先方となかなか連絡が付かなくてな。

任務中の滞在先となる鴉羽神社に荷物を送っておいた。
神主は収集特務課の協力員だから安心していい。
学校が終わったら一度足を運んでおくといいだろう。

以上だ。
しっかりな。





 鴉羽神社は、鴉乃杜學園に通じる大通りの北から少し外れたところにあった。
 建物が密集していた場所から割と静かな中央公園の傍というせいなのか、夕方なのに人通りは多くない道にひっそりとその神社はあった。参拝客が一人もいない鴉羽神社は「廃れている」とも言いそうだが、逆に神域と言われる静かで厳かな雰囲気が伝わる。たぶん、ここの神主の手入れがいいんだろう。

 とりあえず鳥居をくぐって伊佐地センセの言っていた協力員――神主を探そうとして初めて人に気付いた。
 その境内にある狛犬の像の傍にいた少女は手毬で遊んでいた。ただし、見た目は普通の少女とはかけ離れていた。暗緑色の着物に、束ねられた長い穂波のような色の髪。なによりその頭にはリボンかと思ったが獣の耳らしきものが生えている。少女は俺になど気付かずに、鈴の音のような声で「てんてんてんてんてんてん手まり〜」と歌っている。

「てんてんてんまりどこ飛んでっ――」
「あ…」

 ポーンと少女の手から飛んで行った手毬が俺の足元にまで転がってくる。それを拾って少女に渡そうと向き合ったら、瞠目していた彼女はピクンと耳をはねさせたかと思うと、「はわわわわ」と慌てて狛犬の像の後ろに隠れてしまった。
 俺はその様子がなんだか可愛いと純粋に思って、なるべく怖がらせないように少女の傍に寄った。ピクピクと耳を欹てて困った表情を見せた少女に、「これ」と渡すと怖々ながら受け取ってくれた。

「はわ……。…………。ああああの、も、もしかして、すずのこと、見えてるですか?」
「あー、うん。見えてる」
「え、えと……あわわわわわ……」

 再びあたふたし始めた少女は下駄でとてとてと狛犬の反対側にある狐の像に近寄った。

「鍵さん〜、鍵さん、大変なのです。見えるひとが来てるのです。すず、見られてしまったのです〜」と狐の像に言う少女に、シャンッと鈴の音が響いたかと思うと狐の像がうすく笑って「はいはい。そりゃあ見えるでしょうよ。なんてったって、秘法眼持ちでしょうからねェ」と言ったかと思うと、ぬうっと狐の像から着流し姿の男が現れた。その頭には少女よりピンと尖った耳が鎮座している。
 手に持った鍵のような形の煙管をふかした男は、ちゃんと開いているのかも怪しげな細長いで俺を見ると「おやあ、これまた随分とお若い封札師だ」と近付いてきた。その背に隠れるようにして少女も俺を見上げる。

「で、御名はなんとおっしゃる?」

 その問に名乗ると、細面の男は「七代千馗殿…」と舌で転がすように繰り返す。

「ふふ、見ず知らずのこんな妖しい者に真名を明かされるとは剛毅な人だ。とはいえ、ここは神域ですから悪さをするような不届き者はおりませんがね。私ァ、ここの神使(しんし)で鍵と申しやす」

「で、こっちは―――」と鍵が自分の後ろに隠れている少女を紹介する前に「すずなのです。すずはこの神社を護る狛犬なのです」とそれまでとは打って変わって明るい表情で少女、鈴は名乗った。今の鈴には尻尾はないが、あるとしたらふさふさとした尾を振っているかもしれない。

「ぬしさまは封札師さまだったですね。それなら納得なのです」
「私らはこの鴉羽神社の神前守護を務める存在でしてね。まあ本当はおいそれと人の目に触れるものじゃあないんですが、秘法眼をお持ちの方には、どうにも気取られてしまうようです。坊がこちらにしばらく滞在されることは旦那から―――ああ、ここの神主殿から聞いていやすよ」
「じゃあ、その神主さんも秘法眼が?」

 俺の問いに鍵は「いえいえ」と着流しから出した手をひらひらと振った。

「私らが勝手に聞かせていただいたってェだけでして。旦那には私らの姿は見ていただけないようですからね。おっと、噂をすれば主のお帰りだ」

 ほら、と視線が向かう先を見ると、首に手ぬぐいを巻いて、甚平を着た咥え煙草の男が階段を上って現れた。この人が神主なのか?

 お世辞にも柄が言いようには見えないんだが、という俺の心の声が聞こえているのか「クスクス」と鍵の笑い声が聞こえる。それに対して鈴は「おかえりなさいなのです〜」と男の帰りを歓迎していたが、男は俺だけに眼を向けて、「おう、どうした坊主。こんなとこに突っ立って」と言った。

 …見えていないってのは本当なんだな。

「信心深いなァいいが、若ェうちから何でも神頼みってのは感心しねェぞ」
「ああ…いや、俺は」
「ん……? その手袋……まさか―――封札師か?」
「はい。要請を受け、派遣されました。七代千馗です。任務の間ですが、今日からお世話になります」
「…………」

 咥えていた煙草は外した神主は、じっと俺を見ていること数秒。
 やがて煙草をまた口に咥えると「ちッ、伊佐地のガキが」と悪態を吐いた。

「こんな年端もいかねェのを寄越しやがって」

 そこで誰もその時、出動できる奴がいなかったからだとか言い訳がましい言葉が口から出そうになったが、任務を任されたとはいえ、俺は新米の封札師だ。上司の伊佐地センセの判断を否定するようなことは言えない。まあ、まさかまだ高校生の封札師が送られてくるなんて思わなかったんだろう。

 協力員としてはちゃんとした封札師が来るのを期待して要請していたのだろう。神主は苦々しい表情で溜息をつくと「羽鳥清司郎。この神社の神主だ」と名乗った。

「母屋にお前さんの部屋を用意してある。仕事が済むまで好きに使え。出入りは好きにしろ」
「はい」
「ただし―――ウチの娘は何も知らない。カミフダの事も、隠人の事も、封札師の事も、―――何もかもな。アイツに余計な事は言うな」

 神主は協力員。
 普通に暮らしている分にはそんなカミフダとかに触れる機会なんてそうそうない。
 なるべくなら知られたくないと思う気持ちは、今日散々と俺も経験した。