1-4 | ナノ

――4

 ラウンジで愛読誌を読んでいた美鶴は、玄関の扉が開いた音に顔を上げた。予想通り、転入生である真宵が扉から顔を出してなかに入った。

「君か。おかえり」
「あ、はい。ただいま」
「……随分遅かったようだが、道にでも迷ったか?」

 時間を見ると放課後から帰ったとしてかなり遅い時間だった。窓から見える空も、群青を帯はじめている。

「いえ、ただ寄り道していて」
「寄り道?」
「バイト先を探していたんです。なるべく早く目に見つけておきたくて」

 そういえば彼女は両親を事故で亡くしていたな、と美鶴は真宵の個人情報をあらかた調べたもののなかでそう記されていたのを思い出した。その事故が「10年前」「レインボーブリッジでトラック追突の大規模事故」とも書かれていたことに、美鶴の胸のうちに暗い影が落ちる。

「…そうか。なら、君がすぐに働けるよう私の方から理事長に話しておこう」

 しいて言えば罪悪感から出た言葉だったが、嘘も方便。実際に学校からの許可は条件があるものの以前からある。ただ美鶴から理事長に話すなどというのは異例だ――真宵は驚いた顔をすると「えっ!? そんな理事長とか!」と首を振ったが、

「気にすることはない。寮長が、寮の責任者である理事長に話すだけだ」
「…はい。ありがとうございます」

 真宵は頷いた。
 穏やかだが有無を言わさぬ声に圧された。そんな真宵と、無自覚の美鶴をカウンターキッチンの方からゆかりが半ば呆れて見ているなど二人は気付かない。
 そして、理解のいい後輩で良かったなどと思っている美鶴は、それと、と言葉を区切った。

「最近は物騒になってきている。夜に外を出歩くのは控えてほしい。…まあ、それより今日は初日だ、色々あって疲れただろう。ゆっくりと休んでくれ」
「それじゃあ、お先に失礼します」

 ああ、と美鶴は返事して読んでいた雑誌に再び目を落としたが、胸中はそれと関係ないことに捕われていて内容が入ってこない。それはゆかりも同じだったらしく、足音が去っていくと「桐条先輩」と声をかけられた。
 気まずそうな表情から、美鶴はすまない、と謝罪を口にした。

「無理を強いているな」
「…本当にするんですか?」
「やり方はフェアじゃないが……事は迅速に、だが慎重に進めなければいけない。君の話からしても、彼女に適性があると考えて問題はないだろう」

 そうは言っても、ゆかりの話だけでは決めていない。美鶴が確かめたのはほんの数秒のことだったが、美鶴のなかのペルソナ――直感がそうだと告げていた。
 今までの勧誘も最終的には「ただ一人の自然獲得者」だった美鶴の判断が大きかった。

「そうですけど。……。別に反対してるわけじゃないんです。幾月さんもOK出したんですよね?」
「ああ。もしもの場合は私の判断によるものだ。君は心配しなくていい」
「……はい」

 そう答えたゆかりの表情を美鶴はこの時、見向きもせず、ただ答えに満足して時を待った。




「ちょっと、出てくる」
「…ん?」

 上階から下りてきた少年、真田に美鶴は整理していた書類の手を止めた。時刻は間もなく午前0時を迎えようとしている。
 信用していないわけではなかったが、万が一に真宵が下りて寮から出られては困るため、美鶴はあれからラウンジにいた。淹れたてだったはずの紅茶も湯気なく、冷えている。

「もうそんな時間か」
「気づいてるか? …ここのところの新聞記事」

 シックな黒の革手袋をはめる真田。腕には腕章がついていた。

「…ああ。それまで普通だった者が、ある日を境に、急に口も聞けない程の無気力症に陥る…。最近、流行りらしいな――記事ではストレス性という事で片付けられてるが…」
「そんな訳あるか。絶対“ヤツら”の仕業だ」

 真田の顔を見ると、薄い色素の瞳が爛々と輝いている。それだけならまだしも「…でなきゃ、面白くない」と明け透けだ。
 玄関の扉を開ける真田に美鶴は言う。

「相変わらずだな…1人で大丈夫か?」

 幾度かかけたことのある言葉。しかし真田は「相変わらず」不遜な態度で「なに、心配ない」と拒否をする。

「トレーニングのついでだ」

 そう言って出て行った真田を嗜める声はない。一年半前までは、あの背中は一つではなかった。

「まったく、明彦のやつ…遊びじゃないんだぞ…」


****


 最近物騒って…そうなのかな、と真宵は昨日美鶴に言われたことを思い出して考えた。
 バイト探しは一先ず優先事項である真宵は、面接などには行かなかったものの、今日も探していた。昨日は巌戸台駅周辺を探したがなさそうなのでポートアイランドをうろついていた。

 その限りで、真宵の目には治安がひどく悪そうには見えなかったのだ。途中、ポートアイランドで同級生だという月光館学園の男子生徒たちに「夜、歓迎会の意味で、カラオケなんてどう?」と誘われるくらいには月光館学園の生徒で賑わっていた(誘いには、寮の門限があるから無理とやんわり断ってしまったが)。
 巌戸台分寮だって、真宵の確認した限りでは部屋が12もあるのに、寮生はゆかりと美鶴しか会っていない。なんとも不思議な寮に一時とはいえ入ったんだなあ、と真宵は寮の扉を開けた。

「ただいまー」
「あ、帰ってきました」
「なるほど…彼女か」

ラウンジに帰宅していたゆかりと、見知らぬ男がソファに座っていた。長い髪を後ろになでつけ、カーキ色のジャケットを来た男は、真宵を見ると「うんうん」と人好きのしそうな笑みを眼鏡の奥で浮かべた。

「やあ、こんばんは。私は、幾月修司。君らの学園の理事長をしている者だ」

 理事長、と言われて真宵はポカンと見るしかない。始業式のとき、カーネル・サンダーソンの親戚みたいな校長がインパクトに残っていて目の前にいる幾月の顔は覚えていなかった。

「イ・ク・ツ・キ。…言いにくいだろ? おかげで自己紹介はどうも苦手だよ。油断すると、噛みかねん…」
「は…はあ…」

 対応に困った真宵に「まあ、座って」と勧める幾月の言葉に甘える。

「さて、この間はとんだ災難だったね。それに、部屋割りが間に合わなくて、申し訳なかったね。正式が割り当てが決まるまで、まだ少しかかりそうだ」

 入寮した翌日、とまでは行かなくても早めに転寮を望んだ真宵は「君の予定していた部屋で電気系統のトラブルがあったみたいだ。部屋割りを再編するのにも、しばらく時間がかかるらしい」と美鶴から言われていた。

「さてと。何か訊いておきたい事はあるかい?」
「あの。失礼ですけど……なんで理事長が、ココへ?」
「なぜって…君を迎えるためさ。ダメかい?」

 生徒一人に? この寮の責任者が幾月だからだろうか。

「…あ、岳羽君。そう言えば、桐条君は?」
「ハイ、もう上に」
「いつもながらマジメだねぇ。顔くらい出せばいいのに。そうそう、この寮の住人は、君も含めて4人だ。ここに居る岳羽君と、それから桐条君……あと、3年生の男子で真田明彦君という生徒が居る。ひとつ、仲良くね」
「はい」
「他に質問はあるかい?」
「……。特にありません」

 思い切ってこの寮には何かあるんですかと問いたかったが、真宵は首を振った。その答えに「よろしい。じゃあ、よい学園生活を」と幾月は言うと立ち上がった。

「私はそろそろ失礼するよ」

 本当に自分に会うために来たのかとここで真宵は驚いたが、また口にはしない。

「転入したては色々と疲れるだろ? 早めに休むといいよ。身体なんて、ぐーぐー寝てナンボだからね。昔、マンガであったろう? “グーグーナンボ”? なんちゃって」
「……」
「……。……えと」

 どうしよう、分からない。
 ギャグに反応しきれない真宵にポツリとゆかりが「ごめんね…」と呟いたのがいやにハッキリと聞こえた。


****




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