不思議な夜を経験した翌朝、真宵はゆかりに連れられて月光館学園を目指していた。正直、地図頼りでは時間がかかるかもしれないと思っていたところだったから、ゆかりの誘いは嬉しかった。 10年前には住んでいたとはいえ、街の様子はおぼろ気な真宵の記憶とは所々離れてしまっていた。例えば、モノレールで学校に通うなんてまず考えつかなかった。 巌戸台駅から出発したモノレール内は、真宵と同じ制服を着た生徒たちや通勤に利用している大人、観光客風の若者で割とごった返していた。カーブにさしかかったところで、吊り革を握っていた身体が少し辛くなった。 「今日はさすがに混んでるか」 「よく利用するの?」 「私、弓道部で春休みも顔を出してたから。あ、私は慣れちゃったけど、日暮さん、通学にこれ使うの珍しいでしょ?」 素直に頷くと、ゆかりは「だよね。私も最初、珍しくて驚いたんだ」と嬉しそうに言うと、「あ、これ見て」と窓の先を指差した。地図によれば、駅から出たあと、海沿いに緩やかなカーブを描いてモノレールは月光館学園まで伸びている。丁度、モノレールはそのカーブを走っていて、外の風景を遮る建物は何もない。 「特にココ、海の上進むみたいな感じで好きなんだ」 「うん、キレイ」 本当に海の上を走っているみたいだ。朝日でキラキラと光が海面を踊っている。 「あ、学校があるのは、終点の“辰巳ポートアイランド”って駅ね。聞いたことない? 辰巳ポートアイランド。人工島の真ん中に、うちの学校があるの――あ、ほら、見えてきた」 海を抜けてまた建物が並ぶ。 巌戸台の昔を残した街並みと比べて整備された、まさに「人工島」と呼ぶに相応しい風景が広がる。その遠くには真っ直ぐに伸びるムーンライト・ブリッジが白く輝いていた。 月光館学園は真宵の想像を遥かに超えたマンモス校だった。辰巳ポートアイランド駅から歩きながら遠目から見える学校に驚いていたが、正門にたどり着くと玄関まで色鮮やかな花壇や盛りを迎えた桜が並木になっている。 改めて本当に自分がこんな学校に転入してよかったのかわからなくなる。前に通っていた学校のクラスメイトから「えー! あの月光館に入るの!?」と驚かれたときは他人事のように頷いたが、実感が伴うと少し緊張する。 「おはよー!」 「おはよう! さ、着いたよ」 ゆかりが真宵を見る。 「ここが月光館学園の高等部。よろしくね」 朗らかに、笑みを浮かべて言うゆかり。真宵はゆかりと同じようになれるだろうか、と密かな不安と期待を募らせながら、よろしく、と笑顔で応えた。 玄関に入ると当たり前だが、生徒がそこかしこにいる。なかにはこの後に始業式が控えているはずなのにジャージ姿の男子もいた(すぐそばにいる女子に怒られているようだったが)。 持ってきた上履きに履き替えた真宵に「ここからは1人で大丈夫だよね」と、すでに履き終えたゆかりが訊ねる。 「うん、案内図もあるし」 「そっか。…えーと…まず先生にあいさつか。職員室は、この先を左に入ってすぐだから、詳しい事はそこでね。…以上、ナビでした」 と最後は少し茶化すようにゆかりが言う。 「何か、分からない事とかある?」 「ううん、大丈夫。最高のナビゲーターだったよ」 「大袈裟だってば」 ゆかりを真似て言ってみたつもりだったのだが、本人を照れさせてしまったらしい。気をつけよう、と真宵はナビをされたように職員室に向かおうとすると「日暮さん」とゆかりに呼ばれた。 「あのさ…」 まるで昨夜に戻ったかのようだ。今までの明るさは潜まり、少し強張った表情のゆかりがいる。 「昨日の夜、その…色々見たでしょ? あれ、他の人には言わないでね」 「え…」 「…じゃあね」 色々って何? そんな質問をする間もなく、ゆかりは人集りに紛れるように行ってしまった。 転校初日は例外なく疲れる。 当たり前だが、周囲は知らない人ばかりだし、授業の進み具合だって場合によっては差が激しい。この学校は進学校と聞いていたが、生徒の自主性に因るところが大きいらしい。 今朝、見かけた兜を被って教師は「政宗公への道のりは遠いなァ…」とボヤいていたり、アフロヘアーが印象的な教師は「数字って、かっっわいいよね〜」という出だしからチャイムが鳴るまで教科書を開くことはなかった。 チラホラ寝ている生徒を見かけたが、あれは春の陽気に当てられただけではないかもしれない――とにかく、無事に始業式と授業、そしてホームルームを終え、初めての放課後を迎えた真宵が感慨深く浸っていると「よっ、転校生!」と声をかけられた。油断しきっていた真宵が、ビクリと肩を跳ねさせて後ろを振り返ると頭に被ったキャップ帽子が目につく男子生徒が立っていた。 「何だよ、んなビックリすんなって」 「あ、ごめん。…えと、なにか用?」 「おいおい、自己紹介くらいさしてくれよ」 そう言って大きく肩を落とす。先を急ぎすぎたかな、と懸念したが、男子生徒はすぐに調子を取り戻して「オレは伊織順平。ジュンペーでいいぜ」と手を差し出す。手を握り返し、簡単な自己紹介をすると男子生徒、順平は「実はオレも、中2ん時、転校でココ来てさ」と話しはじめた。 「転校生って、色々と1人じゃ分かんねえじゃん? だから不安がってないかなってさ…」 「早速ね。本当にまったく、相変わらずだね…」 呆れた、というのがありありと浮かんだゆかりが順平を半眼で見やる。 「女の子と見りゃ、馴れ馴れしくしてさ。ちょっとは、相手のメーワクとか考えた方がいいよ?」 「な、なんだよ。ただ親切にしてるだけだって」 「ふうん。…なら、いいんだけど」 一応、納得、といった具合でゆかりが言葉の刃を納めると、順平は胸を撫で下ろす。そのやりとりは初めてではないのだろう、心得たものが感じられて真宵は笑った。 「二人とも仲がいいんだね」 「冗談。こいつとは腐れ縁ってヤツで……何笑ってんの」 「いや〜、オレらってそんな風に見えんのかなって、ぐはあッ!! 足がッ、足が変形する!」 下を見るとゆかりが順平の足先を踏んでいるのが見えた。グリグリと踏み潰しているから相当かもしれない。それが数秒と続いてゆかりが足を退けると、蹲って悶絶している順平を無視して真宵に笑いかけた。 「なんか、偶然だよね。同じクラスになるなんてさ」 「私もビックリしちゃった」 「はは、あなたも?」 「おいおい、オレだって同じクラスだぜ? 仲間に入れてくれよー」 「復活早……」 割り込むように入ってきた順平に向けるゆかりの目が若干冷たい。順平も「あの、ゆかりさん、その目は止めて…」と思わず懇願していた。 「てか、二人って知り合いかなんか? 初日から一緒に登校したって聞いてさー。レベル高いのが並んじゃって、ウワサのマトだったんだぜー?」 「ハァ…も、そういうのやめてよねー。噂、噂ってめんどくさいなあ。私はともかく、この子は転校したて何だよ? 色々言って可哀想とか思わないのかなー。てか、もうこんな時間……じゃ私、弓道部の用事あるから行くけど、順平、この子に手出したりしないでよ?」 ゆかりはそう言い残すとバタバタと教室を出て行った。 「あの方、保護者か何か…?」 「岳羽さんも順平と同じで親身ってことじゃないかな?」 「あっ、言っとっけど、マジでヤマシイつもりは無いからさ。でも、何か困ったこととかあったら、いつでも相談してくれよな!」 「ありがとね」 真宵の言葉に「おうっ、頼りにしてくれよな」と順平はニッと笑った。 **** →next |