2 | ナノ

――1

 放課後、下駄箱で遇った真宵と一緒にゆかりは帰路についていた。実はそれとなく美鶴に「君も忙しいだろうが、時間があれば彼女に気を遣ってやってほしい」と言われていたから、下駄箱で遇ったのは全くの偶然ではなかったが――不審に思われなくて良かった、という安堵感と後ろめたさが沸き上がる。

「……あ、えと。昨日はよく眠れた?」
「え? うん、寝つきはいい方だから」

 そう答えた真宵は一拍置くと、あはは、と笑った。どうしたの、とゆかりが訝しむと真宵は「気付いてないんだ」とおかしそうにゆかりを見る。

「だって、同じ質問を昨日の朝も言ってたから」
「え! あ、そうだっけ…」

 墓穴を掘った。

「岳羽さんって、心配性なお姉さんみたい。ありがとう」
「笑いながら、ありがとうって言われてもなあ」

 絶対にバレていないはずなのに、昨夜のことを本当に真宵が気付いていないのか。いや、意外に隣を歩く同級生は神経が図太いのかもしれない。
 ゆかりはほっとしたのだが、幾月と会ったときに影時間に関することは一切訊かなかった。うん、図太いってことにしよう。でなければ墓穴をまた掘りかねない。

「そういえば、寮のラウンジにキッチンあるけど、別棟の方にもあるんだよね」
「あ。そうそう、あそこって、前は寮母さんが居たんだけど、今は寮生だけなんだって。でもキッチンとか立派でしょ? 使わないのってもったいないよね?」

 うん、と頷く真宵にゆかりは、でもねえ、と嘆息する。

「私は料理とか上手くないし、桐条先輩もそういう事はしないし…」
「桐条先輩ってしないんだ?」
「まあ、あの人はそういうのやってくれる人いるし。料理よりもっと他に時間を割きたいんじゃないかな」




 例えば、こういうことに。
 帰り道に真宵と話していた内容を思い出しながら、ゆかりは今夜も作戦室のモニターを眺めていた。引き続き、美鶴と幾月がいる。真田は「そういうのはお前たちに任せる」と言って巡回に出てしまっていた。
 美鶴と二人よりはいい。だが、幾月は美鶴側だと仕様もない考えが付きまとっている。

「どうだい、様子は?」
「…昨夜と同じです」
「フムフム…やはり興味深いね、彼女は。たとえ影時間への適性があっても、初めはもっと不安定になるものだ。記憶が消えたり、混乱したりね」

 ということは、覚えていないがゆかりもそうだったらしい。中途半端に覚えているのも嫌だが、あまり取り乱さなかったことを祈ろう。幾月はモニターに映る真宵を見ながら「今までの誰とも違う。実に例外的なケースだよ」と喜色を含んだ声を上げた。
 そんな様子にゆかりはポツリと、

「でも、なんか…これじゃモルモットみたい」
「…そう言ってくれるな。彼女は、クラスメイトだそうじゃないか。同学年で、しかも女の子が仲間になったら、君も心強いだろう? 我々には、どうしても力が必要なんだよ」
「……。それは、分かってますけど…」

 ちらりと美鶴を見るが、幾月にもゆかりにも、何も言うことはないらしい。真面目にモニターを注視している。

「………」

 冗談半分でこんなことはして欲しくないが、それ一辺倒しかないのではないかと思えてしまう。

「……何も言うことはないの」

 誰にも聞えないように、ゆかりは呟いた。


****


「…?」

 今、ゆかりが言ったような気がして美鶴は顔を向けた。しかしゆかりは俯いていて表情すら伺えない。

 気のせいだったか。
 ゆかりは物怖じせずはっきりという後輩だ。何かあるなら言うだろう、と美鶴がモニターに今一度視線を向けようとしたとき、外からの緊急呼び出し音が作戦室に鳴り響いた。

「こちら、作戦室だ」
『…――… …  …』

 ノイズ音と一緒に小さな爆発音が混じる。美鶴は何かあったと察してもう一度声をかけた。

「…明彦か? どうした?」
『――… …、凄いヤツを見つけたっ! これまで、見た事もないヤツだ!!』

 え、というゆかりの声が上がる。この影時間に活動し、ましてや真田が興奮混じりに言葉発する相手――シャドウだ。大抵のシャドウならねじ伏せる真田がわざわざ通信をしてきたなら、援護が必要だ。

「わかった。増援に向かう。場所は…」
『いや、必要ない』

 美鶴たちはそろって同じような顔をしたに違いない。だが真田の言った意味がすぐに分かる。

『あいにく追われててな…。もうすぐそっちに着くから、一応、知らせておく』
「! おいッ、明彦!」

 ブチン、と通信が途絶える。
 美鶴も普段は低くない沸点が下がった気がするほど、真田に対する悪態を心のなかで吐いた。まるで、一般家庭にあるような友達を家に呼ぶようなノリだ。

「それ…ヤツらが、ここに来るって事ですか!?」
「理事長!!」

 声を張り上げた美鶴に、幾月はビクリと肩を震わせた。まさか自分の気迫に圧されたとは、美鶴は露とも思っていない。

「今日の監視は、ひとまず、ここまでに。我々は、応戦の準備をします!!」
「…た、頼んだぞ!!」
「岳羽、君は…」

 彼女を、と言おうとしてモニターに真田が寮へ入ったのが映った。すぐにロックを掛けた美鶴は、真田がドアに背を預けたままずるずると崩れるのを見た。

「…ッ、とにかく明彦のところに向かうぞ!」
「はっ、はい!」

 作戦室から階段を駆けるようにして下りると、モニターで見たときとほぼ変わらぬ体勢で真田がいた。

「明彦ッ!」
「大丈夫だ」

 何が大丈夫だ、と美鶴が睨み付ける。真田は腹部を押さえ、額に脂汗をかいている。それのどこが大丈夫んだという美鶴の視線に耐えきれなくなったか、あるいは興奮冷めやらぬ状態だったのか、「それより、凄いのが来るぞ。見たら、きっと驚く」と言った。

「面白がっている場合か!」

 だが逆効果で美鶴を怒鳴らせてしまう。シャドウにも果敢な真田が、う、と一瞬怯むと、ゆかりと幾月が追い付いてきた。

「真田君、ヤツらなのか!?」
「はい。ただ、普通のヤツでは…」


 ドオォンッッ


「キャッ!!」

 何か巨大なものが突進したようだった。ドアがビリビリと揺れ、その場にいた全員が息をのんだ。何、という呟きは誰のだったのか、その声が合図となったようにドアに何かがぶつかる音。


 ドン

 ドン ドン

 ドンドンッ ドン ドン

 ドンッ ドオンッ ドン
  ドンドン ドッドッドッ
 ドンッ ドン ドン ドンッ


 大勢でドアを破るかのように叩く音が重なって反響して、ドアだけでなく建物が揺れる。

「なにこの揺れ…冗談でしょ!?」

 ゆかりの声に美鶴は、同じく顔を強ばらせている幾月を見る。そして美鶴の指示は早かった。

「理事長は、作戦室へ! 岳羽、君は上に居る彼女を起こして、裏から逃がすんだ!」
「えっ…先輩達は!?」
「ここで何としても食い止める。……明彦、連れて来たのはお前だ。責任は取ってもらうぞ」

 召喚器を取り出す。
 真田は痛むのだろう腹部を押さえ、美鶴の指示に「ヤツらの方が勝手について来たんだ! まったく…」と苦い顔をしているが拒否の言葉はない。美鶴が立たせると、真田は硬直しているゆかりを睨み付けて怒鳴った。

「何してる! 早く行け、岳羽!」
「わ、分かりましたっ!」

 金縛りが解けたようにゆかりは階段を駆け上がっていく。それを見送った美鶴は、真田に回復魔法をかける。

「応急処置だ。…作戦終了次第、すぐに病院へ行ってもらう。あと…説教相手も配備しておくからな」

 真田は嫌そうにしたが、負けることなど微塵も感じさせない言葉に「ああ」と召喚器を同じく取り出す。

 長い夜の始まりだった。



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