1st-02 | ナノ

第壱話 弐


 羽鳥先生の声がやけに遠のくなあ、と思ってたら俺は席に着いてすぐに寝てしまっていた。

 机にうつ伏せで寝るって肩とか色々凝るから嫌なんだが、身体の睡眠を欲している力はすごい。せいぜい数時間のことだったんだろうが、俺は大分スッキリとした気持ちで目覚めた。初日から寝るなんて我ながらいい度胸しているとは思う。
 とはいえ任務が最優先だしな、と先程届いたメールを確かめるために開けた。
 早速、伊佐地センセからのメールだった。





受信日:10月18日
件名:任務詳細※部外秘※
送信者:【NDL収特課】

伊佐地だ。
既に學園への潜入は成功しているものと思う。
お前の任務は學園内。あるいは近辺に潜伏していると思われるカミフダの回収だという事は承知しているな?

念のため言っておくが任務に際しカミフダの支給はない。
当然、法に触れるような火器銃刀の使用も推奨しない。
やむを得ない場合を除き、極力戦闘行為は避ける事だ。
隠人を生んでいるカミフダは一枚とは限らない。
情報を集めて速やかにカミフダを回収。
その後の回収任務に必要あれば手に入れたカミフダを使用する事を許可する。

以上だ。
頼んだぞ。





 一通り読んだ俺は携帯電話をしまう。
 どうみてもこの学校に複数枚のカミフダがあるようには思えないが――《鴉乃杜》という校名に何か意味があるならば、何か呪術的なものが関わっていないとは限らない。あの牧村先生が「歴史と伝統」のある学校と言っていたにも関わらず、この教室や建物を見る限り改築の手はそれほど進んでいない。

 《杜》は神社でいうと《鎮守の森》あるいは《御神木》を意味する。この学校自体が何かの《杜》なのか、護るべきそのものなのか。『情報を集めて速やかにカミフダを回収。』とメールに書かれていた以上、あとは自分で調査するしかないのか、と窓の外を眺めていると「七代くん」と声をかけられた。
 呼ばれた方を見ると俺の隣の席に座っている女生徒だった。何か用だろうかと言葉を待っているが、その女生徒は少し困ったような言いにくそうな顔をしていたから俺は、まさか、と焦った。

「ごめん!」
「えっ!?」
「昨日から転校する準備で忙しくてほとんど寝ていなかったんだ。そうだよな、隣で爆睡しているとか迷惑だったよな。ごめん、いびきしてた? 俺、いびきしてる自覚はなかったんだけど、一緒に暮らしていた人が酷いいびき持ちで……」

 とにかく次からは気を付けるから、と言おうとした俺に女生徒は「ふふっ」とおかしそうに笑った。
 あーいえ、笑ってくださる方がいいんですけど、何かおかしかっただろうか、と俺が戸惑っていると女生徒は「ご、ごめんねッ。違うの、そうじゃなくて」と言って、深呼吸をすると、

「あのッ、まだちゃんと自己紹介してなかったよね。わたし、穂坂弥紀って言います」
「自己紹介…?」
「うん。誤解させてごめんね…すごく緊張しちゃって」

 そう言った穂坂は「でも、七代くんのおかげで緊張がほぐれたよ」と微笑んだ。
 色素の薄いふわふわとした髪みたいに、穂坂の表情も声と同じように柔らかい。日本人の大和撫子、ここにあり、と感動してしまった。

「でも、本当に気持ちよさそうに寝ていたね。あっ、でもいびきとかしていなかったよ」
「あ、ははは…」
「いまからお昼休みだから購買のある食堂に案内するね」
「え、もう昼? …本当に爆睡していたんだな…」
「それで、その……よかったら一緒にごはん、食べよう?」
「え、マジで? 助かったあ! 何も食べてなくて腹減っていたんだ。ありがと、穂坂」

 空腹で唸りそうな腹をおさえながら俺は席から立ち上がる。
 そんな俺に「うんッ。食堂で買えるパンもお弁当もすっごく美味しいから楽しみにしててね」と穂坂は少し嬉しそうに言った。

「食堂の他にも行きたい場所があれば案内するから遠慮なく言ってね。それじゃあ、行こッ」





 穂坂に案内されて俺は空腹を満たした後は一応、残りの授業を真面目に受けることにした。
 午前の授業は穂坂のノートをコピーさせてもらっていた分、これ以上頼るのも悪いし、教師から悪目立ちすると後々にしわ寄せが来るかもしれない。そう思っていたのだが、学生時代のほとんどを叔父のフィールドワークに費やしていた頭はなかなか学業に向いてはくれず、放課後のチャイムが鳴った瞬間に俺はぐったりと机に沈んでしまった。

 駄目だ。適度に悪目立ちしないようにしよう。勉学では何ともならん。

 本日の授業が全て終わった教室では、生徒達が思い思いに散っていく。俺も本来ならこれからお世話になる居候先に挨拶に行くのが筋だが、まだその連絡先を伊佐地センセから貰っていないために身動きがとれない――なら、穂坂に案内してもらった図書室にでも行って情報集めをした方がいいかもしれない。

 昼間に貰った教科書の山を適当に机に入れたり、鞄につめていると「壇くん……結局今日は来なかったなあ。最近は割と毎日来るようになってたのに……」と穂坂が残念そうな声を出して俺の後ろの席を見ていた。そういや、後ろの席の奴はついぞ見かけなかったな。
 俺も何気なく後ろの席を見ていると穂坂が気付いた。

「あ、七代くんの後の席の男子なんだけどね。怖いって言う子もいるけどでも、すごくいい人だよ。なんとなくだけど、七代くんなら仲良くなれる気がするな」
「へえ…」

 アレ、なんだろ。このデジャ・ビュ。
 似たような事を言われた気がするんだけど。どこだっけ、と記憶を探っていると教室の扉が威勢よく開かれて「弥紀―、壇の馬鹿、来てる?」と女生徒が一人、穂坂の姿を見つけると近付いてきた。髪の毛を一本に結ったポニーテールの女生徒は眼鏡をしているが勝ち気そうな瞳がよくわかる。

 よくわからんがその壇とかいう男、目立つのなら似ているらしい俺には鬼門じゃないか?
 まだ見ぬ後ろの席の壇くんとやらに俺はのっけから好感度を落としていた。

「あ、巴。壇くんなら、今日はお休みみたいだよ」
「アイツめ……逃げたわね。馬鹿のくせに勘だけはいいんだから。朝、駅近くで見かけたって情報が入ってるから、学校には向かってたはず……」

 腰に手を当てた姿が妙に様になる。
 ふわふわとしている穂坂と、刺々しい雰囲気を放つ女生徒。
 性質は違うようだがなんとなくその場の雰囲気に違和感がないくらいに自然で、俺は今のうちに図書室に行くかと移動しやすいように貴重品だけポケットに入れて教室を出ようとすると、

「――あ。そうだ、転校生来たんだっけ」

 バチリと女生徒と眼が合う。
 それだけで女生徒はわかったらしい。

「ふ〜ん……。七代千馗って、アンタ?」

 上から下まで観察するように見られるのは今日一日で慣れたつもりだが、この女生徒の視線はそれとは違う、見定めるような眼だ。 う、こいつも鬼門か、と思いつつ自己紹介と簡単な挨拶をすると、キョトンとした表情を女生徒は見せて感心したように俺を見た。

「へェ。結構、しっかりしてんだ。うんうん。なかなかの好青年じゃない」
「どうも」
「あたしは飛坂巴。ここの生徒会長(ボス)ってヤツよ。まあ覚えておいて損は無いと思うから」

 ……ボス?
 え、何、生徒会長ってそういうもんだっけ。穂坂をちらりと見るがにこにこと俺達二人を見ているだけで、その言葉に特に気にする部分はないらしい。
 そのとき、電子音が鳴って、飛坂はポケットから携帯電話を取り出すと眼鏡の奥の瞳が光った。

「ん……来たわねッ。こちら本部(ビック・マム)。状況は?」
『はッ!! A班(アルファ)より、標的(ターゲット)発見の報告が入りました』

「…本部?」
「うん」
「……計り知れない学校だな」

「それで、目的地は?」
『そ、それが、勘付かれたようで見失ったらしく……』
「わかったわ。C班(チャーリー)、D班(デルタ)は引き続き通用門の警備。A班(アルファ)、B班(ブラボー)で作戦通りに包囲網を展開。逃すんじゃないわよ」

 最後の「逃すんじゃないわよ」が、鬼軍曹の目だ。
 そして飛坂の言葉に『了解(イエス・マム)!!』と携帯電話は一つなのに複数の男どもの声が重なって聞こえた。うん、下手な軍隊より怖いかもしんない。 そんな女将軍、飛坂は携帯電話の通話ボタンを切ると「それじゃもう行くわ」と俺達を見やる。

「二人とも、気をつけて早く帰りなさいよ」

 その不敵な笑みに穂坂は自分のクラスの生徒が標的になっていることが心配なのだろう、少し言いにくそうに「うん。ええと……頑張ってね、巴」とエールを送った。飛坂は「ありがと。じゃまたねッ」と片手を上げると慌ただしく教室を出て行った。