26-3 | ナノ

――3

 中間試験を二日前に控えた日曜日。
 集中して勉強をできる最後の二日だという認識が強いのか、ラウンジに居る人は日曜日だというのに少ない。そのなか試験勉強の息抜きにキッチンでつくった紅茶を、真宵はティーカップと一緒にお盆にのせて、ソファーに座っている美鶴たちに運んだ。

「よかったら飲みませんか?」
「ん? ああ…そうだな、もらおう」
「風花も天田くんも飲まない?」
「ありがとう、真宵ちゃん」
「いただきます。…あ、アイギスさんは?」
「アイギスはアイスティーの方がいいかなって思ったんだけど、こっちの方、飲んでみる?」

 確かアイギスはクールダウンの方が好きだと言っていたし、紅茶のような熱いものを身体に入れて大丈夫なのか真宵には見当もつかないので、つくった紅茶をいくらか冷やしている最中だ。一方問われたアイギスは「ある程度の熱さなら大丈夫です。水分ですから」と頷いた。

「そうだよね、アイスも紅茶も最後はお水みたいなものだし」
「ロボットって言っても、そういうところは普通に生活できるようになっているんですね。そうするとアイギスさんって人より記憶力いいなら、今度の中間試験は楽勝だったり…もしかしたら、ポロセッサフル稼働で瞬時に解答とか、変な伝説を作りそうな気もしますけど…」

 少し羨ましそうな天田の言葉にアイギスは「いいえ」と首を振った。

「わたしは人間の精神を実装する為、記憶領域もまた人間に近づけてあります。すなわち教科書を丸ごとメモリーに保存してカンニングするという行為は不可能です」
「そういえば、特化しているのは戦闘だって言ってたね」
「人に近付くっていうのを突き詰めるとそうなっていくんだね」
「はい。ですからご安心ください。正々堂々、当たって砕けるであります」
「…当って砕けるのはいいが、砕けるにしても勉強はしないとな」

 紅茶に口をつけた美鶴がそうアイギスに言う。
 真宵も風花も当事者であるため、そこは黙って学年一位の言葉はさすがに違うなあと思うしかない。

「アイギスもそうだが…日暮たちの方は、試験勉強はできているか?」
「大丈夫です。明日くらいはノート見返すだけでいいかなって…」
「私も、とりあえず。でも、明日も…一日中、勉強かな? 何て言っても試験前日ですから」
「そうか、二人とも引き続き頑張ってくれ。気持ちが不安定な時があっても、試験の前では、所詮言い訳だからな。この辺の現実など、何とも非常なものさ」

 美鶴の言葉は少し前に順平が言っていたことと似ていた。

 所詮は知らない他人なんかよりも自分のベンキョーってコトなのかね。何つーか薄情だけど、世間ってそんなモンかもな…

 現実はなんて薄情なんだと思っても、実際は、皆それを抱えて生きているのだろう。
 それが自分のなかでは消化しきれなくなったとき、自分と周囲との温度差をより感じてしまって、疎外感や理不尽を感じてしまう。誰かと同じものを共有している感覚は安心感がある。だから、誰にも言えない秘密や苦しさを抱えたとき、不安で辛いのかもしれない。

「あれ、なんだ、皆してよー。下に居るんじゃん。勉強してんのかねー、キミたち」
「お前がそれを言うのか? 俺が休憩で部屋を出る度に居るぞ?」
「やだなあ、真田先輩。偶然ですよ、グーゼン」
「ホントか…?」
「あ、順平、真田先輩。紅茶つくったんですけど、飲みますか?」
「あー…オレは紅茶とかわかんないからいいや」
「俺も遠慮する。牛乳を飲もうと思って下りてきただけだしな」

 んじゃ、俺も牛乳、とキッチンに向かう二人に「ぼ、僕も飲みます!」と天田が紅茶を一気に飲み干してついて行った。その様子にそれまで黙っていたコロマルも尻尾を振って行ってしまった。

「男性の皆さんは牛乳がお好きなようですね」
「あ、紅茶用のミルクの補充がなかったんですけど」
「それなら私の部屋にあるものを持って行こう。まだ余ってる」
「そういえばいつか先輩の部屋で飲んだ紅茶、すごく美味しかったです」

「げ…先輩、その粉っぽいのは…。わー!! 俺のには入れなくていいっスから!」
「何を言う。これを入れるのが一番いいんだぞ」
「そうなんですか…?」
「騙されんなよ、天田少年。あんなん入れたら牛乳が粉っぽくなるだろ! つか、真田先輩、そんなに入れたら喉に詰らないんスか…」

「……なんか持ってるなー、とは思ってたんですけど」
「プロテインだよね。あ、でもミルメークみたいなのかな」
「味ないよ、多分」
「あれは食物をダメにするどころか、味覚障害を起こすぞ」
「つまり真田さんは味オン……」
「アイギス、それは言っちゃダメ。あ、折角だからゆかりも呼ぼう」
「そうだね」


****


 悪夢の5日間を切りぬけた今夜、順平は新たに開いたというツイア――その奥に居た。
 ここでは教科書に並んでいる活字を睨んだり、試験当日の答案用紙にポカーンとする必要もない(週が明ければ結果が待っていることはこの際忘れたかった)。

 新たに現れた、巨大な頭と目玉が浮いている異様なシャドウ、デスサーチャーが塵に消えたのを確認してフロアを再び探索し始めた順平は、ハア、と溜息をついた。それを少し前で歩いていたゆかりが振り向く。

「何よ、その溜息」
「やっと試験が終わったってのに、気持ちがスッキリしねーんだよな…」
「まあ、ね……何か解放感とか、いつもより薄くない?」

 ゆかりが隣を歩く真宵に声をかけると、その言葉に「そうだね」と答えた。
 そんな真宵が、順平やゆかりたちと同じように感じているのか少し疑問に思った。中間試験が始まる少し前に順平は周囲とのズレに対して割り切れない思いを口にしたことがある。それはメンバー以外には伝わらない気持ちを共有したかったのが大きかった。

 だが順平の予想とは裏腹に真宵は「ありがと」と言った。
 そう言った理由は聞いたものの、周囲のズレと同じ――それより大きなズレを真宵から感じた順平は、やっぱりこいつは違うのか、といつかに感じたものがぶり返る。荒垣とは特別親しかっただろうに、なんでそうやっていられるのか。

「やっぱそうだよね…もうじき最後の作戦なんだし。それに荒垣先輩の様子も気になるもんね……真田先輩は何か聞いてないですか?」
「シンジの容態は、美鶴から聞いてるが何も変わりもない。残念だが、こればかりは俺たちにもどうにも出来ない問題だからな」
「…そうですよね」
「今の俺に出来ることは、ひたすらトレーニングに打ち込むことだ。この程度の強さで満足してたんじゃあ、使命なんざ果たせないからな」

 拳を握る真田。
 まあ、この人も予想外に上昇志向だったよな…。
 らしいと言えばらしいよな、と順平は二度目の溜息と吐いた。




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