一つダメになると連鎖反応になって全てがダメになる。 数馬にとっての“それ”は致命的なものだった。
「数馬、邪魔する――…なんだ、人間用の薬をつくっていたのか?」
医務室に入るなりにそう言った孫兵に数馬は石臼を挽いていた手を止めた。
「孫兵…、確かに僕は君に頼まれてよくジュンコとか診ているけど…」
本来は人間専門なんだよ、と溜息まじりに苦笑した。
保健委員という忍者の性質とは真逆とも言えなくもない委員会に属している数馬はそれでも三年間務めてきた。しかしそんな数馬の言葉も孫兵は淡々とした表情で「未だに人間相手にてんぱってる君は獣医向きだと思うけれどね」と開いた障子戸を閉めた。静かにパタンと閉められる障子戸以上にグサッという聞こえない大きな音が数馬の胸に突き刺さる。
パクパクと魚のように口を開閉しながら何とか孫兵の言葉に数馬は反論しようとしたが、それが真実なのだと自分でもわかっていたため俯くだけに終わった。
孫兵に悪気はない。 毒虫へ極端に愛情を注いでる彼は人の機敏に関心を削がないだけだ。
とはいえ、真実というのは本当に痛い。
数馬は極端に実戦経験が少なかった。 しかし、保健委員長である伊作の補佐をするとなれば数馬に役目が降りるのは当然だ。それについては覚悟もしていたし、知識だけは詰め込んでいた――はずだったのに、
視界を埋め尽くす赤。 裂ける肉の臭い。 悲鳴と怒号と、何が何かわからない声。
戦場での手術に急遽かり出された数馬にはあまりにも衝撃的だった。しばらくは肉は食えなくなり、夢にまで出てきて魘されることもあった。今ではそれらもおさまってはいるものの、手術となると手が震え、脚がすくむ。
(――今もこうやって薬を作っているのも逃げているだけなのかな)
昨夜、三之助が重症で帰ってきたときも応対したのは伊作で、数馬はほとんど何もできなかった。その償いではないが今は痛み止めの薬を医務室にこもって作っている。 そして伊作はそれらの数馬の行動について何も言わない。
石臼の挽く音だけが静かにするなか、孫兵は首にまきつけたジュンコをいとおしげに撫でながら「そういえば、三之助が帰ってきたのは昨晩か」と口を開いた。
「うん」 「騒がしかったな。おかげで獣たちが騒いだ」
ただ巻物を取ってくるだけの使い。 道に迷うという不安要素はあったがいつまでもそうは言っていられないと使いに出されたのが二日前。それが昨夜、顔半分に大怪我まで負って帰ってきた(何があったかなど三之助は言わなかったが)。
「よくあれで帰ってこれたものだって、先生は褒めていたけど」 「まあ、しばらくは安静だろうな。……数馬」 「なに?」 「三之助は巻物を持って帰ってきたんだ。それでいい」
孫兵の言葉に唇を噛んだ。 でも、親しい人にすらこの手は震えた。 それでいいのかと思ってしまう。
「――別に僕は君が不向きな人間相手に苦心しようとかまわないよ。ただ、それは、君がやりたいことなんだろ?」 「でも、情けない自分はいやだよ。必要なときに動かないなんて、保健委員じゃなくても忍として使えないよ」
ダメだ。今は何を考えても後ろ向きになる。 ハアと溜息を溢したとき、そろりと障子が開いた。伺うように座敷を見回した顔が数馬と孫兵を見ると「げ」と小さな呻きを上げ、逃げを打とうとしたが素早く動いた孫兵の腕が障子を開け放ち、ガシッと相手の足首を掴んだ。当然捕まると思っていなかった相手はつるりと足を滑らしたようで「ぎゃうん!」と変な声が障子の向こうから聞こえた。
「ま、孫兵…」 「ごめん。条件反射で」 「条件反射で足首掴むなッ――て、引き摺るなァァァ!」
ずるずると保健室に引き摺られ、悲鳴を上げながら入ってきたのは籐内だった。 その瞬間、数馬はピンと閃いて孫兵に、そのまま掴んでいてね、とすばやく籐内の前に回りこむ。顔を覗き込むと先ほどしたたかに打ち付けて赤くなっている額だけでなく、青痣がくっきりと咲いていた。
「……また自主練?」 「え、あ…いや、今回は違うッ。いや、違わないけど、違うっていうか」 「籐内……?」 「――す、すみません」 「……ぷっ、くくくっ」 「孫兵?」 「何笑ってんの。……僕か! 僕を笑ってるのか!」
憤慨する籐内に、はい、こっち向く!とできるだけ処置を進めながらも、どうして孫兵が笑っているのか気になる。人を笑うなんてことほとんどないのに。 目を向けると「いや、ごめん」と孫兵は言った。
「いや、昔はこれだけの怪我では済まなかったなと思ってさ。山なんて登ったらイノシシの大群に追われるし、逃げた先が崖で死に掛けたとか」 「う、うるさいなあ」 「こっぴどく数馬に叱られて」
それが懲りに懲りて怪我しても放置するようになったけれど、一度悪化して高熱を出したときには更に数馬に怒られているから籐内はちゃんと怪我をしたら保健室に行くようになった。 そんな昔のことを話す孫兵に籐内は「よく覚えてよな」と嫌そうな顔をする。 数馬も急にどうしたとますます怪訝に思う。
「籐内は数馬で大分マシになったってことさ。―――だから、数馬が自分を扱いにくいなら扱えるようになるまで、僕らが上手く扱ってやるよ」 「……え」 「使えないのを使えるようにするのが僕らだから」 「…………」 「……どういうこと?」
首を傾げる籐内に、ううん、と数馬は鼻の奥が熱くなるのを誤魔化して笑った。
2012/03/18 00:08
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