超短編 | ナノ







 まるで大きな猫のようだった。


 長屋の縁側でひとり、丸くなっている友人を見つけた。
 硝煙蔵から帰ってきた兵助は無言のまま近づく。

 ろ組であるはずの彼がわざわざ他組の長屋にいることは目立つはずだったが、誰も疑問に思わなかっただろう。何せ今の彼は常の親友の顔ではなく、自分の顔だった。そのとき、通りかかった級友が二人いる兵助にビクリと肩を揺らしたが、兵助がシィーッと指を一本口元にあてると黙って通り過ぎて行ってくれた。

 気配を殺すわけでなく、蹲る自分――三郎の顔を覗き込むと、薄く開いた瞼の奥と目が合った。

「まだ、大丈夫だ」
「…………」
「そのままでいい」
「………、……」

 ――悪い。

 唇がそう動いたのを見て、兵助は二回丸まる身体を軽く叩いた。再び瞼を閉じたのを見て、兵助は三郎の隣に腰掛けた。

(日が延びてきたなあ…)

 雲間から覗く朱色の陽がユラユラと揺らめきながら次第に消えていく。

 三郎は季節の変わり目には必ずといっていいほど、体調を崩していた。だがそれを悟られるのをよしとしないのか、気分を悪くすると決まって級友たちから目の届かない場所に逃げている。
 とくに雷蔵には見られたくないのだろう。その時ばかりは雷蔵の顔をしない。

 もう一度隣を見る。

(……本当に猫みたいだ)






 兵助が隣に座ってから、頭に響いていた鈍い痛みも、胃から込み上げるような不快感も大分消えていた。

(……情けない)

 だから雷蔵や竹谷には気付かれたくなかった。今は違うだろうが、昔は本当に二人して具合を悪くしている三郎を見ると、それはそれは心配な顔で甲斐甲斐しく世話をしてくれたのだ。

 二人の気持ちは嬉しかった。
 しかし、そんな顔をされているのが無性に腹立たしかったのもまた事実だった。だからと言って、病人じゃないとはねつけるのも嫌で、

(黙って逃げた先が兵助んとこだったんだよなあ…)

 兵助ははじめから何も言わなかった。黙って三郎の頭を一つ撫でただけ。
 冷静というものを絵に描いたらこんな奴かと思っていたから、無言で傍に居られることに得体の知れなさを感じたものの、有り難さも感じてた。
 結局、ひとりでいるのも嫌だったのだ。

(ああ、…クソッ……)

 そんな自覚をさせた兵助が恨めしい。憎たらしかった。






「…………」

 ようやく凪いだ気持ちで目を開けたときには既に陽はとっぷりと暮れていた。
 ゆっくりと顔を上げた三郎は「食べられるか?」という隣からの声に、ああ、と頷いた。ありがとうと自分から言うのは面映い。

「…………」
「…………」
「…三郎が猫だったら」
「唐突に何だ」
「八左にこれでもかというくらいにもみくちゃにされているんだろうな」
「………。……猫じゃなくて良かったよ、私は」

 雷蔵ならともかく、竹谷にそんなことされたくない。

 起き上がった三郎は、く、と背伸びをした。食堂はぎりぎり開いているだろうか、と歩きだした三郎は縁側から動かない気配に足を止めた。

「どうした?」
「いや、確かに三郎は猫じゃなくて良かったよ。“寝子”じゃ静かすぎる。三郎はいつも通りがやっぱりいいな」
「…………。……ああああ! もう、お前は本当に私を堪らなくさせるなッ!!」
「何のことだ?」
「知るかッ」

 兵助は頭をひねりながらも、前を歩く三郎の耳が赤くなっていることに少し笑った。

2012/03/18 00:05