超短編 | ナノ







「腫れ始めた口内炎が痛い」と泣き付いた藤内に仕方ないなあ、と数馬が保健室で見せてくれたのは琥珀が溶けたような塊。玻璃の器に入っていたそれは今まで見てきた薬のなかでも魅惑的なものだと思えた。
 蓋を開けると香る甘い匂いに藤内は、飴か、と訊ねる。それににこッと数馬は微笑んで、口を開けてと促し藤内は素直に従った数瞬後、ぎゃあああァァ!という悲鳴が上がった。





「とーない」

 わ!?と藤内は後ろから現れた綾部に身体を竦ませた。
 午後の授業も終わって作法委員会に設けられている部屋に向かおうとしていた矢先で、そろりと声のする方を見て二度目になる驚愕の声を上げた。

「ってうわ、汚い!? またですか、またなんですか!」

 穴ばっか掘って何したいんですか。貴方はモグラですか。

 亜麻色の髪に透けるような白い肌に、顔の造作がえらく整った一つ年上の先輩はそれらを台無しにするくらいに土に汚れている。しかし本人は気にする様子などなく、ついと指先を藤内が進もうとしていた廊下を指す。

「そこは兵太夫がしかけたポイントだよ」
「……そう、ですか。ってか普通に呼び止めてください! 前のめりになって倒れたら」

 どうするんですか、と続けることも出来ずに藤内は黙る。近い。顔が近い。覗き込むように端正な綾部の顔がそばにあって、藤内は知らず恥ずかしくなる。委員会でだってそんなに話したことのない相手だからか緊張がおさまらない。だがやはり綾部はマイペースで、藤内の頬をむにっと摘むと伸ばした。

「…なにふるんれすか」
「何か飴でも食べているんじゃないのかい」

 ずるいよ、とーない。私にもおくれ。

 そう言われも藤内にはどうしようもない。とにかくちゃんと説明するためにも藤内は綾部の手を口元から退かせ、ひりひりとする頬を撫でる。

「飴じゃなくてハチミツです」
「おやまあ。学園長のところから盗んだの?」
「盗人にしないでくださいッ。…実は口内炎ができたのを数――保健委員に相談したら塗られたんです」
「ふうん。甘い匂いに誘われたのにないのだねえ」
「誘われたって。今から委員会ですよ」

 だから先輩も居るんでしょう、と怪訝な顔をした藤内はスタスタと庭を歩いている綾部を慌てて引き留めた。違った。そんなわけなかった。この人がまともに委員会に行くわけがなかった。ぐいっと裾を掴んだ藤内を見下ろす綾部は無表情で、さっきとは違うドキリとしたものを感じる。
 凄みというか。じんじんと痛む口内炎のことも少し吹っ飛んだ。

「委員会だって言ってるじゃないですかッ」
「別に私がいなくても先輩がいれば無問題(モーマンタイ)だよ」
「そういう問題じゃないです。綾部先輩も委員会に出るべきです」
「出る、べき…ねえ…」
「そ、そうです。綾部先輩は作法委員の一員なんですから」

 何を考えているかさっぱりな綾部にこんな言い分が通じるかわからない。
 が、綾部はふと考えるような素振りを見せると「とーないは?」と訊いてきた。

「藤内は私が居た方がいいと思う?」
「へ……え、あ。も、もちろんです!」
「…変わった子だねえ」
「………」
「このままじゃあ、あの人は怒ると思うけど」
「〜〜〜ッ、拭いて着替えればいいんです! 急いで井戸に行って委員会行きますよ!」

(やっぱりこの人は変な人だ!)

 藤内はぐいぐいと綾部の背中を押して走り出した。
 後に経緯を聞いた仙蔵に「じゃあ藤内が今度から迎えに行くように」と面倒を押し付けられるきっかけになるとは露とも思わず。

2012/03/17 23:59