――…まさ、ううん仁王くんってねお母さんの幼なじみで初恋の人がいたの


(どんな人?)


不思議な人よ、一番一緒にいた私でも分からなかったもの 気まぐれで人を騙したりするけれど私はだいすきだった。きらきらした銀髪も曲がった猫背も訛りのある口調も私を優しく見つめる瞳も



(人を騙すのに?お母さんはその人が好きだったの?お父さんじゃなくて)


ふふっ、お父さんと出会ったのはその後だもの


(その人にすきって言わなかったの)


…言った、けどこっぴどくフラれちゃった。まさはその当時女遊びが激しくて、何人も付き合ったりしてたけどすぐ捨てたりしてた でも私は幼なじみだからきっとまさと上手くいく自信があったの やっぱりまさには私が必要なんだって。そんな自信も見事打ち砕いてくれた「はっ、お前なんか論外じゃ」って言われた時苦しさと恥ずかしさで死にたくなった


(お母さん、難しくてわかんない)


あ、ごめんね


(お母さんは今も仁王って人が好きなの?)

ううん、それはないわ。だって死にそうなぐらい苦しんでた私を必死に助けてくれたのはお父さんだもの


(そっかあ)


ただいまー!今帰ったぜぃ



あら、お父さんが帰ってきた


(おかえりなさい!)


おう、なまえいい子にしてたか?



(うん、だってあたし天才的だもの!)


あー…お父さんの口癖が完全に移ってるわね


ま、いんじゃねーの?








恋哀









『…あ、また』


寝てた、ベランダの窓から綺麗な夕日がぼやけて見えた あたしはソファーから上半身を起こして大きく身体を伸ばした 口に不快感を感じてそこにあったペットボトルの水を勢いよく飲む朝といい今といい、今日はどうしたんだろう?お父さんとお母さんの命日が近いわけでもないし あたしはのろのろ立ち上がると時刻を確かめる。短針は5を指している うわ…寝過ぎたな…いつもならとっくに夕飯作りに励んでる時間だから少なからず焦った 献立を考えながらといってもレパートリーがまだまだ数少ないため限られたものしか作れないのだが、ワンパターンになったら雅治くんボソボソうるさいからなぁ。前にも好物の焼肉5日連続でやったら「…肉が安い」とか「飽きた」とかそのくせ全然食べないから結局あたしが頑張って食べるはめになる。ならば今日は新メニューを作ってあげようじゃないか。お袋の味肉じゃが!喜ぶだろうか、いつもより少しでも良いから多い量を食べてくれたらあたしとしては嬉しいんだけど。そんなことを考えつつ野菜を切っていたらカウンターテーブルの隅に置いてある電話の音が鳴った。包丁を置くと急いで通話ボタンを押して子機を耳に当てた


「あ、なまえ?俺じゃ」


耳元から伝って聞こえてきたのは呑気な声


『なに…雅治くん』

「なんか冷たない?」


『気のせいじゃないの?』


「ふーん、まあええか ほんで本題やけど傘、持ってきてくれん?」


『傘?』


少し身体を捻って窓を見てみれば先程の夕焼けが嘘のようにどろんどろんの雨雲が広がっていて空は黒かった 雷鳴りそうだしこんな天気の状態で外になんか出たくないのだけど仕方がない


『今どこ?』


「あ、助かる!只今学校ナリ」

『分かった』


子機を元に戻すと作りかけの肉じゃがをジッと見つめる。気になるけど仕方がない さっさと迎えに行ってしまおう、そう決意して二本分の傘と鍵を持って玄関の扉をあけた


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