当たり前だった「幸せ」



2010年10月20日―…




『謙也はね、きっと立派なお医者さんになるよ』



かつて、満天の星空の下で幼なじみの彼女はそう言った。









なんや、唐突に。そう思ったけど悪い気はせんかった。
受験勉強してたら突然部屋に入ってきて、「オリオン座流星群を見に行こう!」なんて部屋の隅に置いてあった望遠鏡を持ち出されたら、もう付き合うしかなかった。

まあ集中力キレてたところやし、たかが星に夢中な彼女に付き合うのも悪くないかなーって。でも実際こんなに光る空を目の当たりにしたら、思いの他感動してもうた。こんなビルでごちゃごちゃした大阪の街でも、星がこんなに綺麗に見れるなんて思いもせんかったから。


『あたしはぶっちゃけ、オリオン座流星群よりハレー彗星の方が見たかったんだよね』

望遠鏡を覗き込みながら彼女はそんなことをぼやいた。ハレー彗星?名前やったら聞いたことあるけど詳しくは知らん。


「それ、いつになったら見れるん?」


『えっと…2061年、だから今から51年後だと思う』


「51年後っ!?」


俺ら69歳やん!そない待たなあかんのか。やっかいなもんやねんな、ハレー彗星って。


『今見てるオリオン座流星群はね、約3000年前にあった、ハレー彗星の塵なんだよ』


気が遠くなるような時を超えてね、大昔のチリが、流星群として地球に流れてきてるんだよ。すごいよね!と彼女があまりにもアツく語るから俺は聞き入ってしもた。

「3000年も前の塵がやってくるなんてなんか現実味がわかんよな」


『そだね、3000年に比べたらあたしたちの生命なんてほんと儚いもんだよ』


3000年のうちの100年以下ぐらいやもんな。俺らの生きてる時なんて。そんなこと考えたら100年の間に勉強して社会に出て働いたらすぐ俺の人生なんか終わってまうやん?って考えてまう。


侑士は親に半強制的に医者の道を決められたっぽいけど、俺のオトンとオカンはとくに俺に医者になれとかそういうことは言われんかった。

けど、俺はオトンの医者として働く姿を見てほんまに尊敬しとるし将来は自分も医者になりたいって思えたから、今頑張っとる真っ最中、なんやけど……


将来自分のなりたいもん目指す、これが中々難しい。
俺の希望する大学の医学部はとにかく競争率が高くて今年はとくに去年と比べて倍率が上がっとるから苦しい。担任からもひとつ下の大学に下げるように言われた。

毎日過去問と睨めっこする日々、合格点にはようやく達したけどいつも、ギリギリ。
もう受験が終わったクラスの奴らの笑い声、それにイライラする俺。


こんな自分に嫌気が出て自然と大きな溜息が漏れた。
……なんかほんまに、俺こんなんでええんかなぁ。




『謙也はね、きっと立派なお医者さんになるよ』


「…え?」




望遠鏡を覗き込みながら楽しそうな彼女。その姿が今でも脳内を離れへん。はっきり焼き付いとるんや。あの時、彼女は何の根拠を元にそんなことを言ったんかはわからん。いや、もしかしたら根拠なんか無くて、自暴自棄な俺を励ますためやったんかも知れん。それでも、俺にはその言葉が救いで。その言葉のおかげで俺は今、ここにおるんや。