2021/09/23



 愛犬の散歩をしていると、たまにものすごく顔の綺麗な男の子とすれ違う。同い年くらいだと思うけど、学校で見た覚えはない。うちの学校にいたら絶対噂になってるはずなのになぁとか思っていたら、ある時隣の校区の制服を着ているを見て腑に落ちた。そりゃ見覚えがないはずだ。
 彼は時に、その端正な顔に似合わない傷を負っていることがある。喧嘩でもしているのだろうか、あの綺麗な顔で。東中は結構ガラの悪い人がいるイメージだけど大丈夫なのかな、とついつい失礼なことを考えてしまったりする。いけない。とんだ余計なお世話である。
 ところで我が家の愛犬は大層人間が好きで、特に犬好きな人を嗅ぎ分けるのが上手い。そんな愛犬は彼を見つけると必ず、荒い息をもっと荒くさせて尻尾だって千切れんばかりに往復させた。そしてリードを持つ私の手を引っ張って彼に向かっていこうとするから私はいつもそれに慌てる。もしかしたら彼も犬好きなのかもしれないし顔見知りになれたら一番いいけれど、彼は一匹狼というか、とにかく軽口を言い合えるように見えなかったから近づくのが憚られた。気まずい空気が流れたらどうしてくれるんだ。

 □

 どうしてくれるんだ愛犬。どういうことだ愛犬。久しぶりに脱走したかと思えば、何で彼に撫でられて幸せそうな顔をしてるんだ愛犬。
 愛犬へのツッコミは止まらないが、思いのほか彼も穏やかな表情をしているからやっぱり彼は犬好きだったらしい。さすがは我が家の愛犬である。
 しかしながら犬バカをしている場合ではない。道端で愛を育む一匹と一人を見ながらどう声をかけようかと迷っていたら、男の子の方が私に気づいた。愛犬と目線を合わせてしゃがんでくれていた彼はふっと立ち上がるけど、それでも節の目立つ大きな手はまだ愛犬の頭を撫でていた。犬じゃなくても分かる、めっちゃいい人に違いない。

「あの、すみません、うちの犬です……」
「あぁ」
「脱走しちゃって……。人間、っていうか、犬好きな人が好きで」
「分かるんだな」

 私の言葉に彼は少し笑った。私に、というより愛犬に微笑みかけたけどその笑顔がまた美しくて感心した。すごい。モデルとかになれるんじゃないだろうか。スカウトとかされてそう。
 愛犬は彼に微笑みかけられながら耳のあたりを触ってもらって満足そうだった。なんだ、そんなによその人間がいいか? よその子になるか?

「もう帰ろうよ、ごんべえ」
「ごん……?」
「あ、この子の名前が……元々捨て犬で」
「……名無しの」
「それです。私じゃないです、付けたの」
「いや別にそれはどうでも」
「あ、すみません」

 心地のいいツッコミをされたからか、友達に返すみたいに普通に返すことができた。なんか、あれだな、気まずい思いしなくてもよかったのかも。彼だって同じ犬好きなのだ。噛み付くわけじゃあるまいし、せっかくの機会だからちょっとお話ししてみよう。気まずい空気が流れたらごんべえの話題を出せばいいのだ。

「あのー……東中? だよね? 三年生?」
「……あぁ」
「私も三年なんだ、西中だけど。顔見知りになれてよかったよ〜。ごんべえ、すれ違うときいつも飛びつく勢いだったから困ってて」
「知ってる」
「ははは……。えっと、ごめん、これからも飛びついていくかもしれないけど、その時は」
「いや、大丈夫」
「遊んでくれたらごんべえも喜ぶよ」
「あぁ」

 やっぱり思っていたよりいい人だった。ごんべえが喜ぶのはもちろんだけど、彼もごんべえと触れ合いを嫌に思ってないのが伝わってきたから私はそれが嬉しかった。
 そんなこんなで、散歩のときに彼と会うときはごんべえを挟んで話すことが多くなった。大体はごんべえの話題だけど、一度「最近、うちの不良っぽい人たちが東中の不良? にボコボコにされてるんだけど、知ってる?」と聞いたとき「……さぁ」と答えたのが印象的だった。怪我をしている彼を何度か見ているから、何だか繋がった気がした。でもこんなに犬好きの人がなぁ、と彼とごんべえの頭を見下ろしながら不思議に思う。ごんべえの毛並みに比べると、真っ直ぐな芯がありそうな髪の毛が際立った。


 □


 ある時、制服姿の彼は珍しく誰かと一緒だった。彼の隣にいた男の人は、とても背が高くて髪の毛が白のような銀のような色をしていて、サングラスをかけて黒ずくめの服を着ていた。やっぱり彼は不良なのか……? と余計なことを思ってしまう。でもリードの先のごんべえの「アイツおるやん!」みたいな笑顔を見ると、到底そんな風には思えない。
 近づいていいものかと足が止まっていたら、ごんべえが耐え切れずに走り出した。緩まった私の握力をすり抜けてリードが引きずられていく。あぁ、どうしてくれるんだバカ愛犬!

「おや」
「ごんべえ」
「何? 恵の知り合い?」

 めぐみ。
 長身の男の人が彼にそう問いかけたから、彼の名前が「めぐみ」であることを初めて知った。
「めぐむ」じゃなく「めぐみ」なのか。恵って書くのかな? 恵美という字面でも違和感がないくらい綺麗な顔をしているから変な感じはしない。愛されて、望まれて産まれたような名前だと思った。

「あ、あの、お話し中にごめんなさい。うちの犬が」
「あぁ」
「なんだ恵、彼女がいるなら教えてよ」
「えっ」
「違います。コイツの飼い主」
「あ、そうです、うちの犬がえっと、めぐみくん、のことが好きで」
「恵は犬好きだもんね」
「無駄話はもういいでしょ。そろそろ帰ってください」
「無駄話って酷いなぁ。せっかく会いに来たのに」
「書類は郵送するので取りに来なくて大丈夫です」
「僕はそんなに暇じゃないよ。でも邪魔者みたいだし帰ろうかな」
「いや、邪魔者はむしろ私じゃ……」
「いい。帰らせろ」
「えぇ……」
「酷いよねぇ」

 長身の男の人はめぐみくんの仕打ちをもろともしていないようで、サングラスをしていても楽し気に笑っているのがよく分かった。近くで見るととんでもない美形だ。めぐみくんと中身も外見も正反対だけど、お兄さんだったりするのだろうか。
 長身の男の人は「じゃーね」なんて言いながら手をひらひら振って、颯爽と歩いていく。めぐみくんはその姿を見送ると、終わったとでも言いたげにため息をついてごんべえの隣にしゃがみこんだ。そのままいつものようにごんべえを撫でる。

「あの、ごめんね」
「いや、いい。早く帰ったし」
「……お兄さんだったりする?」
「やめろ。……保護者代わりみたいなもん」

 めぐみくんは何も思っていないようでさらりと言ったけど、私は保護者代わりという言葉に勝手に気まずくなった。お兄さんとか喧嘩だとか不良だとか、勝手にあれこれ考えるのは失礼だし私の悪い癖だと思った。いろんな事情があるのだ、きっと。
 そんなあれこれは分からないけど、少なくとも私はめぐみくんの優しいところしか知らない。ごんべえと目線を合わせて、ごんべえが喜ぶ撫で方をして、私のお喋りに付き合ってくれる。そんな優しいめぐみくんしか知らないんだから、めぐみくんは優しい。間違いない。ごんべえだってこんなに幸せそうなんだからその事実だけ知っていればいいじゃないか。

「今日もめぐみくんに会えて良かったね、ごんべえ」

 あ、さっきは成り行きとはいえ、また勝手にめぐみくんって言ってしまったな、と言ってからすぐ思った。でも私たちは元々お互い名乗っていないから、私はめぐみくんの名字だって知らない。私たちの間にはごんべえという名前しか出てこないのだ。
 失礼だったかなと思っていたら、めぐみくんは私を見上げた。黒い瞳は影のように真っ暗で吸い込まれそうで、添えられた睫毛が私を刺すようだった。見ていられないのに見てしまう。真っ直ぐ結ばれた口が開く。形の良い、薄い唇をしていた。

「俺にも教えろ。名前」


 □


 そうやって名前を教えてから、私は受験で忙しくなって散歩になかなか行けなくなって、めぐみくんとはとんと会えなくなってしまった。同じ高校だったりしないかとも考えたけどめぐみくんの噂は聞かないし、他校に「めっちゃイケメンがいる」という噂もめぐみくんのことではなかった。どこか遠くに進学してしまったかもしれないと思う。長身の男の人と話していた「書類」はその関係だったのかもしれない。保護者代わりだし。
 高校に入学して少し落ち着いてから、私はまたごんべえとの散歩をよくするようになった。ごんべえはいつでもご機嫌だ。まるでめぐみくんなんか忘れたみたいで、ごんべえと共有できなかったら私は彼の思い出を忘れていくばかりだと寂しく思う。
 それでもまだしっかり彼のことを覚えているから、彼と似た髪型や背丈を見かけると、つい目を向けてしまう私がいた。東中の制服だったり、シンプルなTシャツに黒いスキニーパンツだったり、黒いツンツンした髪の毛だったり。
 めぐみという名前が結局どんな漢字で書くのかさえ聞けなかった。そうしてぽっかり空いたような胸に居座る私のこの気持ちに、いつか名前がつくだろうか。それとも、彼の名前さえ忘れてしまって名無しになってしまうのだろうか。権兵衛くんなんて名前が決して似合わないような人なんだけどな。寂しいよ、めぐみくん。

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個人的には好きだけどなんか読み返して悲しくなったのでボツ。タイトルをつけるなら「この傷に愛おしい情を」です。





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