2022/11/08



※無駄に長い
※夢主死にます


 起きたら隣で悟が寝ていた。いつの間に入り込んだのか。合鍵を持っているから別にいつ入ってもいいんだけど、こんなデカい男がシングルベッドに潜り込んできても寝ていられる自分の神経に驚いた。約二日間寝ずの任務の後だから、よっぽど疲れていたのだろうか。たっぷり寝たはずなのに、まだ眠たい。
 もう一眠りする前に喉を潤そうとベッドから降りて、冷蔵庫の麦茶をグラスに注いで一気に飲み干す。生き返ったような気分だった。再びベッドで戻れば、悟は未だぐっすり寝ている。彼も疲れているのだろう。知っている限りしばらく休みもとっていないし、明日も仕事のはずだ。その次も、その次も。
 せめて暖かくぐっすり眠ってもらおう。乱れた掛け布団を一度大きく捲り上げると、拍子に悟のお腹が現れた。白くて、ゴツゴツしてて、ゆっくり、ゆっくり、穏やかな波の揺らぎのようにそれは上下する。
 それを見たら、何故か涙が出た。
 悟が生きている証だと思った。ちゃんと生きているお腹が、悟を生かしているようにも思えた。生命のエネルギーみたいなものがそこにあったから涙が出たのだと思う。反射のようなそれを静かに拭うと、悟と目が合う。かっ開いた瞳とそれを強調するようなまつ毛にビクッと肩が弾んだ。いや、こわっ。

「何で泣いてんの?」

 起きていたのか起きてしまったのか分からないけど悟の目はバチバチに開いていて、その目力にびびってしまう。悟の問いは慰めではなく、疑問から来るものだろう。不思議そうな声だった。
 そう問われても、この感情を言葉にできるほど私は饒舌ではない。確かに悟の命に尊さを感じたけれど、その愛おしさを表現できる術は持っていない。
 できないことをするのは無駄な足掻きだしめんどくさくて、誤魔化しの笑いと共に「秘密」と言う。悟は「は?」と言いたげな顔をした。柄じゃない教師になってからほとんど見ない、学生時代のような筋肉の動きに笑った。
 歳月を経ていろんなことが変わったけど、悟は悟だ。私は昔から、今この瞬間も、彼の人生の一部を共に生きている。それをなんという幸運だと思った。ということはとどのつまり、ゆっくりゆっくり上下する悟のお腹は幸せの象徴であるということだろう。なるほど、尊くて涙が出るはずだ。
 自分の脳内では簡潔に完結したから、顔を歪めている悟をスルーして「おやすみ」と目を瞑る。悟は私にまた聞いた。

「ねえ、なんで」
「秘密だよ」
「オマエよく分かんないところ秘密にするよね」
「ミステリアス目指してるから」
「実のところめんどくさいだけでしょ」

 妙に鋭いところがある。そういうところも、悟が生き残ってきた理由なんだろうな。良し悪しというものだ。
 目を開いて悟の青い目を見つめる。私の「秘密」に異議を申し立てる瞳が可愛いと思った。実のところはめんどくさいし、悟がそうやって私にいろいろ聞いてくるのは嫌いじゃない。悟は自分の思い通りににならないことがただただ気に食わないだけかもしれないけど、私は、私に食らいつく悟の様がいい気味だと思うくらいには歪んだ愛を持っている。私の思い通りで、満足だ。

「秘密にしてたら気になって私のこと忘れられないでしょ? 私、駆け引き上手だから」
「駆け引き? 呪いだろ」
「うるさい早く寝て」
「ん、おやすみ」
「おやすみ」

 会話より睡眠を取りたくてそう言ったら悟は意外にもあっさり目を瞑った。最後に悟の頬をひと撫ですると目を瞑ったままの悟に「なに?」と聞かれ、また「秘密」と返す。呆れたのか飽きたのか諦めたのか無情にもその言葉への返事はなく、部屋の中はシンとなる。
 あたたかい悟の頬は私の頬とは違う質感をしていて、私と違う人生を生きているのだと改めて感心した。頬を撫でたのは、私の独占欲とか優越感とか、そういうのが動いた結果だ。思い通りに食いついてくれて、この美しい男は私の手中にあるのだという
気がした。実際は、彼は私を置いてどこまでも行ってしまうしどこまでも行くことができるから、本当にそれは『気がした』だけなんだろう。
 呪い上だろという悟の言葉を反芻する。なかなかどうして、言い得て妙だと思った。私が死んだら、悟は私が秘密にしてきたことを思案してくれるのだろうか。線香の香りが充満した葬式会場で、お経をBGMにして、あの涙は、あの言葉は、あの仕草は何を意味したのだろう、と。
 そうなればいいと目を瞑る。そうなればたまに不毛に感じるこの日々にも、張り合いが出るというものだ。あと何個、彼に呪いをかけられるだろうか。

 □

 お姉ちゃんのお葬式はお姉ちゃんの遺言の通りに慎ましく行い、滞りなく進んでいる。まだ30にもならないお姉ちゃんが何故遺言を残していたか疑問だったけど、遺言書を持ってきた弁護士曰く「人間何が起こるか分からないから、と」と教えてくれた。お姉ちゃんらしいと思った。いつも、どこかを見据えていた。
 学生の頃両親が亡くなった。変死だった。長女ということも手伝ってか、悲しみに暮れる私と違ってお姉ちゃんは確実に未来や将来を見据えていた。そういう時は家族でさえ怯むくらい意思の強い目をしている。あと、そういう比喩ではなく、実際、何かをジッと見ている時がある。安置所で横たわる両親に私が泣きついている間も、お姉ちゃんの目は両親の死に顔とは違うところに向いていた。何かが視えているようで「何見てるの?」と聞くと「……これからすることがたくさんあるから」と穏やかに答えて、両親の死に顔にやっと目を向けた。
 当時の私はお姉ちゃんに色々を任せるしかなかったから何も言えなかったけれど、もしかしたら両親の霊でも視えてるんじゃないかと思った。お姉ちゃんは、そんな不思議な人だった。
 両親の死後、お姉ちゃんは「手に職をつけたいから」と進路を変えてなんちゃら高専へ入学した。お姉ちゃんはそこの寮に入って、私はおばあちゃんと弟と暮らした。高専の名前さえまともに教えてくれなかったお姉ちゃんに「高専ってどんなことしてるの?」と聞くとお姉ちゃんは「まぁ、いろいろだね」「いろいろって?」「言っても分からないから秘密」とはぐらかして笑うだけだった。その頃私は秘密主義という言葉を覚え、お姉ちゃんのことをよくそう表現した。そして、お姉ちゃんはいつの間にか卒業して、いつの間にか卒業したなんちゃら高専で働いていた。
 そんな姉なのだ。だから、葬式の終わりの時間が近づいてきたときに、姉と交際していたと「五条悟」を名乗る男性が来たときは大いに驚いた。何となく彼氏がいるということは分かっていたけど(もちろん本人からは教えてもらえなかった)、まさか、こんな、イケメンだったとは。モデル? そもそも日本人? ハーフ? こんな彼氏なら私はみんなに自慢して回るのに! この秘密主義!
 思わず悲しさより驚きが勝ってしまって口がポカンと開いたけど、慌てて言い訳をする。

「ご、ごめんなさい、びっくりして」
「聞いてなかった? 僕のこと」
「はい、まぁ、気づいてたけど、そういうの、あんまり言わない人だったので……えっと、姉とは、いつから」
「学生の時から。職場も一緒」
「えっ!? ってか、えっ、もしかして、先生なんですか!?」
「そう。教師」

 五条さんは軽やかにそう言う。その様子も風貌も軟派そのもので、教師という字面とどうにもアンバランスだと思った。お姉ちゃんは軟派でも硬派でもない、その真ん中を行ってるんだか浮いてるんだかなゴーイングマイウェイな人だったから、本当に付き合っていたのかと思うくらいだ。しかもこの感じで、教師。うーん、イケメンだけど、変な人だ。何を教えてるんだろう。いや、そもそも、だ。私、お姉ちゃんの職場のこともよく知らない。

「あの、お姉ちゃん、職場のこともあまり話してくれなかったんですけど……今更ながら、何の学校なんですか? ……すみません、こんな時に、こんなこと」
「宗教系の学校だよ。宗教って言っても怪しいものじゃないけどね。お姉さん、そういうの信じるタイプじゃないでしょ」
「はは、そうですね。そっか、お姉ちゃん、そこの事務員さん? してたんですね」
「そう」
「……本当に、何にも教えてくれない人で」
「秘密主義だったから」
「……」

 とても軽い言い草に、違和感がぐにゃりと歪んだ感覚がした。それが強くなって、暴れて、不信感に変わりつつある。
 恋人が死んだというのに、この軽さはなんだろう。まるで死期がわかっている人が死期の通りに死んだ時のような、まぁしょうがないよねと言っているような、そんな軽さだった。恋人なら、お姉ちゃんの命は私が思うよりも重いもののはずじゃないの。
 そういえば、家に来た学校関係者の人も弁護士さんも、『人の死』というものに妙にこなれているような印象を受けた。理路整然としていて、事務的で、お金のことや返却物について説明を受けているときは「この職場を退職する人みたいだな、私」と思ったものだ。怪しくないと五条さんは言うけど、自らを怪しいと言う宗教なんてものはないだろう。もしかしてお姉ちゃんは、何かに巻き込まれたんじゃ。
 お姉ちゃんは事故死だったと聞いている。聞いているというのはあまりにも凄惨な有様なため遺体を見ることができていないからだ。私は何も分からない。
 本当は、お姉ちゃんは、この学校に。
 脳内の想像が妄想じみてきたところで、五条さんの視線はお姉ちゃんの遺影に向けられた。思わず妄想が止まって、五条さんを見つめる。五条さんは、私に言っているのか独り言なのか分からないような呟きを、ぽつりと吐いた。

「まるで呪いだ」

 何の話か一瞬分からなくなったけど、そうだ、秘密主義の話だった。五条さんは、お姉ちゃんの秘密を呪いと言うのだった。
 青い瞳の煌めきが、凛とした目元が、緩やかに弧を描く唇が、お姉ちゃんを見ている。五条さんのことは何も知らない。この数分間で軽薄な人というイメージが強いし学校についてもまだ信用したわけではない。
 それでも、五条さんはお姉ちゃんを愛してたんだと思った。こんなに煌めく瞳なのに、置いて行かれてとても悲しそうだと感じた。
 彼の軽い、不思議な潔さは、宗教の教えの賜物なのだろうか。呪いという言葉を死人に向けるのは不謹慎にも思えたけど、どこかで納得できた。呪い。マイペースでどこを見ているか分からないお姉ちゃんの、呪い。なんとまぁ些細で、小さな呪い。身内にしか通用しないよ、そんなの。
 とりあえず五条さんへの警戒を解いた私は当たり障りのない雑談を五条さんと交わした。その中で五条さんはお姉ちゃんの部屋の合鍵を持っていて、返しにきたという話をする。「あ、大家さんが鍵は来月末に丸ごと変えるから好きにしていいって。よかったら持っててください」と伝えると五条さんは大きな目をこっちがびっくりするくらい丸くさせて、すぐ笑った。見上げるほど背は高いしお姉ちゃんと同年代だろうに、やけに幼く感じた。

「姉妹揃って僕を呪うのが上手いんだから」

 死んだ恋人の部屋の合鍵を残しておくなんて、確かに呪いだと思った。慌てて謝ると「似てないねぇ」なんて私と姉を比べてまた楽しそうに笑う。
 お姉ちゃんにもこんな風に笑っていたのだろう。こんなイケメンに愛されて、幸せだっただろうに。お姉ちゃん。とても、幸せだっただろうに。死んだら元も子もないよ。
 泣きそうになって、親指を隠すように拳を握って耐えた。泣きそうな気持ちをふっと息と共に吐いて、五条さんへ言葉を繋げる。

「あの、まだ部屋もちゃんと片付けてなくて。もし五条さんのものがあれば、いつでも」
「いいよ。処分してもらって」
「でも」
「手間をかけて悪いけど」

 そう言いながら五条さんは喪服のポケットから鈴のついたストラップを取り出して、大きな手で器用に鍵につけた。鼻歌を歌うようだった。
 ストラップは「京都」の文字がある陳腐なもので、どこの観光地にもありそうなものだ。上から下まで品よく仕立て上げた装いにはおよそ似つかわしくないそれは、お姉ちゃんの部屋の鍵についているものと色違いのものだった。
 随分前にそれを見て「ダサっ。しかも鈴、うるさくない?」と聞いたらお姉ちゃんは「鞄の中ですぐ見つかるし便利だよ」とさも当然のように言ったが、なんだ、彼氏とお揃いだったのか。くたびれた紐が二人の過ごした年月の長さを語っているみたいで、自分じゃ絶対買わないけど、とても可愛いストラップだと思った。
 お姉ちゃん、やっぱりあなた、幸せだったんだね。
 そう思うと今度こそ涙が出た。
 五条さんは涙を流す私に「悪いね」と何に対してかそう言った。お姉ちゃんに対してかもしれない。妹を泣かせるなんて悪い姉だね、と言っている気がした。
 鍵は、五条さんのポケットに戻る道すがら、チリンチリンと音を立てた。背筋が凍るような高い音に、打って変わって寒気がする。そんなわけないのに、お姉ちゃんの足音のようだった。
 お姉ちゃんは目の前のこの人にどれだけの呪いをかけたのだろうか。私には見えない。見えないはずなんだけど、この寒気はなんだろう。お姉ちゃん、まだいるの? あなた、いつも涼しい顔してたけど、もしかして結構独占欲強かったんじゃないの?

「あの、五条さん、申し訳ないんですけど、ストラップ、姉の分も持っていてくれませんか?」
「? どうして?」
「……なんか怖くて」
「ははっ。大丈夫だよ、君のお姉さんなんだから」

 五条さんは朗らかに笑った。一瞬、私の右肩あたりを見ているように見えたけど、気のせいだよね。五条さんも視えている人だったりしないよね。確信めいたその口振りは、そういう喋り方だからだよね。「お姉さんなんだから」じゃなくて「お姉ちゃんの(ストラップ)なんだから」の間違いだよね。そうだよね。そうだと言ってお願いだから。
 頭の中をいろんな憶測が飛び交って、やっぱり怖くてストラップは五条さんにあげた。五条さんは「えーじゃあ硝子にでもあげようかな」なんて言うからたまがった。恋人の遺品を。どこの女に。いや、お姉ちゃんから聞いたことのある名前だから共通の友人、親友の類だろうけど。
 やっぱり変な人だなと思ったけど、お姉ちゃんも変だったからお似合いだったのかもしれない。寒気も治まった。考えたら私はお姉ちゃんと違って視えないのだ。そこまで心配しなくても大丈夫だろう。多分。恐らく。お願いだからそうであって。

 □

 帰ってから「霊」「右肩」で調べると、右肩には守護霊が憑くと書いてあった。いやいやいやいやいやいや。……いやいやいやいやいやいや。お姉ちゃん、もしいるなら五条さんのところに行った方がいいよ。私は視えないし、それに、ほら、五条さんは、あなたのことを愛してたから。
 
「……」

 正直、お姉ちゃんが幸せだったということがこんなにも尊いものだなんて思わなかった。もっと話してくれて良かったのに。でもどうせ、教えてくれない。それが分かっていたのに、それでも私は懲りもせずにお姉ちゃんに「最近どう?」とか「結婚とか考えてるの?」とかいつも聞いていた。お姉ちゃんの「秘密」と笑う顔が好きだったんだと初めて気づいた。またそれ! と言って私は笑って、そんな私にまたお姉ちゃんは笑った。
 お姉ちゃんの遺影を見る。半年前に私と水族館に行って、その時撮ったものだ。写真はこれくらいしかまともなものがなかった。もっとたくさん撮れば良かったと後悔してもし足りない。だんだんと手足が重だるくなってくる。
 五条さんは、今頃何をしているのだろう。彼もお姉ちゃんを思って泣いたりするのだろうか。こんな風に手足が重だるくなって、スマホしか触れなくて、最後にした電話の日付を見て、カメラロールにお姉ちゃんの面影を探して、楽しかったなってもっとたくさん撮れば良かったなって後悔して、涙が出て、ぼんやりして、死にたい気持ちになって、追ってくる悲しみから逃げるように布団に潜り込んだりするのだろうか。
 そこまで考えて、絶対しないんだろうなぁと思った。いや、分かんないけど。五条さんって本当のところはどんな人なんだろう。お姉ちゃんしか知らないんだろうな。でもお姉ちゃんは死んじゃったから、秘密は秘密のまま。墓場まで。
 ……やっぱりお姉ちゃん、ああ見えて独占欲が強かったんだろうな。
 スマホの画面を布団に押しつけて、枕に顔を埋める。枕に染み込んだシャンプーの匂いはお姉ちゃんと同じものだ。そこに涙を染み込ませて、逃げるように目を瞑った。今はとにかく辛いけど、生きていくしかない。お姉ちゃんの秘密の中身を想像しながら、時に泣いて嘆いて絶望して、それでもこれから先どこかにある幸せにちゃんと出会えますように。私も、弟も、五条さんも。ちゃんと、出会えますように。





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