「りょうたくん」 うとうとしていた。夢のなかかと思った。すっかり寝付いたとおもっていたとなりのあたたかさから、あの、いつもの、かたちのないような所在なさげな声がきこえたのは、きっと時計の針がまうえにたどりつく少しまえだった。きみが夜中に目覚めるなんてめずらしい、オレがこんな時間にうとうとしているなんてめずらしい。いつもは冴えた目でひとりで見ていた枕元の時計を指差し、「まだこんな時間っスよ」といえばしってるもん、という声が返ってきた。くしくしくし、ハムスターみたいに目をこする、きみを、優しく諌める手はとびきりやわらかく。傷がつくっスよ。うん、でも眠くって。なんだってこんな時間に起きてしまったんだろうね、ねむたい、をふんだんにつめこんだあくびをひとつこぼすきみは、起き抜けの赤ちゃんみたいに、いつもよりすこし、もっとあたたかい。 「あしたは、きっと、雨っスね」 「梅雨だからね」 そういうことじゃ、ないんたけどなあ。苦笑いは届かないままに闇に溶けていく。黒色になれた目は闇のなかでもきみのパジャマのベビーピンクにピントを合わせて、やんわりと三日月型のカーブを描く。絶対ねぼうしないから、ということばに乗せられて買ってあげたベビーピンクのルームウェアは赤ちゃんの肌着みたいなさわりごこちで、ポケットがふたつ、ついている、ちょっとこどもっぽいデザイン。ポケットいるの?と聞いたらいる、と自信満々なお返事だったので、そのときはまあ、俺もそれにしたがって、一緒に頷いてみせたりした。しかし、彼女のポケットが、肌寒い夜に俺が手をつっこむ以外でその役目を果たしたことは、まだない。こどもっぽい彼女の、こどもっぽさをいっそう際立出せるため、みたいなかおで、今日もポケットはそこにあるのだろう。 「りょうたくん」 「? どしたの?」 「もう少し、眠くない?」 「うん、もう少し起きとこうかなって思ってるけど」 「じゃあお話して」 「いいっスよ」 きっと、ありがとう、の代わり。ぴたりと頭をくっつけてきて、きみは嬉しそうに(これはきっと勘違いなんかじゃなくて)、むふう、息を吐いた。 それから俺はいろんな話をした。相変わらずもっぱらバスケのこととモデルの仕事のこと。最近はなかなかバスケする時間も減ってきたけど、この間の週末は青峰っちたちと一緒にストバス行ってきたんス。久しぶりのコートは広くて明るくて、スリーポイントがいつもよりたくさん決まったのは嬉しかったっスねえ。スリーポイントをうつと、緑間っちのフォームがどれだけ完璧で、どれだけ大事にされているものかわかるんスよ。きっと愛しちゃってるんスね、緑間っちは。 「バスケのことを?」 「そう、バスケのことと、スリーポイントのことと、奇跡をおこせる自分の指先のこと」 それからね、モデルの仕事も最近は大きな仕事が増えてきて、緊張するけどわくわくするっス。初めて会う人が増えて、いろんなことを知ったけど、俺はまだやっぱりモデルを続けてたいなって思うし、欲を言えばもっといろんなことを知りたいなって思うんス。ガラじゃないかもしれないけど、最近は本当にそう思うようになったから人間って不思議っスね。めちゃくちゃ辞めたいときだってあったのに。そう言えば、今度、このルームウェアのブランドがメンズラインを取り扱うらしくて、その広告に出れるかもなんスよ! 「へえー!りょうたくん、頑張ってるんだねえ。どおりで街中でもたくさんりょうたくんに会えると思った」 「頑張ってるっスよお。今最終選考だし」 「ぜひとも、りょうたくんには最終選考も通過してわたしと同じルームウェアをきた女の子と広告に出てほしいなあ」 「ポケットのついた?」ふふ、思い出して、ちょっと笑ってしまった。 「そう、ポケットのついた」ふふ、きみもつられるみたいに笑う。 深夜の内緒話はすこしの間つづいた。きみはあいづちのプロみたいに、いいところでうんうん、へえ、そうなんだ、と言葉をはさんでうながしてくれるから、するするとおもしろいくらいに話が弾む。つたえたいことがたくさんあったんだなあ、と、気づく。たいせつな時間だ。 「それで、今度黒子っちがね」 「あっ りょうたくん」 「ん?」話のつづき、明日聞くから、あのね、とすこし慌てて。 「今から大事なこと、大事にいうから、大事にきいてくれる?」 ちくたくちくたく、時計の音がやけにおおきく響く。きみの言葉を待っている俺はなにもしゃべらない。きみも、じっとしている、なにも言わない。 「………」 「……?」 「………」 「……え、っと?」 「……ちょっとまってね」 「うん」 「………」 それからちくたくちくたくを、20回くらいは数えたと思う。沈黙は長く感じられる。なにか、したっけ?怒られるようなこと?かなしいようなこと?そういうのだったらやだな、って思ってたころ。適当に置いていた右手がふんわりとあたたかくなった。うつむいていたきみが顔をあげる。笑ってる。 「りょうたくん、お誕生日おめでとう」 え、と。声がでたと思えばなんて間抜けな声なんだ。あわてて枕元の時計をみるとふたつの針はてっぺんで重なっている。その時計の下では、そんなに嬉しそうな顔をして、と思わず言ってしまいそうになるくらいの笑顔のきみがいた。いつのまに包まれていた手はあたたかい、ちいさい手だな、でも、俺のための、やさしい手だ。 「もしかして、めずらしく、起きてたの……こんなこと、の、ために?……」 「うん、今日は大切な日だから」 頭のなかは冷静なのに。ありがとう、すごく嬉しい、本当にだいすき。ぜんぶきれいな文字になって頭のなかに浮かんでいるのに、どうしてかぜんぜんうまく喋れない。そんな俺をみて、きみはそんなことだなんて、ゆっちゃだめよお、と言って、成功してよかった、とも言った。主役である俺顔負けの笑顔は、かわいい、いつもより、ずっとずっと。文字がプールにうかぶみたいにぷかぷか、すこし離れていく。「よく、起きれたっスね」言いたいこと、こんなことじゃないはずなのに。涙をがまんしている、気がする。でもきっと気のせいじゃない。 「このこのおかげ」 ごそごそとポケットに手をいれて、最近はなかなかみなくなっていた二つ折りのぱかぱかケータイを取り出した。23:30にセットされたアラームの画面を見せて、いたずらっこみたいな顔。 「震えるようにしてね」 「うん」 「ポケットにいれてたの、りょうたくんに内緒で起きれるようにって」 「よく、思いついたね、そんなの」 「うん、いっぱい考えた。大事なりょうたくんのお誕生日だから」 やっぱり、ポケット、いるでしょ。うん、そうだね。あんまり、うまく、喋れなくてごめんね。ちいさく震えるこえ、夜はきっといつもよりよく分かるんだろう。「なきむしだね」優しい声を聴きながら、たぶん、きっと泣いてるんだ。うれしくてうれしくて、しんじゃうかもなんて思ったの、生まれてはじめてだったよ。 ![]() 「今度俺もおなじとこのルームウェア、買いに行くっス」 「ついていくっス」 けらけらと笑って、たのしみだねー、やっぱりきいろ?と悩みはじめるきみを見てばれないように小さく笑う。でもね、いちばん大事なのは色でも素材でもなくて、やっぱりポケットっス。内緒だけど。 今度のきみの誕生日、俺のポケットには携帯の代わり、きみへの四角い小箱を忍ばせておこう。ちいさくてもきらきら光るそれを、きみは、きっと大事そうに受け取ってくれるに違いないから、今からすっごく楽しみだなんて、俺、浮かれてる?でもね、デザインはもうきまってるんスよ。こどもみたいなきみの手にも合う、シンプルで、でもとびきりすてきな指輪になっちゃう予定。 「とびきり素敵なりょうたくんの、とびきり素敵な一日の始まり。一緒にいられてうれしいよ。りょうたくん」 とびきり素敵な一日は、やっぱり俺のいちばんのきみの言葉で始まるみたい。きっともうすぐおだやかな寝息をたてはじめるであろうとなりの温度。やさしく触れたい。やわらかく愛してあげたい。かっこいいことはできないけど、素直になることならできるかも。瞼にそっとキスを落とすと、ふふ、と笑ってくれる。俺もきみにならって、すこし、距離をつめて、目を閉じる。ああ、生まれてきてよかったな、なあんてね。ぜんぶぜんぶきみのせいだ。でも、そんなことを思ってしまっても、きっときみは許してくれると思うから 「甘やかされてるなあ」 「?」 「こっちのはなし」 ありがとうもだいすきも、これからはじまる一日のおたのしみ。くるくるまわるきみの表情で、とびきりの笑顔をリボンを巻いてプレゼントしてほしい。君のことがだいすきだから、昨日までの俺も、今日からの俺も。きみに関してはわがままでいたい、わがままでいてほしい。ちょっと強めに握り返した手は、これから先への約束のつもりだ。 ![]() / happy happy birthday kise ryota 2013.06.18 / syu-matsu ha anatano iuto-ri / title by エナメル |