ミルキーミルキーロマンス | ナノ

星降香宮夜という名前はどうにこうにも一度耳に触れると永遠に響き続けるようで、わたしはきっと彼以上に彼の名前を気に入っていた。一度、「かぐちゃんは名前もおほしさまみたいだからね」と言ったことがある。そのときかぐちゃんはどんな顔をしていたっけ、笑っていたっけ、泣いていたっけ。わたしが覚えているのは彼の言ったことばだけ。「お前だけでいいよ」まったくちぐはぐなこたえだったけれど、わたしにはちゃんと分かっていたのだ。


「かぐちゃん、歩くの早い」
「お前が遅いんだよ」
冬の夜はどこまでも白くて、透き通っている。そんな中を歩くふたつの足音は規則正しく交互に音を立てて静まり返った街に響くのだった。ちいさなリュックサックの中には水筒がふたつ。あったかいものも入れれるよって喜多くんがこの間プレゼントしてくれたものだ。ピンクときいろ。ちょっと変わったわがやのルール、ピンク色はかぐちゃんのもの、というのを喜多くんはもうずうっと前から知っている。
お散歩に行こうと言い出したのはやっぱり例にもれずわたしだった。隣のデスクの女の子が、丘の上の公園から見える景色がとってもすてきだって言っていたから。上には目がいたくなるほどの星空が広がって、下にはぽつぽつと灯るあかりによってできたもうひとつわたしたちの宇宙、わたしたちの街。そりゃあもうロマンティックなのって、あんなとこにふたりでいたら、ロマンティックにならないふたりなんていないよって。ロマンティックなふたりになるということがわたしとかぐちゃんにどのような良いことをもたらすのかはわからないけれど、わたしは目をとじてうっとりとその情景を言葉にする女の子がとてもかわいかったものだから、きっとロマンティックなふたりというものは良いものなのだろうとさっそく金曜の夜にかぐちゃんを連れ出したのである。
「おやつは、ジンジャークッキーと、チョコチップマフィン、メレンゲのクッキー」
「がんばりすぎだろ」
「だって、ロマンティックなふたりになるための遠足だもの」
「なんだそりゃ」くすくすとかぐちゃんの笑顔がまざった声。
フル稼働で働いてくれていたオーブンには砂糖とチョコレートのあまいにおいが染みついている。あったかいダージリンティーも用意したよって言えば、かぐちゃんはシャワールームへむかう後ろ手で ひらひらと頭の上で手を振った。それがいまから1時間ほど前のこと。お茶とおやつは今はリュックサックの中で身を寄せ合って真夜中のおやつタイムを心待ちにしているはずだ。もう時計はてっぺんをすぎてしまっているのにおやつタイムだなんて、おとなだけに許された特権みたいでわくわくする。
「さむい」
「冬だしねえ」
「さむい」
「夜だしねえ」
オウム返しのような言葉あそびはたのしい。かぐちゃんからはゆげのように白い煙がのぼっていて、たばこを吸っているみたいだなあと思った。大学生のころのかぐちゃんの三種の神器は、けいたい・シガレットケース・おさいふだったけれど、いまはそのシガレットケースのかわりにミントのガム。わたしは辛くって食べられないやつ。わたしはたばこは吸わないしすきでもなかったけれど、恋する乙女の特例でかぐちゃんから香るたばこの香りはすきだった。すこしあまくて、苦いにおい。それでもかぐちゃんはいつだったかわたしに何も言わずに、ぱたりとたばこを吸わなくなってしまったのだ。西野空くんになんでだろうねえとひとりごとのように尋ねてみたことがあるけれど、そのとき彼は「やっぱり愛が世界を救うのかもね」といってくすくす笑っていた。よくわからないけれど、そうしてたばこを吸うかぐちゃんというものは学生時代の代名詞のようなものになってしまっていたのだ。なつかしいなあ。ふとした瞬間に気づく。もうこんなに時間が経ってしまった。それでも 一緒にいられるんだね。勝手にうれしくなったわたしは 勝手にかぐちゃんの左腕にとびついた「うわっ びっくりした」「びっくりさせた!」笑い声が公園の夜の闇に溶けて行って くらやみをすこしやさしいものにする。










「かぐちゃん」
「……」
「ほしふりくん」
「……」
「ほっちゃん」
「……」
「かーぐちゃん」
「……」
かぐちゃんはお返事もせずに 空を眺めながらあったかい左手の温度をたもっている。お返事がないのは別にきげんが悪いとか、怒ってるとかじゃない。たぶん 今は空のお星さまを夢中で見ているんだと思う。ちいさなころ かぐちゃんの夢は宇宙飛行士だった。今はその夢をすこしちがう形で追っている。お部屋には宇宙や お星さまの本がたくさん。いろんなかぐちゃんを知っているわたしは安心して いつでも、何度でもかぐちゃんの名前をよぶことができる。てっぺんまでもうすこしだ。
「かぐやちゃん」
「……」
「んー、やっぱり かぐちゃん、かな!」
「……おまえ、本当に俺の名前がすきなんだな」
かぐちゃんがすこし苦笑いをしながらわたしの方をむいた。ふわりと長い髪の毛がなびいて このあいだふたりで選んだシャンプーのにおいが香る。こういうところにもしあわせは隠れているのだからまったく 油断ならない。わたしはいつも 指の先まで かぐちゃんにあますことなくしあわせにしてもらっている。
「うん!だいすき!かぐちゃんにぴったり とってもきれいで やさしい名前だもの!」
そうかあ?とかぐちゃんが笑う。そうだよお、というわたしの間延びした声がひびく。そっかあ。ぴったりだよ。そっかあ。そうだよお。のんびりした会話はお星さまのひかりにてらされて すこし 金色にひかる。
はは、そっかあ、とかぐちゃんはもう一度言って それから、わたしの目をみて一度、ぱちくりとまばたきをした。

「そんなに俺の名前がすきなら、お前も俺の名前になるか?」

いつもと変わらない声 いつもとおなじ顔で かぐちゃんはいつも魔法みたいな言葉を使うのだ。ずるい ずるいよ。わたしの頭はこんがらがって うまく言葉をのみこめない。かぐちゃんの なまえ。わたしのだいすきな かぐちゃんのなまえ。やさしく光っていて いつでもわたしのそばにいてくれる たいせつなもの。

「そそそれって、ぷ、ぷ」
「プロポーズ、」

ようやくかぐちゃんの言葉を理解したわたしのふたつめのぷのあたりで、今度はかぐちゃんがひゅっと手を伸ばしてわたしの手をつかまえてしまった。そしてうらやましい長い足を交互に動かして、さっさと歩きはじめる。さっきよりもっともっと速いスピードで。かぐちゃんは全くうしろを振り向かない。手を引いて、ずんずん前に進んでいく。はやすぎて時々足がもつれそうになるけれどわたしも一生懸命ついていく。わたしがようやっとついて行っているのを知っているけれど、かぐちゃんは絶対に手を離そうとしなかった。忙しく動く足といっしょに、のうみそもフル回転でうごく。それでも、ときどきふわりと香るジンジャーのにおいがすこしうつった手のひらは、わたしのものよりずっとおおきい。ああ、ねえ、わたし、守られたい、でも、それよりもずっと、守ってあげたい。そう思ったのはいつだっただろうか。チン!とすべてを0にもどすようなオーブンの音が頭のなかに響く。これは、きっとわたしのしあわせの音だ。
しばらくしてお目当ての高台に着いたふたりの呼吸ははあはあとあらく、白いけむりがかぐちゃんをすこしゆがませた。まぼろしの中みたい、なんて気の利いたセリフは言えない。できるのは、わたしのだいすきな名前を呼ぶことだけだった。

「……かぐちゃん」
「……うん?」
「すきだよ」
「…知ってる」
「世界で いちばん!」
「簡単に決めちゃっていいんだ?」かぐちゃんが笑いながら言う
「簡単にじゃないよ。ずっと前から考えていたの」
かぐちゃんは知らないだろうけど。と言えばかぐちゃんはばーか、と笑った。つまさきは向き合っている。ひとりで100年生きるよりも、かぐちゃんといま生きてたい。ひとりで1000の色を見るよりも、かぐちゃんとあたたかいたったひとつの桃色につつまれていたいの。かぐちゃんの色。わたしの大切な色。いつまでも変わらずに在ってほしい。世界中のしあわせをあなたに、と思った昔の私の笑顔は、今だって。

「やっぱりわたしの宇宙は、ピンク色だったんだね」
「ばーか」
世界にたったひとつのピンク色の宇宙につつまれてしまう。やさしいね あったかいね。ここに、かぐちゃんとずっといたいな。お星さまの名前を唱えるみたいに わたしのなまえを優しい声で唱えるかぐちゃんは、やっぱりわかってしまっているのだ。

title by 幸福


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