ばらのエチュード サンプル
●ほのおとはじまりのあさ(一部抜粋)
その朝、イヴはいつものようにきちんと一人で起きました。
朝日の差し込む部屋の中、天蓋つきのレースのカーテンのかかったベッドの中にはぬいぐるみもいくつかいっしょに眠っています。
ふわふわの白い寝間着には細くて赤いリボンがかざりについていて、イヴ自身もふわふわのお人形のようでした。
「……ギャリー……?」
どうしてその人の名前を呼んだのか、イヴにはわかりませんでした。
でもなぜか、ギャリーがこまったことになっているような気がしたのです。
ギャリーは、こわいこわい美術館で出会った、とってもやさしくて、かわいくて、かっこよくて、おっきな木のような、だいじなおともだちです。
男の人なのに女の人みたいなしゃべりかたで、イヴよりもこわがりで、甘いものを食べるときはにこにこして、だっこもしてくれます。イヴはギャリーがだいすきです。
そのだいすきなギャリーに、なにかが起きているような気がしました。あの美術館のなかで、少しだけふたりは離ればなれになったのですが、そのあいだにもときどき感じていたものです。
(あのときと、おんなじ……)
なにかいやなかんじがして、イヴはお洋服に着替えて、部屋を出ました。
食堂に向かうと、いつもテーブルでイヴを待ってくれているお父さんがいません。お母さんは、少し青ざめた顔で新聞をかたく握りしめています。
お父さんが扉の奥に見えました。
どこかへ電話をかけているのですが、つながらないらしく、何度もかけなおしています。
「おかあさん……?」
「あ、あら、おはようイヴ」
「どうしたの?なにか……」
「大丈夫。大丈夫よイヴ。
さ、あさごはん食べちゃいましょうか」
「おかあさん」
お母さんは、イヴにもわかってしまうほどの作り笑顔でイヴを食堂の椅子に座らせました。
とびらの奥からいろんなところに電話しているお父さんの声が聞こえます。
警察、病院、消防署。どれもなんだかいやなかんじがして、そわそわします。
それでも探しているものは見つからなかったらしく、お父さんはがっくりと肩を落としました。
そうしてうなだれたところに、リリリン、と電話がお父さんを呼びました。
お父さんは、のろのろと受話器を取って、相手が何かを言うのを少し聞いて、それから、ぱっと顔を上げました。
「ギャリーくん! 無事だったのかい
どこも怪我してないかい、ああ、新聞で君のアパートが全焼したと読んで……今はどこに?病院?やはり怪我を
あ、ああ……なるほど、わかった。それじゃああとで、」
お父さんはそこまで言って、足下で、眼力に威力があるのなら壁一枚くらい打ち抜けそうな瞳でお父さんを見上げるイヴに気づきました。
●居候の生活(一部抜粋)
つくづく、同行者が彼女でよかったと思う。
そんなイヴの「わからないこと」は、そう簡単には済まないものが多いことも知っていたので、こどもの問いかけと油断することなくギャリーは背筋を伸ばした。
「あのねギャリー」
「なあに?」
「ロリコンってなに?」
ほらきたやっぱり難題だ。
「ギャリーって、ロリコン?」
さらに難題だ。
膝の上、無垢な瞳できらきらと少女が尋ねてくる。
ギャリーはイヴを見つめ返して、空を見て、庭を見て、
「さーどうかしらねー? あ、お着替えしてきましょうか。イヴは制服もとってもかわいいけど、いつものお洋服も好きよー、今日はみつあみにしてあげましょうねえ」
話を逸らした。かわいい、好き、と言われてお嬢様はかわいらしく頬を染めた。
「ありがとうギャリー。ギャリーもかっこいいし、好きだよ。
それで、ロリコンってなあに?」
追求は止めなかった。理系である。
さて、ギャリーがロリコンかといえば答えは否である。
好みのタイプは大人の女性である。
どちらかといえば年上好みである。
ならばそう即答すればよいだけの話だったが、このごろちょっと不安になってきている。イヴという女の子はかわいくてかわいくて、女の子というか天使か何かじゃないかと思い始めていて、さすがに性的欲求の対象にはしていないが、男である以上それもけっこう時間の問題じゃないかと思いはじめているくらいには彼女に心奪われている。
だからといってロリコンですと言えるわけもない。
●あまえんぼと花を咲かせる人の話(一部抜粋)
ギャリーが一緒に住むようになって、イヴの甘えんぼの才能が急激に開花しました。あるいはギャリーのほうに、イヴを甘えさせる才能があったのかもしれません。
それまで一人できちんと起きて着替えもして食堂までやってきていたイヴは、一度ギャリーにおはようのキスで起こしてもらってからはそれでないと絶対に起きないと言い張るようになってしまいました。
朝になっていちばんさいしょに見るのがギャリーが「おはよう」って笑っている顔なのは、最高です。なんでもできそうな一日になるのです。
「イヴ、おはよう。今日もとっても気持ちのいい朝よ」
起きられるなあ、と思っても目を閉じて待っていると、ギャリーがお部屋にやってきて、ベッドのはじに座ったかんじがします。
「ほら、起きて。あさごはんはバターたっぷりのスクランブルエッグですって。においがするの、わかる?」
大きな手のひらが額の生え際を梳いていきます。イヴはもう完全に起きていて、このまますりすりしてしまいたいのですけれど、もうちょっとがまんなのです。
いやなことが終わるのを待つがまんじゃなくて、うれしいことのためのがまんもあるのだと、イヴはギャリーに会ってからたくさん知りました。これもそのひとつ。
「……起きないと、おはようのちゅーしちゃうわよ?」
きた、と思いました。思わずぎゅっとシーツを握りしめてしまい、それを実はギャリーはばっちり気づいているのですが、ギャリーは乙女心を持つ紳士だったのでそんなことを指摘したりはしません。
かわりに、ゆっくりと背中をまるめてぷくぷくのイヴのほっぺにちゅーをしました。それから反対のほっぺにも、鼻のあたまにも、髪の毛をかきあげて、おでこにも。
「……んー、ふふ、」
くすぐったくなってきて、イヴがふにゃふにゃと笑い出します。全身の骨がやわらかくなってしまったようなかんじです。
ちゅっ、ちゅっ、とキスされているうち、とうとうがまんができなくなったイヴが赤い目をぱちりと開ければ、それでおしまいです。
「おはよう、イヴ」
「……おはよ、ギャリー」
目が覚めていちばんはじめに見るのがギャリーの笑顔だなんて、最高です。イヴはにっこりと笑って、起こしてくれてありがとう、の、ちゅーをほっぺに返してあげました。