光る星は消える/5

※第五回。 第四回はこちら







このごろうまく眠れない。

その夜も、体の奥に重く粘つくなにかを流し込まれたような感覚で目が覚めた。満月が空の真上、樹の上にひっかかっている。
冬の澄んだ空気、冴え冴えとした月あかりの中、足音を立てずキッチンへむかい、冷蔵庫のドアを開け、ボトルの水を飲んだ。
冷蔵庫のオレンジのライトをぼんやりながめていたら開けっぱなしを警告する電子音が響いたので、あわてて閉じる。
その扉に額をつけて、思い出せないことを思い出そうとする。おかしな夢を見るようになったのだ。けれど、どんな夢だったか。
ふと、気配を感じて振り返る。
瞬とせつなが、夜着にそれぞれカーディガンとストールを羽織って、キッチンの入り口で、ふたり、気遣わしげにこちらを見ていた。
「怖い夢?」
「大丈夫?」
照明のない夜半であっても、ふたりの白い肌と夜色の髪、宝石の瞳はよく見えた。その息の白さまでも。
「…ああ、なんとなく起きただけだ。起こしちまったな。寒いのに」
どうにか笑って、自室に戻るためにふたりの間をすり抜ける。
南瞬が、その左腕をとった。
「ねえ、よかったら、ぼくが絵本読んであげようか。図書館でも、ぼくの読み聞かせで寝ちゃう子多いんだよ」
にっこりと笑う彼は、どこか誇らしげでもある。瞬は今も昔も本を手放さないが、今は、人に読ませるために読んでいる。
東せつなが、右腕をとった。
「じゃ、じゃあ、わたしもいっしょに、えっと、聞いてあげるわ」
「別にせつなはいいよ。行こ、隼人」
「ええと…添い寝してあげる! わたしも、いやな夢見たときは、ラブによくそうしてもらったの、ラブが隣にいてくれると、ちゃんと眠れるのよ」
どこか焦ったような彼女に、気づく。そうか、こいつには、いやな夢を見ていた時期があったのか。どんな夢だったんだろう。
訊いてみたかったけれど、自分がその夢に出ていたら嫌だと思った。出ていなくても嫌だ。
「隼人のベッドはでっかいけど、さすがに三人は無理だよ、せつな」
「なら居間に布団あつめればいいわ」
「そうだね。隼人、布団運んでよ」
「もう決定なのかよそれ」
「寒いわ、隼人、急いで」
「ぼく、本もってくる」
自分の意見を求められないままに話が進むのは、いつものことである。その実労働をやることになるのも。





「……隼人、寝ちゃった?」
「寝たみたいよ、瞬」
「自信あったんだ、この「フーリエ変換を用いた科学技術計算の基礎概論」。正弦関数や余弦関数の和の量を、簡単に復元する方法をわかりやすく書いてあるだけなんだけど、図書館ではこどもだけでなく職員さんまでばたばた寝たよ」
「ええ、わたしもちょっときたわ」
「せつな。隼人、どうしたらいいかな」
「…きっとわたしの考えてることは、あなたといっしょよ」
「そうだね… ねえ、せつな。ぼくたちは、同じ存在だ。だから、ふたりで、なんとかしようね」
「当然よ。あたりまえよ。もちろんだわ。このままになんて、絶対させない」
「うん。 …そろそろ寝ようか」
「そうね。おやすみ、瞬」
「おやすみ、せつな」




ふたりの呼吸が寝息になってから、西隼人は目を開けた。
呼吸を操って睡眠状態を装うのは兵隊の基礎としての技能のうちに含まれていたし、体術ならばふたりよりも習熟度を高く設定されているのだ。
縁側につながる居間は雨戸も開けたままだったから、大きなガラス戸からは禍々しいほどの月光が射していた。三つのふとんが乱雑に寄せ集まった寝床。
右手を、南瞬が握っている。左の肩に、東せつなが寄り添っている。恐ろしいほど意識が冴えている。これほどまでに明瞭な思考になるのは、もしかすると初めてかもしれなかった。

「ぼくたちは、同じ存在だ」、瞬はそう言った。つまり、自分は違う。知っている。
血統書つきの上等な猫のような二人は、かの巨大コンピューター、メビウスが、長い時間をかけて編み出した遺伝子シミュレーションにより、「完全なる国民」のプロトタイプとして作られた二人だった。あらゆる意味で秀でた存在、コンセプトを同じくする一対の男女。アダムとイブ。イザナミとイザナギ。
自分はそうではない。
ウエスターという個体は作り上げられたふたりのための道具の一種である。下位労働、ひらたく言えば力仕事をやらせるためにメビウスがオプションとして「完全なる二人」につけた、ナケワメーケよりはいくらか融通の利く使役物、そのていどのものだった。認めまいとしていたけれど、気づいてしまっていた、ずっと知っていた。
サウラー、イース、ウエスターというのは「三人」で作られた存在ではなく「二人」と「ひとつ」の組み合わせなのだ。
だからかつて、離脱したイースにあれほど執着した。あのときのあれは彼女への望執ではなく、忠誠心ですらなかったと、今はわかる。自分の存在理由が否定されるのが恐ろしかっただけだ。そしてその恐怖は今も消えてはいないのだ。

ふと、左手の東せつな、そのイースであった彼女を見る。
穏やかに眠る彼女は、青白い月明かりを受けて美しかった。優秀な遺伝情報を与えられたのだから、容姿が美しくなるのは当然だ。それでも、ほとんど初めて、きれいな生き物だと思った。睫毛の作る影が頬に落ちている、その影さえも。体ごとこちらにむけているせいで、一番上のボタンが空けられた寝間着から、彼女自身の腕で寄せられた胸の谷間が見えた。
いまはここにいる。この先は?


最低な考えをした。今まで使い捨てられた同胞すべての死に様を再現させられても、まだ足りない最低なことを考えた。

これは女で、自分は男だから、それでつなぎとめることができるんじゃないか、なんて。

許されるはずがない、女に手を出す動機としてこれ以上ひどいものなんてきっとない、そうわめく声も確かにあった、あったのに、手はゆっくりと、確実に動き、彼女の頬を捉えた。
衣擦れひとつ起こさないように半身を起こし、眼下の「女」を見た。
白い肌、儚げな骨格、有るべき場所に細心の注意を払って配置したような造作、細く小さな指先、かいがらのような爪。
造形だって美しいが、改めて意識すれば花のような匂いもした。きっと、感触だって、花のようにやわらかいだろう。その花を踏み散らす、あるいは乱暴に摘み取る、その想像はおぞましかった、そしてあまりに醜い甘美を伴った。

ゆっくりと、その身をかがめてゆく。吐息がかすめ、ほとんど唇が触れそうになったとき。

ぱちりとまぶたが開き、柘榴色の瞳が現れた。
完全なるものの片割れとして生まれ、そのひたむきさゆえに一度は死に、罪を背負いながらも幸福を司るためによみがえり、幸いならざるものを裁く運命にある赤。





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2010/03/19


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